面皰



「いや〜ん、ニキビできちゃったぁ」
 お弁当を食べ終わった後のお昼休み。
 片手に持ったディズニーキャラの四角いミラーを寄り目になりそうなくらいに見つめ、ユキは嘆いた。
「え〜?どこによ」
 私は、ユキの顔を覗き込む。真っ白なキレイな肌。ねたましいくらい。
「ホラ、ここ、ここ」
 ユキは眉間のちょっと上辺りの額を指差す。それは、よぉ〜く見ないとわからないほどの小さな赤味。
「全然たいしたことないよ。目立たないって」
 ショックを受けているユキのために、そう言ってやったのにさ。
「カナコだったらいいんだろうけど」
と、ユキはつん、と顔を背け、ミラーを閉じた。
 なに、その「カナコだったらいいんだろうけど」っていう言い方は。
 そりゃさ、私は他の友達に比べても、ニキビや肌トラブルは多い方だよ。
 私もむかっとして、
「じゃあさっさと家に帰って顔でも洗ってたら」
と言い返してしまう。
 周りの友達が、まあまあととりなそうとしていたけれど、腹立たしさはそう簡単には収まらなかった。
 それはユキも同様だったらしく、ユキは、わざと大きく椅子を鳴らして立ち上がると、みんなと向かい合わせていた机を元に戻し、机の横に引っかけていた鞄を、どん、と音を立てて机の上に置く。
 眉をつり上げ、無言で鞄に自分の教科書やノートをしまっていくユキの様子を、私たちは唖然として見ていた。
 もしかしてユキ、ホントに早退するつもり?バッカじゃないの。
 荷物を片付け終わったユキは、私の方をぎろりと睨んでから、足を踏みならすみたいにして教室を出て行った。彼女は、教室の引き戸を、ばぁんと大きな音を立てて閉めるのを忘れなかった。
「はぁ〜、たまに、ワケわかんないよね、ユキって」
 お弁当仲間のサヤカが呆れている。
「疲れるヤツ」
 私も、そう言ったけれど、それきり、ユキの話題は出さないようにした。
 ユキが帰ってしまった後に、わざわざユキの話で気分を悪くしているのも癪だもの。

 だけど、ユキのニキビが、あんな事になるなんて思わなかった。

 次の日、ユキは額に絆創膏を貼って登校してきた。きっと、ニキビを隠すためだ。
 1日経って、私の怒りも消えていたので、私はユキに「おはよ」と声をかける。
「おはよう」
 返ってきたユキの声は、暗く沈んだものだった。
「そんなにショックなの?」
 私は、ユキの額を指差して訊いた。ユキは無言で頷いた。
 そんなユキの様子がちょっと可哀想になる。
「でもさ、絆創膏なんか貼っていたら、かえって目立つし、治るのも遅くなるよ」
「うん……でも……」
「私、ニキビの薬持ってるから塗ってあげる。ほら、絆創膏取りなよ」
 私は自分の鞄の中からポーチを取り出し、その中からニキビ用の軟膏を出してあげた。
「ありがと」
 ユキはそう言って、額の絆創膏を剥がす。
 そこには、昨日と変わらず、ほんの小さなニキビがあった。絆創膏を剥がしたことによる赤味の方が目立つくらいだった。
 それでもユキは、
「昨日よりひどくなっているでしょう?こんな大きなニキビ、恥ずかしいよね」
と、悲痛な面持ちで言った。
「何言ってるの?全然たいした事ないってば。1ミリもないじゃん、そんなニキビ。薬塗ればすぐに治るよ」
 私がそう言うと、ユキは、
「ホントに?」
と言って、まるで安堵したかのように笑った。
「自分で塗る?」
 私は、ユキに薬を手渡しながら訊く。ユキは「うん」と頷いて私の薬を受け取り、自分の愛用している四角いミラーの蓋を開け、その鏡面を覗き込む。
 その瞬間、ユキは大きく目を見開いたかと思うと、
「ぎゃあっ」
という叫び声をあげ、ミラーを床に投げつけた。
 ぱあん、とミラーが割れる音が教室に響き、破片が床の上を滑る。
 男子の誰かが、「うわっ、危ねっ」と声をあげた。
 私はユキにどうしちゃったのかと声をかけたかったが、出来なかった。
 彼女の異様な様子に、声をかけるどころではなくなってしまったのだ。
「やっぱりいる、やっぱりいる……!」
 泣きそうな声でそう言いながら、ユキは自分の額をがりがりと引っ掻く。彼女の爪は皮膚を掻き破り、血を滲ませた。
「うわぁぁぁぁ!」
 半狂乱になってユキが叫んでいる時に、担任の先生が教室に入ってきた。
「か、金山?どうしたんだ」
 驚いている先生を押しのけるようにして、ユキは教室から走り去った。

 その日の下校後、私はさすがにユキが心配になって、ユキの家を訪ねた。
 ユキの家はごく普通のマンションの10階にあった。
 私が呼び鈴を鳴らすと、中からユキのお母さんが出てくる。私の制服を見て、すぐに、学校の友達だとわかってくれたようだった。
「ごめんなさいねぇ、あの子ったら、病気でもないのに早退なんかして」
 ユキのお母さんは、困った顔をしてそう言い、私を居間に通してくれて、ユキを呼んだ。しかし、ユキは出てこなかった。
「もう、せっかくお友達が来てくれたのに」
 ユキのお母さんは呆れたようにそう言うと、私に向かって
「ごめんね。ニキビなんかで早退するなって私も言ったんだけれど。それくらいで早退するなんて、おかしいわよねぇ」
「はぁ、まあ」
 私は曖昧に答えた。だって、母親の前ではっきりと「おかしいです」なんて言えないじゃない。
「こん〜な小さなニキビなのに、大きなニキビだ、大きなニキビだって言うのよ」
 ユキのお母さんは、指で何かを摘んでいるような形を作って、ユキのニキビの小ささを表した。
「ねぇ。気にする事ないのにね。ほら、ユキ、来なさい」
 そう言いながら、お母さんはユキの部屋に歩いていった。
 その数秒後。
 ガラスが割れる音がして、同時に、ユキのお母さんの悲鳴が私の耳に届いた。

 ユキが自宅マンションの窓を割り、そこから飛び降りて重体であるという話は、あっという間に学校に広まった。
 どこに行っても、小声でユキの話をしている声が聞こえた。
 女子トイレなんかでは、集まっている女の子たちは必ずと言っていいほど、ユキの話をしていた。
 私は暗い気持ちになりながら、手を洗う。そして、ふっと顔をあげると、そこに、鏡があった。
 鏡の中の私の顔には、いくつかのニキビがある。
 ユキは、このニキビの、たった一つを気に病んで身を投げたのだろうか。
 そう考えながら、私はニキビの一つ一つをじっくりと見た。
「あれ?」
 いくつかある私のニキビのうち、一つが蠢いたような気がした。
 私は鏡に顔を近づける。
 そこには、何の変わりもないニキビ。
 気のせいか。一瞬盛り上がって、ひくひくと上下に揺れたような気がしたんだ。

 家に帰って、お風呂上がりに鏡を見たとき、それが気のせいじゃなかった事がわかった。
 頬にあるニキビが、500円玉くらいの大きさになっていた。
「何、コレ」
 思わずそこに触れると、ニキビは私の指先から命を貰ったかのように、鼓動のようにどくんどくんと波打ち始めた。
「お、おかあさんっ」
 私はバスタオルを体に巻いたまま、バスルームを飛び出て、キッチンで洗い物をしている母に泣きついた。
「私の、私の顔にっ」
 涙がぽろぽろと出て、喉がひりひりと痛んで、上手く喋れない。
 しかし、母は。
「どうかしたの」
と、のんびりと聞き返した。
「こ、これ、見てよ。ニキビがこんなに大きくなったの!」
 叫ぶようにそう言った私の言葉を、母は「何言ってるの」と怪訝そうな顔で跳ね返した。
「なんともないわよ。普通のニキビよ。おかしな事言うのはやめなさい」
と、母は厳しい顔をした。
 母は、ユキがニキビを苦にして自殺未遂をしたという話を聞いている。
 だから、私が悪い冗談でも言っているんじゃないかと思ったのだろう。
 しかし、母がそう言うという事は、母には、私の異常なニキビが見えていないという事なのだろうか。
 やはりあれは、私の見間違いだったのだろうか。
 見間違いにしては、はっきりしすぎてはいるのだけど。
 私は、これ以上母に何かを言っても無駄だと思った。
 鏡であのニキビを見つけてから、心臓がばくばくいい、体もがたがた震えていたけれど、私はなんとか自室に戻ってパジャマに着替えた。
 それから、机の上に置いてある鏡に、もう1度自分の顔を映してみる。
 私は息を飲んだ。
 やっぱり、やっぱり生き物みたいなニキビがそこにあった。
 私の意に反して、びくんびくんと、先程見た時よりも激しく動いている。
 私は叫び声を上げて、鏡を机の上から払い落とした。
 鏡は床に落ちる。割れはしなかったけれど。
 床に落ちた鏡は、学校でユキが鏡を割った時の事を思い出させた。
 ユキ、もしかして、ユキの顔にも……?
 私の頬がズキンと痛んだ。
 もう寝てしまおう。きっと明日になったら、こんなものは消えている。消えているはずなんだ。
 私は部屋のカーテンを閉めようと、窓に近づいた。
 ……そして、窓に映る自分の顔が目に入ってしまった。
 私は、ごくりと唾を飲み込んだ。
 窓に映る私の頬にも、やっぱりそのニキビはあった。
 でもこれは、きっと私以外には見えないものなんだ。ユキのニキビみたいに。
 大きなニキビ。私はそれをじっと見た。
 大きな、蠢くニキビ。でもこれは、私にしか見えない。なら、見える事に我慢すればいい。私は、ユキみたく、こんなものに負けはしないんだ。
 そう思って、睨むみたいに、私はそのニキビをしっかりと見た。
 だけど。
 そのニキビが激しく痛んだかと思うと、ぐにゃりぐにゃりと蠢きながら人の顔みたいに変化し、私は耐えられなくなった。
 自分でもよくわからない奇声をあげ、私は窓ガラスを殴った。
 窓ガラスは震えただけで、まだ私の頬の奇怪なニキビを映しだしている。
 私は手が痛むのを我慢してもう1度窓ガラスを殴る。2度、3度。
 とうとう私は椅子を持ち上げ、2、3歩下がってから、助走をつけて、窓に椅子を打ち付けた。
 窓ガラスは割れ。
 私の体は、助走をつけていたせいだけじゃない、何かに後ろから押されたように。
 割れた窓ガラスから、外に飛び出し、落下した。


                                 END

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