鈴、鈴々



 香波が一花に出会ったのは、9月、暑さがやわらいだ頃、ロケット公園でだった。
 ロケット公園は、香波の家から歩いて10分ほどのところにあり、最近補助輪なしで乗れるようになった自転車で行けば、ものの5分で到着する。本当はロケット公園なんて名前ではないのだが、公園の真ん中にどんと構えている滑り台がロケットの形をしていることから、香波たち子供は、ロケット公園と呼んでいた。
 公園を囲むように団地が連なって建っているので、公園はいつも団地に住む子供たちで賑わっていたし、だから、そこに行けば誰かかれか、友達と会える。それを目当てに、香波のように団地住まいじゃない子供もロケット公園を訪れるのだ。
 その日は珍しく、香波の顔見知りの友達は誰も来ていなかった。
 きょろきょろと公園内を見回してそれを悟ると、さてどうしようかと途方に暮れた。
 せっかくここまで来たのにすごすご帰るのもなんだし、少し待てば誰か友達が来るかもしれない。でもそれまで1人で遊ぶというのも心細い。だからといって、他の子たちの遊びの輪に自分から飛び込んでいくだけの度胸もない。向こうから声をかけてくれれば話は別なのだが。
「ねぇ、1人なの?一緒に遊ぼうよ」
 ほら、こんな風に。
「ねぇ、聞いてる?」
 少し苛立たしげに言われて、やっと香波は、それが自分に向けられた言葉だと理解した。
 香波が声のした方向を見ると、にっかりと笑った女の子がそこにいた。
 黒く長い髪は香波と違って飾りゴムなどでまとめておらず、風に吹かれてもちゃもちゃに縺れていた。
 首のよれた長袖のシャツは胸の辺りに渇いたご飯つぶが張り付いて、穿いているジャージのズボンは膝に穴が開いている。
 それなのに靴はお花のモチーフがついたお洒落なデザインの華奢なサンダルで、でも、泥だらけであちこち擦れていた。
「一緒に、あそぼ」
 もう一度、女の子は言った。
「うん、いいよ」
 香波は頷いた。
「じゃあ、一緒にシーソーしよう」
 女の子は香波の手をとって走る。香波は本当はブランコに乗りたかったが、誘ってくれた方の言い分を聞かなくちゃいけないように感じ、手をひかれるままに走った。
「ね、名前、なんて言うの」
 脇目もふらずシーソーに突進する女の子に、香波は訊いた。
「いちか」
「何年生?」
「まだ、何年生じゃない。来年、1年生」
 なあんだ、1つ年下か。だったら言いなりになる必要なんかない。
 香波は足を止め、
「やっぱりブランコにしようよ」
と強い口調で言った。言葉だけ見れば提案だが、それは実質、命令であった。
「えぇ?なんで」
 一花は不満そうに唇を突き出したが、
「ブランコじゃなきゃ、遊んであげない」
と言い放つと泣きそうな顔になった。
 そこで香波は泣かせてはばつが悪いと焦り、
「一花ちゃんと遊ばないって言ってるんじゃないんだよ、ブランコだったら遊んであげるんだよ」
と言い繕った。
 すると一花はまたにっかりと笑い、
「うん、遊ぼう」
と、今度はブランコに向かって走り出した。
 香波は子分ができた気分だった。
 しかしこの子分は、香波が他の子と遊んでいるときには現れなかった。だから、香波と一花、2人で遊ぶことはあっても、香波と一花、そして他の誰か、という顔ぶれになることは無かった。
 その理由が判明したのは、一花が小学校にあがった翌年4月。

 入学式で見掛けた一花は、明るい色に染めた髪とマネキンのように綺麗にお化粧して華やかな笑顔のお母さんとは対照的に、暗い表情で下を向き、廊下しか見ていないものだから、香波の存在も目に入っていない様子だった。
 新1年生の男の子が1人、そぅっと一花親子の後ろに忍び寄ると、片手で鼻をつまみ、反対の手を顔の前でぱたぱたと振り、「臭い臭い」のジェスチャーを始めた。
 すぐにその子のお母さんが大股でやってきて、その子を引きずり寄せてべしんと頭を張った。
 けれどすでに、その子の周りにはくすくす忍び笑いが波紋のように広がった後だった。
 一花のお母さんは、その忍び笑いの波紋には気付いていないようで、にこやかに笑いながら、先生や父兄たちに、女優さんのように顔を少し傾けて会釈している。
 一方の一花は、背中や肩の皮膚に敏感なセンサーでもついているのか、その忍び笑いの波紋に瞬時に気付き、ますます身を縮こめた。
 香波にはセンサーはついていないが、それでも子供特有の敏感さで、なにかヘンだぞ、と感じ取った。
 それと同時に、ああそうか、だから一花は団地の子がいる時は、姿を現さなかったのだな、と納得した。
 忍び笑いの波紋が広がったように、それは瞬く間に広まった。
 翌日から、まずは団地の子たちが、一花を背後からつついたり、イヤな言葉を投げ付けては走り去るという行動を始めた。
 それは新1年生だけではなく、気が付けば上級生も、そして団地以外に住む子も同じように一花に接し始めた。
 先生がいくら注意しても無駄だった。
 急速に広まった山火事にバケツで水をかけても威力がないのと同じだった。水をかけた瞬間だけ勢いが引くが、他の場所ではごうごうと燃え盛っているのだもの、すぐにまた炎にのまれて、どんどんと燃え広がっていく。
 なぜ一花がそんな目に遭うのか、なぜ一花にそんなことをするのか。
 はっきりした理由を知っている人は殆どいなかったのではないか。
 ただ、みんながやっているから。と、それだけなのだ。
 香波は、一花につらくあたるつもりはなかったが、やはり、他の子の目があるところでは、一花と喋らないどころか視線を合わすことすらしなくなった。
 廊下の向こう端で香波を見つけた一花が駆け寄って来ても、香波はそれに気付かないふりをしてサッと近くの教室に入ってしまう。
 後にはしょんぼりと頭を落とした一花が残される。
 香波だって、胸が痛まないわけではない。ただ、山火事の中に入っていく勇気はない。
 だから、山火事が鎮静しているとき、つまり、他の子の目が無いときに一花と会えば、後ろめたさに蓋をしつつ、彼女と一緒にお喋りしながら並んで歩いてあげた。
 だけど、以前のように家に呼ぶこともなければ、母親に一花と遊んでことを報告することもなくなった。
 それに気付いた母親に「最近一花ちゃんはどうしたの」と聞かれることもあったが、香波はただ曖昧な笑いを返すだけだった。

 そんなふうに、一花と距離を置きつつそれでも完全に突き放すこともできずに半年ほどを過ごした。
 一花が突然、電柱の陰から飛び出てきたのは、香波が1人で家に帰る途中であった。
「かなみちゃん、一緒に帰ろ」
 どうやら一花は香波を待ち伏せしていたようだ。
 香波はさっと周囲に視線を走らせ、学校の子たちがいないことを確認すると、
「うん、いいよ」
と返事した。
 一花はよほど嬉しかったのか、弾むような足取りで香波の隣に並んで歩いた。
「いちかちゃん、私を待ってたの?1年生はもうとっくに授業が終わっていたよねぇ」
 一花はえへへぇと笑った。
「あのね、明日お祭りだから」
 そういえば、明日の夜から3日間、街の神社のお祭りで、道端には神社の名前の入ったのぼりが立ってるし、住宅の玄関には造花の飾りが付けられている。
「かなみちゃん、一緒にお祭り行こうね」
 なるほど、一花はその約束を取り付けたいがために、香波を待ち伏せしていたのか。
 香波はすぐに返事ができなかった。
 一花とお祭りに行ってあげたい気持ちだってもちろんあった。
 でも、お祭りなんて、学校の子がたくさん来るに決まっている。
 一花と一緒にいるところを、学校の子に見られてしまうのは嫌だ。その気持ちのほうが、倍以上に強かった。
 香波が断りの文言を考えていると、横の小道から、男の子たちの声が聞こえてきた。
 探検ごっこをしてわざと裏道や細い道を選んで下校していたらしい。
 香波は瞬時に脚を止め、少し後ずさった。一花に不審がられずに、かつ、少しでも彼女と距離があくように。
 男の子たちは一花を見つけると野蛮な声で「いちかクソかゲロか〜!」と節をつけて囃したて始めた。
 香波の努力が功を奏してか、男の子たちは香波の存在は目に入っていない様子であった。
 しかし、ほっとしたのも束の間、一花が香波に駆け寄り袖にすがりついてきた。
 香波は軽く混乱した。
 今この場面は、男の子たちにはどう見える?
 私は山火事の真っ直中に引き込まれてしまうのではない?
 一花と同じように、毎日囃立てられ脅かされて過ごさなければならなくなるかもしれない。
 この男の子たちが、クラスの子たちの姿に変わり、剣のあるいやな笑顔で香波をなじったような錯覚を覚え、気が付けば香波は、すがりつく一花の手を振りほどいていた。
 一花が驚いたような、怯えたような目で香波を見た。
 自分の行動を取り繕おうとしても、この男の子たちの前で、一花に優しい言葉をかけてやることはできなかった。
「バッカじゃないのあんた、逃げりゃいいのに!」
 そう言って、自分がその場から逃げ出した。
 あとに残された一花が、逃げたかどうかはわからない。
 息を切らせて自宅に帰り着いた香波は、夜になってもなぜか息苦しさが治まらなかった。
 一晩経ってもなんだか体が重かった。
 学校で同じクラスの女の子たちから、一緒にお祭りに行こうと誘われ、一花のことを思い出して胸がちくんと痛みつつOKしたが、結局、その日のお昼頃には熱が出て真っ赤な顔になって早退し、午後から行った病院で水疱瘡と診断されたから、クラスの子との約束は断らざるをえなかった。
 人々のざわめき、笑い声。笛風船がぴーっと鳴る。下駄はからんからんと音をたてる。
 そんなお祭りの喧騒を、香波は病床で聞くことになった。
 香波の家は街で一番大きな通りからお祭り会場に行く道の途中にあるから、それらの音がよく聞こえる。
 ちりんちりん、りんりんちりん。
 鈴の音は、縁日で売っているおもちゃに付いているものか、もしかしたら、女の子の下駄に付いているものかもしれない。
 香波も、鈴の付いた下駄を穿いて歩く予定だったのに。
 下駄は玄関の隅にちょこんと置かれたまま、香波と同じように、お祭りの喧騒を恨めしく聞いているに違いない。
 人に意地悪なことをしたら、バチがあたるよ。よくおばあちゃんに言われていたっけ。
 じゃあきっと、お祭りに行けないのはバチがあたったんだ。
 昨日一花に、あんなことをしたから。
 香波は、一花に対してか、それとも自分にバチを与えた神様に対してかは自分でもわからなかったが、「ごめんなさい」と呟きながら、毛布の中に潜り込んだ。
 きんこぉん、と、家の呼び鈴の鳴る音がする。
 母親がぱたぱたと玄関に向かう。
 がらりがらと、玄関の引き戸を開ける音と、
「かなみちゃ〜ん、お祭り行こう」
という、一花の大きな声が聞こえてきた。
 母親の声は明瞭には聞こえなかったが、一花に、香波が病気であることを説明し一緒にお祭りに行けないことを謝っている様子だった。
 やがてまた、玄関の引き戸ががらりがら、と音をたて、そのすぐ後に、かんかんちりんっ、かんちりんっと、香波の家から走り去る下駄の音が続いた。一花の下駄にも、鈴が付いているんだなぁ、と香波は思った。
「香波、調子はどう?」
 母親が、額に乗せた濡れタオルを取り替えにやってきた。
「さっき、一花ちゃんが来たわよ」
「うん、聞こえてた」
 返答した声は掠れていた。
「いちかちゃん、鈴のついた下駄履いてたんだね」
「下駄こそ履いていたけどね」
 母親は少し怒ったような呆れたような口調になる。
「だけど服は浴衣じゃなくていつもと同じジャージだったのよ。あの子のお母さんも、浴衣が用意できなくったって、せめてお祭りらしい服を着せてあげれば良いのにね。自分ばっかり毎日良い服着てさ」
 香波の母親が一花の母親を好いていないことは、これまでの母の言葉の端々からなんとなく気付いていた。そして、一花が団地の子供達から、ひいては学校の子供達から疎まれる原因も、一花の母親であろうことも。

 香波の熱はなかなか下がりそうになかった。
 ちりんちりんという鈴の音を聞きながら、香波は夜を過ごした。
 この鈴の音の中には、一花の下駄の音も入っているのだろうか。
 一花は一人でお祭りに行ったのだろうか。

 今日も鈴の音は聞こえてくる。
 ぼんやりしている頭で香波は考えた。
(あれ?でも、まだお祭りってやっていたっけ)
 ずっと寝込んでいたものだから、日にちの感覚がおかしい。でも。
 お祭りは日曜の夜までで。
 そういえば今日の朝、母親が学校に電話をかけていたような気がする。
 香波は水疱瘡が治りきらないので今日は休みます、と。
 だったら今日は月曜日ではないのか。もうお祭りはやっていないはずだ。
 耳を澄ませば、聞こえてくるのは鈴の音ばかり。その他の、人の笑い声などのお祭りの喧噪は聞こえない。
 鈴の音は、独りきりで歩いているように、鳴っていた。
 それじゃあ、この鈴の音は?
 まだお祭りを忘れられず鈴付きの下駄を履いて歩いている子でもいるのだろうか。

 鈴の音は、次の晩も、また次の晩も香波の耳に入ってくる。

 1週間ほど経ち、水疱瘡もすっかりよくなった香波は、さすがにこの鈴の音を奇妙に思い始めた。
 怖い話が大好きな一花に会えば、この事を面白おかしく話してあげたのだが、香波が快復して学校に行けるようになってから一度も一花の姿を見かけていない。一花と会ったとしても、どういう顔をして良いのかわからなかったから、香波としてはありがたい限りなのであったが。
 りんりんちりん。
 今日も鈴の音が響く。
 香波はそっと、部屋のカーテンを開けてみた。
 街灯の少ない、暗い道路が目に映る。
 りんりん、ちりりん。
 どこから聞こえてくるのだろう。
 視線を左右に走らせる。
 そして香波はあっと声をあげた。
 そこには、一花の後ろ姿。
 ちりりんりん、と鳴る下駄に似合わない赤いジャージの後ろ姿が暗い道を駆けていく。
 なぜ一花がここにいるのかと疑問に思う間もなく、一花の姿はその先にある板張りのゴミステーションに吸い込まれるように消えていった。
 ……消えていった?
 大人に話せば、目の錯覚だったと言われただろう。
 だが、香波にはそれが錯覚とは思えなかった。
 ぞわぞわと胸の奥で言い知れぬ不安が蠢く。
 一花に最後に会ったのは、お祭りの前の日。
 一花の声を最後に聞いたのは、お祭りの初日。
 それ以降、一花の姿も声も、確認していない。
 香波は怖くなって一目散に布団に駆け込み、頭まですっぽり毛布をかぶった。体の一部分でも毛布から出てしまえば、そこからどこか、暗闇の中に引きずり込まれそうに思えて仕方なかった。
 眠りが浅かったから、朝までがとても長く感じられた。起きてもどこか体がだるかった。
それでも香波は素早く登校の支度を整える。
「香波、お腹でも痛いの?それとも、学校で何かあった?」
 口数少なく切羽詰まった表情の香波を不思議に思った母親が心配そうに声をかけるが、香波は無言で頭を振ると、いつもより早い時間に家を出た。
 いつもの通学路を途中で曲がり、そこにある駐在所に駆け込む。ここの駐在員は、よく通学路に立ち街頭監視をしているので、香波たち生徒はよく顔を知っていたし、親しみを込めて「おじさん」と呼んでいた。
「おじさんおじさん!」
 朝早いせいか無人の事務室で香波が叫ぶと、奥の扉からまだ私服の駐在員が出てくる。
「はいよどうしたの」
 のんびり返事する駐在員に、香波は早口でまくしたてた。
「あのね一花ちゃんがゴミステーションにいると思うの!」
「へ?」
 初めから説明する時間がもったいなかったが、そうしないと駐在員は香波の言う事を理解してくれないようだった。
 しかし、全部話しても、駐在員はまだ怪訝そうな顔をしていた。
 けれど香波の必死の形相を見て、気持ちを静めるためにとりあえず行って確認だけでもしてやろうと思った駐在員は私服のまま、香波に案内されてゴミステーションに出向いた。
 ここのゴミステーションは大きいせいか、近隣には曜日も分別も考えずにゴミ袋を放り込む住民が多い。
 そのため、奥の方はいつもゴミが溜まっていて底が見えたことがない。
 ツンと漂ってくる臭気に顔をしかめながら、ゴム手袋をはめた駐在員は腰をかがてゴミステーションの中に入っていく。
 奥に溜まったゴミ袋を左右後方にぽんぽんと投げる。香波はその背中をじっと見つめていた。
 ふいに、駐在員が短くくぐもった声で「うぉ」とも「あ」ともつかない声をあげた。
「おじさん?」
 不安になりうわずる声で香波が問いかけると、駐在員は「お姉ちゃん、ちょっと避けていてくれないか」と、背を向けたまま言う。
 香波はゴミステーションの脇に身をよけた。駐在員がゴミステーションの出入り口に頭をぶつけながら出てくる。だが彼は、頭をぶつけた事など気付いていないかのようで、青ざめた顔でゴミステーションの扉を強く叩きつけるように閉めた。
「お姉ちゃん、あのね。ちょっと時間がかかりそうだから、先に学校に行っていなさい」
「何か、あったの」
 駐在員は言葉を探ししばし口をもごもごした後、
「うん、ちょっとね。ここに入っていちゃいけないものがあったから、おじさん、他の人と協力してそれを出さなきゃいけない。いろいろ作業があって危ないから、お姉ちゃんは学校に行っていて。ほら、早く行かないと、遅刻しちゃうかもしれないしね」
 始業時間にはまだ余裕があったが、香波はなんとなくこの場にいてはいけないと感じ取り、無言で頷くとその場を走り去った。
 何かあった、何かイヤなものがあった、何かイヤなことが起こっていると、早鐘のように打つ心臓が告げていた。

 結局香波は、ゴミステーションの中を自分の目で見ることはなかった。
 その日、学校では時間が経つごとに小波が荒波に変わるようにざわめきと噂が広がっていった。
 始業前の「朝の会」が始まる時間になっても教室に先生は現れない。遅めに学校に来る生徒たちが「あそこのゴミステーションでさ、おまわりさんとか消防士さんとかいっぱい集まっていたの見たよ」と自慢げに話すのを聞き、そんなものが耳に入ってこないよう、香波は身を縮めた。
 少し遅れて授業が始まるが、先生はいつもより表情も硬く口数が少ない。
 休み時間ごとに、校内に情報が錯綜する。
 ゴミステーションに誰かが悪戯したんだって。
 ゴミステーションに誰かが閉じこめられたんだって。
 助け出されたみたいだよ。
 いいや、もう死んじゃってたみたいだよ。
 終業後、クラスで行われる「帰りの会」で、先生が重い口を開く。
「一年生の女の子が、ゴミステーションに入り込むという事故があった。みんなは、ゴミステーションには入らないように」
 無神経な男子生徒が大きな声で
「死んでたんでしょ」
と聞く。
 先生は蒼白な顔になって
「それは先生達もわからないよ。病院の人じゃないと」
とはぐらかした。
 けれど香波は気付いていた。
 きっと、学校の誰もが気付いていた。
 ゴミステーションに入っていたのは一花。そして一花は……。

 みんなの憶測は、夕方のニュースで確実な情報に変わる。
『今日午前、ゴミステーションの中から7歳女児の変死体が発見され』
『死後数日経過しており』
『事件と事故の両面から捜査を』
『死体遺棄の可能性も』
 香波にとっては、どの局のアナウンサーも同じような顔に見える。その同じような顔をした人たちが、同じような事を喋る。
 報道番組を見ながら、香波の母は「お祭りの時、1人で行かせなければ良かった」と嘆き、また、「一花ちゃんのお母さんがもっと早く捜索願を出していれば、こんなことにならなかったのよ」と憤った。
 それを聞きながら、香波の視界は自然とぼやけ、ぼろぼろと涙が落ちた。
 香波は自分を嫌悪した。
 普段一花の事を疎ましく思っていたくせに。他の子と同じように、一花を疎ましく思っていたくせに。
 それなのに、こんな時だけ良い子ぶって泣いているんだ、私は。
 涙よ止まれと念じても、後から後からそれはこぼれ落ち続けた。


 りんりんちりん。
 その夜から、鈴の音は聞こえなくなった。

 香波が三年生になるころに、悪戯に一花の命を奪いゴミ袋の底に沈めた男が逮捕されたと報道番組で知った。

 りんりんちりん。
 それでも香波は時折、あの鈴の音が聞こえてくるのではないかと耳を澄ますのだった。



                                 END

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