「えぇと、まずは、日付と時間を設定して、と」
俺は、バイトで貯めた金で買ったデジカメを手に、机の上に広げた説明書を読む。
人が集中しているというのに。
「ぎゃはははは!何だコレーーっ」
その集中を乱す奴がいる。
「う、る、せー、よっ」
俺は椅子に座ったままぐるんと後ろを振り返ると、そこには、ベッドの上に腹這いになって本を読み、馬鹿笑いしている友人、昭利がいた。
人の部屋で許可もなしにここまでくつろぐなよなぁ。
「何の本読んでるんだ、お前」
俺は、ベッド下のエロ本でも発見されたんじゃないかと不安になって昭利に訊いた。
しかし、それは杞憂だったようだ。
昭利が、
「いや〜、久々に見ると笑えるな、これ」
と言って手にしている本を持ち上げ、俺に見せる。良かった、俺の官能コレクションじゃなかった。
「ほんの数年前は、これマジで怖がってたもんなー」
昭利がそう言う本は、その名も「恐怖の心霊写真集」。確か、小6の時の修学旅行に持っていって、みんなで夜中に回し読みした本だ。あれから、ベッド脇の本棚に押し込め、見向きもせず、さらにはその存在すら忘れていたような本だ。
「よくそんな懐かしい本見つけたな」
しかし、それのどこがそんなに笑えるのやら。
俺のそんな疑問に気付いたのかどうか知らないが、昭利は起きあがると、ベッドの上に胡座をかき、俺に本の中の1ページを見せる。
「だってよー、コレなんか、単にカメラのストラップが写り込んじゃっただけだろ」
昭利が本に載っている写真を指差す。
「なのに、『これはこの土地に住む龍神の姿です』とか書いてんだぜ」
そう言って、また昭利はげらげら笑う。それからさらに違うページを開いて、
「これなんかはさ、『逆さになった人の顔が写ってます』って、わざわざ逆さまに写るなよ、霊!て思わねぇ?間抜けっぽいじゃん」
と、また笑う。
確かに、昭利の言う通りではあるけどな。
「お前、よくこんな本買ったなぁ」
と、昭利がせせら笑う。
「うるせぇ。お前だって怖い怖い言って見てただろうが」
昭利の口ぶりに多少むっとして俺は答える。
「だけど最近、このテの本って見なくなったよな」
昭利が、俺の心霊写真集を見て言う。
「そりゃ、この歳になってそんなもん面白くもないからな」
「それもあるけど、やっぱり、少なくなってるよ。それのせいで」
と、昭利は俺の手元を指差した。
「コレ?」
俺は、自分の手に持っているデジカメを見た。
「だってさぁ、デジカメで心霊写真撮れたって話、聞いた事ないだろ」
そう言われれば、そうかもしれない。
「まあな。それに、心霊写真なんてパソコンでいくらでも作れるし」
俺がそう言うと、昭利が続けて
「もしも心霊写真なんかが撮れていたにしても、パソコンで修正できるしな」
と言った。
もしホントに霊なんてもんがいたにしろ、偽造や消去が簡単にできるようになっちゃ、わざわざ写真に写りに来たりはしなくなるわな。
「そう言えば、そのデジカメ今日買ったばっかりだったっけ」
昭利が訊く。
「そうだよ。だから、一生懸命使い方覚えてるんだ。邪魔すんなよな」
俺は椅子を回して、机に向き直る。
再び説明書に目を落とした俺に、昭利が
「なぁなぁ、じゃあそれで、今度写真撮ってくれよ」
と話しかける。
「今俺バンドやってるじゃん。今度ライブやるから、その写真撮ってよ」
そう言えば、昭利ってちょっと前からバンドやり始めたんだよな。
無下にする理由も無いからまあいいか。
「ああ、いいよ。その代わり、お前のトコのキーボードの奴……なんだっけ、田波だっけ?あいつに俺を紹介しろ」
俺が交換条件を出すと、昭利は
「げー、お前、あんな眼鏡女がいいの?」
と本気で非難する。
「うるせぇ、俺は眼鏡萌えなんだよっっ」
まあ、そう断言する奴も少ないんだろうが。
俺は、頼まれた通りに、昭利のライブでたくさん写真を撮ってやった。
その報酬として、最後に、昭利が俺のデジカメで、眼鏡女田波と俺のツーショット写真を撮ってくれた。
田波は、近くで見るとそれほど好みではなかったが、記念としてこういう写真があってもいいだろう。
「現像、早めに頼むな」
と昭利に言われたものだから、俺はライブのその日の夜に、デジカメで撮った写真をプリントアウトする事にした。
あまり夜遅くに起きているのが親にばれるとぐちぐち文句を言われるので、部屋の電気は消し、暗い中での作業となる。
まずは、デジカメとパソコンをUSBケーブルで繋ぎ、画像データをパソコンのモニターでチェックする。デジカメのモニターだと、小さいし、液晶の関係でちょっと見づらいからだ。
それに。
「おっと、この写真の昭利、鼻毛見えてる」
パソコンだと、こういう時に修正してやれる。
写真は、全体的に良く撮れているようだ。
バンドをやっている奴は、どんな奴でも1割は格好良く見えるしな。なにより、俺が格好良く見えるアングルで撮ってやってるからな。
画像データを1つ1つチェックして、俺はそう思った。
そして、最後の1枚。
昭利に撮ってもらった、俺と田波とが並んでいる写真だ。撮った後、田波は「プリントアウトしたら、1枚頂戴ね」なんて言っていたっけな。
俺の横に立つ田波の肩に、俺の手がかけられている。
俺の手?
そりゃないだろう。俺は、そんな事していない。
よく見れば、肩に手をかけられるほど接近しているでもない。そして、肝心の俺の手は、ぶらりと下げられたままだ。
じゃあ、誰の手だよ!
周りに他の人の姿なんて写ってねぇし。
不覚にも、俺はぶるっと身震いした。
「1枚頂戴ね」
田波はそう言ったが、こんな写真渡せるかよ。
そうだ。修正。
不自然無く手を消す、というのは難しいが、俺はその画像を修正することにした。
田波の服の色に近い色で、慎重にその手を塗りつぶして消していく。自分でも、すごく集中している事がわかった。俺の視界には、手をかけられた田波の肩しか入っていなかった。
だから、その「手」を消し終わってから、やっと、写真全体を見直す余裕が生まれたのだ。
「ふぅ」
画面を見過ぎて疲れた目で、もう一度写真を見る。
田波の肩にかけられた「手」は消えた。けれど。
今度は、俺の背後から、俺の左肩に向かって差し伸べられた手が写っている!
「わぁっ」
俺は声をあげた。そうしないと、何か得体のしれないものの気配が、俺を取り囲んでしまいそうに感じたから。
その「手」は、まるで暗闇からにゅうっと出て来たかのように、手首から向こうは影で見えなくなっていた。
「何の冗談だよ」
そう言った自分の声が震えていて、改めて、自分は怯えているのだと思い知らされる。
早く。早く消してしまえ。こんな「手」は。
もう一度、俺は修正作業を始めた。
心なしか、周りの空気が冷たくなってきたような気がする。
気のせいだ。気のせいだ。
妙な考えが起きないように、必死で修正作業に集中しようとする。
が、やはり、ひんやりとした空気は、俺を押しつぶすように迫ってくる。
修正は、かなり雑なものになった。とりあえず、その「手」を暗い色で塗りつぶしただけ。手先が震えて、上手くできなかったのだ。
それでも、一応「手」は消えた。もう、他に「手」は写っていないよな。
俺は写真を隅から隅まで見る。
そして、心臓がぎゅっと縮む思いがした。
いつのまにか、写真の中の俺の右肩に、「手」が乗っていた。
ひやりとした空気が、一層冷たくなった。
特に、右肩。冷たさと同時に、重みも感じる。
俺はおそるおそる、自分の右肩に視線を向ける。
写真と同じように、「手」が乗っていた。
冷たく、白い手が、闇の中から伸びていた。
END