今、何時

 先日、友人に誘われて、『おかまバー』なるものに行って来た。
 かつて、Mr.レディとかいって綺麗な男性がテレビに出てたりしていたので、私も、最初、そういう人達を想像していたのだが。
 ところが、行ってみると、みんな、どう見ても、「やっぱ男じゃん!」という人達ばかりであった。現実なんて、こんなものなんだろう。
 ひげは青々してるわ、ミニスカートから出た脚にスネ毛が波打っているわ。化粧も、明らかに普通の女の人と違う。そんなに濃いブルーのアイシャドウなんかしないだろう、普通は。
 そう、ニューハーフというより、ドラァグクイーンと呼んだ方がいい。
 まあ、それでも、野太い声のおねえ言葉で為される会話は、なかなか面白いもので、それなりに楽しめた。
 そして、その中の1人、「キューちゃん」という源氏名(キュートの『キュー』なんだそうだ)の人がまた、ものすごい化粧の人物であった。
 まつげなど、付けまつげをしたうえ、まぶたに直接描いてしまっている。
 アイシャドウは、本当の目の形はどれだ?と思うくらい濃くて、既に、アイシャドウではなく、歌舞伎の隈取りだ。鼻筋のハイライトも白すぎで、口紅は、もちろん真っ赤である。クレヨンでも塗っているのか、と思うほどだ。しかも微妙にはみ出ている。
「ぽっちゃり気味の唇の方が、オトコ受けいいのよ」
などと、キューちゃんは言っていたが、果たしてどうだろう。
 源氏名のキューちゃんは、キュートのキュー、ではなく、Q太●のキューなのではないか。
 しかも、店の人いわくキューちゃんは、仕事が終わってもこのメイクを崩さないのだという。彼女、じゃない、彼の素顔は同僚でも知らないそうだ。徹底している。
 それはともかく。このキューちゃん、接客中に、よく時間を尋ねてくる。
 店内には時計がなかったし、キューちゃん自身は、腕時計をしていなかったので、ずっと隣にいた私に訊いてくるしかなかったのだ。
 それにしても、今日は、何か大事な用事でもあるのか、ほぼ20分おきくらいに、「ね、今、何時ぃ〜?」と、言ってくる。
 少々うざったい、と思いつつも、私は、ちゃんと答えてやっていた。
 しかし、時間が経つにつれ、酔いも回って、言うこともいい加減になってきてしまうものだ。
「今、何時ぃ?」
 訊ねられて、私は、腕時計を見る。酔ってるうえ、店内は暗いし、本当はよく見えなかった。しかし、私は適当に答えた。
「う〜んとね、12時17分?」
 さっき時計を見た時より、ずいぶん時間が経っているな、とは思ったのだが。
 私の返事を聞くと、キューちゃんは、いきなり、男性の口調になった。戻った、と言うべきか。
「そうか、ありがとうな」
 そう言って、すっくと立ち上がる。
 お客を放っておいて、どこか行ってしまう気なのだろうか?
 びっくりしている私を置き去りにして、キューちゃんは、お手洗いに入っていった。
 体調でも悪かったのだろうか、結構長い時間、キューちゃんはお手洗いにこもっていた。
 私は、話し相手がいなくなって暇だったので、もう一度腕時計を見た。おや?
 12時……と答えてしまったけれど、まだ11時ちょっと前だった。デジタル時計は、暗いと見づらいのだ。
 間違えて教えてしまったけれど、まあ、いいだろう。どうせ今の私は酔っぱらいなのだ。後で軽く謝っておこう。
 そうこうしている内に、再びお手洗いのドアが開いた。出てきたのは、そこそこ男前の男性。
 誰だ、これは。
 一瞬だけ疑問に思ったが、すぐにその男性がキューちゃんだと思いあたった。
 化粧を落として、同僚すら見たことのない素顔を、堂々を晒している。服も着替えてしまっているから、すぐには判らなかった。
 しかし、なぜ突然こんな格好に?
 私はびっくりして(それは、店内にいた人全てがそうだった)さっき、時間を間違えて教えてしまった事を、謝る事を忘れてしまった。
「今まで世話になった」
 キューちゃん(もう、こう呼ぶのもそぐわない気がするが)は、店のママにそう言うと、颯爽と店を出ていった。
「一体、なんだったの、今の?」
 一同、きょとんとその背中を見送るしかなかったのである。



 翌朝、まだお酒が残って頭がふらふらしている状態で、私は毛布にくるまったまま、テレビの電源をつけた。
 朝7時。大抵のテレビ局は、ニュース番組を放映している。しかも、今日は、大きな事件があったらしく、特番を組んでいる様だ。
 レポーターが、警視庁の建物の前で、うるさく喋っている。
「なんと、15年前の殺人事件の容疑者が、時効ぎりぎり、30分前に逮捕されました!逮捕されたのは、当時K県に住んでいたS容疑者で……」
 画面に、その容疑者の写真が映った。
「あ、キューちゃん!」
 そのS容疑者の顔は、前の晩に、お手洗いから出てきた後のキューちゃんの顔であった。
そうか、指名手配犯だから、素顔を隠せる店で働いていたのか。
 それにしても、見事な隠しっぷりだった。今まで、誰も気づかなかったのだから。
 つまり、私があの時、時間を間違えなければ、キューちゃんの罪は時効となって、今頃は、晴れて自由の身になれていた筈だったのだ。
 申し訳なかった、キューちゃん。
 私は、本人に言えなかった謝罪の言葉を、心の中で述べた。

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