志乃+ブレード!

 山室志乃、高校1年生。見かけほど鈍感ではない彼女は、もう随分前から気づいていた。自分を見つめる視線に……。

 薄茶色の長いストレートの髪を左サイドで適当に束ね、太めフレームの眼鏡を着用した彼女は、決して目立つ方では無かったが、よく見れば、肌は色白できめ細やか、目も綺麗な二重、鼻は主張し過ぎず、荒れとは無関係の唇は何もつけなくてもほんのり桜色で、なかなかに可愛らしい容姿である。
 しかし、それを生かすことなく、派手な遊びを嫌い、質素な学生生活を送っている。
 そんな彼女の靴箱に、数日前から、下校時に花が1輪、置かれるようになった。
「わ……また?」
 志乃が靴箱の蓋を開けると、一緒にいた友人が声をあげる。
 志乃は靴箱の中から花を取り出す。
「今日はガーベラね」
 花を眺め軽く溜息をついてから、志乃はガーベラを学生鞄の蓋の隙間に挿した。
「ねえ、志乃、やっぱりそれ、持って帰るの?」
 友人が不安げにその花を見つめる。
「花が悪い訳じゃないわ。それに、どうせそのうち枯れちゃうんだからいいわよ」
「……あのね」
 一緒にいた、もう1人の友人が、今までの無口を破って細い声を出す。
 志乃たちは彼女に注目する。
「今日の5時限目の後、古倉先生が志乃ちゃんの靴箱覗いてた……」
 おずおずと、喋っちゃいけないことを喋る様に彼女は言った。
 まあ確かに、男性教師が女子生徒の靴箱を覗くというのは、喋り易い事ではない。
「げ〜、古倉ぁ?」
 大仰な反応を示す友人とは対極に、志乃は静かに考え込んだ。
 古倉という教師は、30代前半で、教師陣の中では若手の方だ。顔立ちは悪くはないのだが、いかんせん表情が乏しく、あまり好印象を与えない人物だ。
「あいつってさあ、たまぁに、何か企んでるような顔するよね」
 友人の言う通り、そんな印象のある人物なのだ。
 けれど、実は志乃は、花の送り主がもしかしたら彼なのではないかと思っていた。おそらく、以前からの視線も彼のもの……。
 しかし、古倉と志乃は、授業以外で顔を合わせる事もない、その程度の間柄なのだ。なのに、なぜなのか。そこが、志乃には不可解だった。
「どうする志乃?古倉にストーカーされちゃったりしたら」
 冗談気味に、友人が問うてくる。
「……斬るわ」
「へ?」
 志乃が無意識に、小さく答えた言葉に、友人は聞き返す。志乃は慌てて、
「ああ、教育委員会にでも訴えてクビにしてやるわ、って事よ」
と、笑顔を繕いながら言った。
「ま〜そりゃそうだけどさ、その前に襲われちゃったりしないように気をつけてね」
「ないって、そんな事」
 そんな事はあり得ない。これは、冗談抜きに自信があった。誰も彼女に危害を加える事など、できはしないのだから……。

「でも、そんなにこそこそしなくたっていいじゃない」
 帰り道、友人達とそれぞれに別れ、1人で家路を歩きながら、志乃は呟く。それから、ひときわ、声を大きくして、
「ねえ、そうでしょう?」
と、背後を振り返ってみる。
 確かに、先程まで、人の気配を感じていたのに。そこには誰もいなかった。ただ、近所の庭の樹からこぼれ落ちた花弁が、風にひらはらと舞うだけで。
「やっぱり、古倉先生なの?それとも、別の誰かなの?」

 花の贈り物が続く中、学校は試験期間に入り、志乃達学生は午前中の試験を終えると帰宅する様になる。
 まだ陽の高い内から帰宅できるのだ、このまま家に籠もって勉強をするなどいささかもったいない。とはいえ、やらなければいけないものは仕方ないのだ。
 志乃は、級友達がカラオケに寄っていったりする中、やはりきちんと家に帰る。
 その途中の事であった。
 ざわり。
 肌に何か不快感な物が触れる。それは、実体を持つものではなく。言うなれば、不穏な空気。
 志乃は直感で思った。
 ああ、これは、私を呼んでいるな、と。
 不穏な空気の濃い方、濃い方へと、志乃は走る。
 バス路線に面して建つ銀行。そこが、目的地。
 出入り口を塞ぐようにバンタイプの車が横付けされている。大きな窓ガラスからは、内部が見える。そこには、怯え、うずくまる人々。カウンターには、それぞれサングラスやタオルで顔を覆った者が3名ほど。その向こうに、ロボットみたいにぎくしゃくとした動きの行員達。
 咄嗟に銀行強盗だと判断した。中にいる行員は、顔を隠した男のうちの1人に、大きめな袋を渡している。
 志乃は、横付けにされている車と建物の隙間に身をねじ込むようにして入り口の扉の前に立つ。内側の扉は自動ドアであったが、外側の扉は、手動開閉式だった。
 内外両側可動の扉で助かった。外側に引く事しかできない扉であれば、車が邪魔をして開けない所であった。
 志乃は両手で扉を押し開ける。一歩内部へ踏み出すと、センサーが彼女を察知して自動ドアがスライドして開く。
 ドアが開く音と共に中に駆け込んできた少女に、その場の誰もが注目した。
 しかし、それには構わず、志乃は鞄を床に投げるように置き、軽く拳を握った両手を目の高さに掲げる。
「原子分解、そして融合せよ。幻刀召還!」
 志乃の周囲に陽炎が立ったように、空気が揺れた。その揺れが彼女の両手に終結し、そこから細かな粒子が産まれる。粒子は次々に結合し、彼女の手の中に、刀身となって収まってゆく。
 それはあっという間の出来事で、気づけば、きらりと青白く輝きを放つ日本刀が、その手に握られていた。
 強盗犯達は、一瞬銃を構えるのも忘れていた様だ。
 志乃がぶぅんと空気を鳴らして刀を振り下ろし、強盗犯の1人が持つ袋を斬る。
 強盗犯の手中には、布の切れ端が残り、切り離された袋は紙幣をまき散らしながら宙を飛んだ。
 舞い落ちる紙幣を慌てて拾おうとする強盗犯は、その喉もとを柄部分で殴打され、膝からがくんと倒れる。
 カウンターの奥にいた銃を持った強盗犯2人は、それでやっと我を取り戻したらしく、一斉に銃口を志乃に向ける。
 数回の銃声と、店内にいる人々の悲鳴。しかし、その中に、きぃんきぃん、と固い金属音が混じっている。
 志乃は刀で銃弾を弾き飛ばしつつカウンターを飛び越え、敵のまっただ中へ突っ込んでゆく。
 そして、2人いる強盗犯のうち、1人の所まであと数歩、という所でひらりと舞い上がる。
「モード変換。能力吸収」
 刀を大きく振り、天井から吊り下がる蛍光灯を斬りつける。刀身は蛍光灯を真っ二つに割る……筈がなぜか、立体映像でも切りつけたかのように、刀はそれをすり抜けた。
 すたん、と床に着地した志乃は、今度は
「戦闘モードに変換、能力解放」
と唱えつつ、目の前の強盗犯に向かい刀を振るう。刀身が強盗犯に触れると、そこから、一気に電気が放流された。
 当然、それをくらって立っていられる訳がない。手にしていた小銃を放り投げ、強盗犯の体はそのまま前方へ倒れる。それを追うように落ちてくる小銃を、
「能力吸収モードに変換」
と、志乃は刀で斬りつける。
 またもや、刀は対象を斬る事なく、小銃は無事な姿のままで床に落ちる。
 ただ1人取り残された強盗犯は、自分の見た光景が一体何であったかわからずにいたが、とりあえず持っている拳銃を震える手で構えた。
「再度、戦闘モード変換、能力解放」
 志乃は残る相手に向かい、ぶん、と刀を振った。
 すると、そこから連続で3発、銃弾が飛び出した。
 予想だにしていなかった攻撃に、強盗犯は目を丸くして座り込み、ただただ震えていた。
「もう1回、行く?」
 淡々とした口調で問いながら、志乃は刀を上段に構える。強盗犯はぶるんぶるんと首を振り、床に落ちた拳銃が固い音を立てた。
「それが賢明よ」
 目を細め唇の端をあげて笑い、志乃は刀を下ろした。
 これで、この場所には平穏が戻ったはずだった。けれど。
 どす黒い空気はまだ、この周辺に残っている。残っている、というよりは、もっともっと濃い不穏な空気が、別にある。
 そんな予感に波打つ胸の鼓動を全身に感じつつ、志乃はゆっくり、後ろを振り返る。
 その数メートル先には、扉がある。おそらく、奥にもう一つ部屋があるのだろう。何の為の部屋か、志乃には見当がつかないが、でも、そこに「それ」の元凶がある事は、もうわかっていた。
 志乃が刀を構えるのと、扉が開くのはほぼ同時。
 中からは、重そうな金庫を一つ、ひょいと肩に担いだ大柄な男が出てくる。その金庫にしたって、元は壁に埋め込まれていたのだろう、壁の残骸があちこちに張り付いている。
 もしかして、埋め込んで固定されていた金庫を、素手で剥がし取ったのではなかろうか。そんな想像が充分に出来るほど、太い腕をしていた。
 男は、志乃と周囲の状況を何度か交互に見ると、怪訝そうな顔つきで、担いでいた金庫をその辺りの床にごろんと放り投げた。その衝撃で、床は凹み、細かなひびが入る。
「随分乱暴じゃない」
「乱暴なのはお互い様みたいだが?」
 鼻から下をタオルで覆っているので、くぐもった声で男は言った。
「そうかもね」
 志乃はちょっと肩をすくめて見せ、それから、
「その金庫とかお金とかを置いて、こいつらを持って帰ってくれるなら、これ以上乱暴な事はしないけど?」
と告げる。しかし、志乃の警告を聞くような相手ではないようだ。返事もせずにいきなりベルトに挟めていた拳銃、銃身の長さから見て、S&Wと思われるそれを抜き、志乃に狙いを定める。
 銃声と、志乃の
「効かないわよ」
という声が重なり、振るわれた刀が弾丸を弾き飛ばす。弾丸は、志乃の真横の壁に埋まった。
 そして再び刀を構え直す。が、その剣先が先程より若干下がる。刀を持つ両手もわずかに震え始める。
 誰も気づいてはいない様であったが、志乃の能力に限界が来ていた。
 心の中では、どうしよう、と思っていたが、それが表に出ないように、あえて相手を睨む。
 男の方は、弾丸がはじき返された方向を、信じられないといった面持ちで見ていたが、すぐに我に返り、もう1発、志乃に向けて撃つ。
「もう、しつこいわ!」
 更に、刀を振るい……その1発を弾き返すと、刀の輪郭が一瞬ぶれた。
「!」
 もう、これ以上は保たない……。
 志乃がそう感じた時。
「試験期間中に、こんなことしている場合じゃないだろう」
 突然、背後からすうっと手が伸び、志乃の、柄を握る手に重ねられた。
 戦闘に気を取られて、彼もこの場に来ていた事に、全く気付けなかった。
驚いた拍子に、志乃の手から刀が粒子となって空中に舞い、その粒子もあっという間に消失した。
「古……倉せんせ……い?」
 その声は、古倉であることに間違いはなかったが、志乃は、その姿を確かめるためにゆっくりと後ろを振り返る。
 志乃の目に、古倉の顔が映ったと同時に、3発目の銃声。
 古倉が片腕に志乃を抱きかかえ、ぱっと横に跳ぶ。
「先生、どうして……」
 志乃の問いを全て聞く余裕はないとばかりに、古倉は
「いいから、君はここでじっとしていて」
と、志乃をカウンターの上に座らせる。それから、くるりと体を返し、強盗犯の男に向き直ると、右手を真っ正面に突き出し、口を開く。
「原子分解、そして融合。破壊刀、召還!」
 古倉の周囲の空気が揺れる。それに共鳴し、志乃の座るカウンターも、一瞬震えた。
 揺れは古倉の右手に集結し、生じた粒子は刀となる。
 周囲に存在する物質を、ほんのわずかずつ原子レベルに分解し、そしてそれを集結し融合させ自らの刀の形にする……志乃と同じ能力だ。
「先生?」
 志乃の小声の呟きが古倉の耳に入ったらしく、彼はちらりと志乃を見て笑った。そしてすぐに、視線を相手へと戻す。
「降参するなら今の内だぞ!」
 そう言って古倉が刀を勢いよく頭上へ振り上げると、そこから空気を裂く音が鳴り、強盗犯の持つ銃が、正面から真っ二つに割れる。
「うわぁ!」
 拳銃を持つ手も同時に切り裂かれたようで、鮮血を飛ばしながら、男は銃を落とす。
「さあ言えよ。ごめんなさい、もうしませんってな」
 自分が圧倒的優位に立っている者特有の勝ち誇った口調で古倉は言う。
「うわああああああっ」
 しかし男は、大きく叫ぶと、足元に落ちていた金庫を持ち上げ、渾身の力をもって、古倉に投げつける。
 古倉は、飛んでくる金庫の真っ正面にくる様に移動し、そして刀を上から下へ、一直線に振り下ろす。
 古倉にぶち当たる筈であった金庫は、2つに分かれ、古倉の左右に落ちた。滑らかな切り口を晒した金庫からは、札束がこぼれ落ちる。
「いやぁ、今日も良い切れ味」
 刀を中段の構えに戻して、古倉が言う。
「これなら首を切り落とすのも楽だろうな」
 その不吉な言葉に、男は2、3歩後ずさりをすると、おぼつかない足元で外に向かって逃げだそうとする。
「逃げるくらいなら、ハナから事件を起こすんじゃない」
 古倉が、刀を縦、横、斜めに数回降ると、その度に空気を切り裂く音が鳴り、一瞬後には、男の腕やら脇腹やら脚やらに切り傷が生じ血が流れる。
「う、あ、あああ……」
 男は傷を確認するようにぺたぺたと両手で体のあちこちを触り、最後にその手についた血を見ると、その場に座り込んでがたがたと震え始めた。
「ここまでくれば、もう逃げやしないだろう」
 そう言うと、古倉の手からは、刀が消失した。
「だが、俺たちは逃げないと、な」
 古倉が志乃を振り返った。志乃は素直に頷き、カウンターからすとんと降りた。

「ねえ、先生。先生って何者なのよ」
 流れ上、古倉が志乃を家まで送る事になり、今、2人で帰路を歩いている。
「さっき見たまんま。君と同じ能力を持っているだけ」
「それで、私について回っていたの?」
 そう言うと、古倉は明らかにぎくりとして、
「やっぱり、ばれていたか」
と、白状した。古倉が言うには、
「元々、この能力を持つ家系っていうのがあって、どうやら、その昔は、俺の家は君の家に仕えていたらしいんだよな」
という事だそうだ。
「それで、私を?」
「うん、まあ、何かあったら守ろうと」
 古倉が頷く。
「じゃあ、なぜ花なんか」
 志乃は訪ねる。
「いや、あれは単なる媒体で。あれを君が持つ事によって、君がどこにいるか、いつでもわかるようにしておいただけなんだ」
 少し慌てた様子で、古倉が説明する。
「なんだ。私はてっきり、私に好意を持ってくれていると思ったのに」
 わざと志乃ががっかりした様に言う。
「ま、まままさか、そんな事!あったら困るだろう!」
 先程より更に狼狽して古倉が言う。
「私はそれでも構わなかったのに」
「何?」
 古倉の動きがぴたりと止まる。志乃はもう1度、
「私はそれでも構わない、って言ったんですよ」
と、ゆっくり言い、古倉の目を見つめ上げる。古倉もその目を見つめ返すと、志乃はにっこり笑った。
「そ、それって……!」
 古倉は、志乃の両腕に手をかける。しかし志乃は、
「但し」
 と、片手で古倉の顎を押さえた。
「私はきっと、先生の事、好きになると思うけれど、今はまだ、先生の気持ちを受け取れる、っていう程度です。だから、これ以上は、ゆっくり進みましょう」
 ね?と小首をかしげて笑う志乃。
「あ、ああ、そうだ、な」
 古倉は志乃から手を放す。
 そして、2人で再び並んで歩き出す。
 数メートル歩いた所で、志乃は、古倉の左手に自分の右手を絡ませた。
END
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