現代怪奇物語

無自名

 ある12月の夜、我が部の忘年会を終え、私はいいだけ酔っている自分の部下を支えながらよたよた歩いていた。
 何しろ、こいつは学生時代ラグビーをやっていたとかで、やたらとガタイが良いのだ。
そのくせ、酒には弱かったらしい。

「課長〜。なんでぇ、もっと、強く、言ってやららいんですぅかぁー。あのう、部長はーぁ、一言、一言ですよう、言ってやらんと、いけないんで、すぅぅ〜」

 部下はさっきから、同じ事を何度も口にしている。
その度、ああそうだな、わかったわかったと、なだめては歩みを進ませる。
なんだか、言うことを聞かない牛を飼っているようだ。

「う、うぷっ」
「おい、大丈夫か」

 部下は、吐き気を催したらしく、突如、しゃがみ込む。
 私は、背中をさすってやりながら、早くタクシーが通りかからないものかと思った。
そうしたら、こいつを車内にぶち込んで、自分は充分、終電に間に合うのだが。
「ねぇっ、聞いてますぅ?」
 内容物を全部吐ききらないうちに、部下がこちらを見あげたものだから、私は思わず、顔を背けてしまった。
しかし、その彼に違和感を感じたのは、なぜだ?

 私は視線を戻す。
「おい、お前…?」
 しまった、私も酔いがまわったか?いや、しかし、いくら酔っているとはいえ、
「顔は、どうした?」
 間抜けな質問が口をついてでた。顔がない。ではなく、顔の中の、目も、鼻も、口も見えない。そんな事って、あるか!

「うわ、あああ」

 私は多分、奇声をあげたと思う。そしてそのまま、足をもつれさせながら、走ってその場を逃れた。
 なんだ、なんだ、今のは。街灯や、コンビニの看板、その前に設置されている郵便ポスト。全てがはっきり見えるのに、ヤツの顔の中身だけが、見えなかった。

 私はとにかく、明るい所に行きたくて、コンビニに入った。
 息をきらせて、よほど、ぜいぜいいっていたらしい。
「いらっしゃいませ。…どうかしたんですか?」
 店員、夜のバイトらしき若い男性の声がかかる。
 まさか、部下の顔がなくって逃げました、とは言えまい。

「いや、なんでもないんだ」
 そう言って、声がかかってきた方向を見て、息を飲む。
 こいつも、顔がない!
「わあ!」
 私が悲鳴をあげると、店内にいた客全員が、こちらを見た。
「わあ!」
 私は再び、悲鳴をあげる。ほんの少し、予想はしていた事だが、こちらを見ている客も、全員、顔がなかった。

 逃げよう。私は、踵をかえし、外に出ようとした。
 すると、店内に入って来ようとしていた客と、けっこうな勢いでぶつかった。
 見るな。こいつも、顔がない。

「ちょっと、おじさん、人にぶつかっといて、誤りもしないわけ?」
 若い女の声だ。わたしは、ついつい、顔をあげ、彼女を見てしまった。
 そして、今までとは違う意味で、驚いた。
 顔が、ある。

「き、君。店には入らない方がいい」
「はぁ?」
 何、言ってんの。その表情がそう言っていた。しかし、私は言わずにはいられなかった。
「みんな、顔がないんだよ。ああ、こう言っても、わかってもらえないかもしれないが」
「それって、さあ。こんな顔?」
 彼女は、持っていたショルダーバッグのなかから、携帯用の鏡を取り出し、私に見せた。
「!!!」
 そこに映っていた、私の顔も。
 なかった。

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