間の悪い男

「CDショップはないか?」
 駅前通で突然、ハードボイルドな出で立ちの男に声をかけられた。
 その人は、曇天だというのに真っ黒なサングラスをかけていた。
 さらには黒い帽子に黒のスーツ、ネクタイも黒、しかしシャツだけは新品のように真っ白で、糊も効いていそうだ。
 随分と、いかにもな格好だ。上着の下には拳銃が隠されているに違いない。
 それにしたって、ナゼにCDショップ?
 こういう格好ならば、似合うのは人気のない波止場。そこで国籍の知れない男と合い言葉を交わし、怪しいブツなんかの取引をして頂きたい。
 まさかナンパ?それならますます、こんな格好はおかしいだろう。
 私がいろいろ思考を巡らせ返答しないでいると、ハードボイルド男は
「ああ、すまない。実は、舞台で使うCDを忘れてしまってね」
と、上着の内ポケットから名刺入れを取り出した。
 そして、私の目の前に差し出された名刺は「劇団オー・ソレ・ミーオ 演出兼俳優 阿部豊」と印刷されていた。
「急がなければ、1時間後の公演は水の泡さ」
 なるほど、俳優さんか。喋り方までハードボイルド調なのは、役に入り込みすぎてしまっているからか。
 失礼ながら、吹き出してしまった。
「何か?」
 ハードボイルド阿部は怪訝そうに眉を動かす。
「いえ、なんでもありません」
 面白いから、指摘しないでおこう。
「1番近いCDショップなら、あの信号を渡って右に曲がって、1番目の小路を左に入って突き当たりの2軒手前にありますよ」
 私も半年くらい行っていないけれど、確かそこにはCDショップがあったはずだ。
「信号を、渡る。右に、いや、左に?曲がる?」
 ハードボイルド阿部は私が指差した信号をじっと見つめ、教えられた道順を反芻している。しかし記憶があやふやなようだ。
 もしかしてハードボイルド阿部、方向音痴か。
 またしてもこみ上げてくる笑いを抑えながら、私は言う。
「あの、案内しましょうか?」
 袖にすがりつかんばかりの勢いで、ハードボイルド阿部は
「頼む。恩に着る」
と答えた。
 なんというか、可愛いなぁ。出で立ちはヘンだけど。
「ところで、何のCDなんですか」
 並んで歩きつつ、私は尋ねた。
 無言で歩き続けるのもなんだか居心地悪いし、それに、こんな面白そうな人と話をしなければもったいないではないか。
「どれと決まっている訳ではない。ただ、場面に似合う音楽であればいい」
「じゃあ、どういうシーンなんですか」
「そうだな」
 ハードボイルド阿部は不意に声のトーンを落とした。
「ガス灯が照らす夜の路、男と女は無言で歩いている。しかし二人はわかっていた、これが最後の逢瀬だと。女と別れたが最後、男は危険な仕事へと身を投げ出さねばならない。女は止めたい、だが男の気持ちを考えれば止めることなど出来ぬ。二人の傍らを1台の車が通りすぎる、そのテールランプが見えなくなったのを合図に男は時間だと行って彼女を置いて走り出す。男の耳に自分の名を呼ぶ女の声が聞こえる、しかしそれは強い風の音にかき消される。轟く雷鳴。今なら叫んでも誰にも気付かれまい、男は自分の感情を体から押し流すように、叫ぶ、うぉぉぉぉぉーーー!」
「あの、落ち着いてください。さすがに恥ずかしいですから」
 説明が進むにつれて、ハードボイルド阿部の声が大きくなり、周囲からの視線も強くなったので、私は慌てて止めた。
「すまない」
 ハードボイルド阿部は冷静さを取り戻した。あ、ちょっと頬が紅潮している。本人も恥ずかしいということに気がついたか。
「ところで、CDショップはどの辺りだ」
 もう10分以上は歩いたから、そろそろ見えてもおかしくないのだが。
 私の記憶にあるCDショップが全く見えてこない。
「もうすぐなんですけどね。確か、この辺りにあったはずですけど」
 私はCDショップがあるあたりを指差し、その付近に注目する。
 すると確かに、そこにCDショップはあった。しかし、私の記憶のものとはかけ離れていた。
 大きな看板に色鮮やかに描かれているのは、なんだろう、テレビアニメの女の子?
『マンガ・アニメ音楽専門店』という丸文字フォントが店の入り口に掲げられている。
「あら、いつの間にか趣向替えをしたのね、このお店」
 参ったな、このお店じゃ、ハードボイルド阿部の探し求めるようなCDを見つけるのは難しいかもしれない。悪いことをしてしまったな。
 私は、ハードボイルド阿部の顔をマトモに見ることが出来ず、そろそろと横目で彼の表情を盗み見た。
 サングラスで目は隠されているが、やはり、落胆した表情はよくわかる。
「ご、ごめんなさい。あのっ、別のとこ、どこか探しましょうよ」
 そうは言ってみても、私もこの店以外に付近のCDショップの当ては無い。
「いや、もう時間がない。ここで良い」
 ハードボイルド阿部は意を決した表情で顔をあげる。
 なんだか格好良く見えちゃいますけど、行く先はアニメ専門のCDショップですから。
 大股で颯爽と店内に入るハードボイルド阿部。私もその後ろを追った。
 ハードボイルド阿部は店内を突っ切ると真っ直ぐレジカウンターへ向かい、バイトと思しき店員に声をかける。
 腹の底から出した低い声で。
「おいお前、甘く切ない音楽が入ったCDを出しな」
 なんなの、その脅迫っぽい口調は。「金を出せ」と言った方がよっぽど似合いそうだ。
 バイト店員も、まるで「金を出せ」と言われたかのように怯えてCDの棚を漁り始める。
「いいか、歌入りなんかよこすんじゃねぇぞ」
 と、ハードボイルド阿部が追い打ちをかけ、最終的にバイト店員は2枚のCDを厳選しハードボイルド阿部に差し出した。
「よし、2枚とも貰おう」
 ハードボイルド阿部は上着の内ポケットから黒革の財布を取り出し、中身を改める。
「やっぱり1枚にしてくれ」
 きっと、お金が足りなかったのね。
「あの、どちらが?」
 バイト店員がおずおずと、どちらのCDを買うのかと尋ねる。
「そんなもの、お前が決めるんだ」
 いや、決めるのはあなただと思いますよ、ハードボイルド阿部。
 しかし、バイト店員は文句も言わず従順に、彼の右手に持っていた方のCDを差し出した。
「ご苦労だったな」
 ハードボイルド阿部はCDを受け取って、バイト店員の手に現金を握らせた。
 今更ながら、本当はあのCDケースの中にはCDなんか入っていなくて、変な薬が入っていたりとかしないかなぁ、と考えてしまう。
 それにしても、ハードボイルド阿部の買ったCD、ジャケットが裸の女の子の絵なんですけど、本当に中身大丈夫なんだろうか。
 とにもかくにも、目的物を入手してハードボイルド阿部は店を出る。
 しかし、一歩外へ出た途端に、
「うぉう……!」
と絶望的な呻き声をあげ、その場にしゃがみこんだ。
 なんだなんだ、今度は何が起こったんだ。
「どうしたんですか」
「なんてこった、雨だ」
「え?」
 空を見上げた途端、私の頬にもぽつりと雨粒が当たった。
「ほんとですねぇ」
 雨はあっという間に本降りになる。
 だけど、雨だからってここまで落ち込むコトだろうか。
「あ、そうか。衣装が濡れると困りますもんね。でも大丈夫ですよ。私、折りたたみ傘持ってますから、貸してあげますよ」
 私が鞄の中から折りたたみ傘を取りだそうとすると、ハードボイルド阿部はサッと右手を挙げて私の行動を制止した。
「違うんだ。そういう問題じゃないんだ」
「どういうことです?」
「舞台は、屋外ステージなんだよ」
 な、なんですと。
「それじゃあ、今日の公演はどうなるんですか」
「もちろん、中止だ」
 がっくり肩を落としつつも、ハードボイルド阿部は立ち上がる。
「とりあえず、戻るよ」
「あ、一緒にどうぞ」
 私は手を伸ばして、自分とハードボイルド阿部が中に入るように、傘を掲げた。
「ああ、ありがとう」
「いえいえ」
 てくてく歩きながら、ハードボイルド阿部はサングラスを取り、その水滴を黒スーツの上着の裾で拭き取る。
 初めて見る彼の目は、下がり気味で小さくて、あんまりハードボイルドっぽくなかった。
 そして阿部さんは語り始める。
「俺はなんていうかさぁ、間が悪いんだよね」
 それ、なんとなくわかります。とは思っても言えなかった。
「今日はね、昔別れた彼女が見に来る予定だったの」
 もう役柄に戻る必要は無いからか、阿部さんは拭き終わったサングラスを胸ポケットにしまい、はぁ〜、と溜息をついた。
 別れた後も良いところを見せたかったんだろうな。
「次の公演に来てもらうことはできないんですか」
「彼女、旅行でこっちに来るついでに見に来る予定で、明日、帰っちゃうんだよ」
「明日は公演予定無いんですか」
「あるよ」
「なんだ」
 この落ち込み様から、今日しかチャンスが無いんだと思ってしまった。
「なんだって言うけどね、明日しか来てもらえないのと、今日も明日も来てもらえるのじゃあかなり違うんだよ」
「でも、もう別れてるんですよね」
 阿部さんは、ぐっと言葉に詰まった。
「それに、明日も雨降っちゃったりして」
 ちょっと意地悪な気持ちになって、そう言ってみた。
「そうなんだよな。俺、こういう時って本当に間が悪いんだ。うん、それもあり得る」
 阿部さんがどんどん落ち込むのが手に取るようにわかる。
 見ていて飽きないなぁ、この人。
「もし、明日も雨が降ったら、それ、きっと神様のお告げですよ」
 私がそう言うと、阿倍さんはきょとんとしてこちらを見た。
「別れた彼女のコトは忘れちゃった方が良いよっていう、お告げです」
 自信たっぷりにそう言ってから私は、傘の柄を「どうぞ」というように、ちょっとだけ阿倍さんの方に向ける。
 阿倍さんはきょとんとしたまま、私の傘を受け取った。
「丁度そこのデパートで可愛い傘売ってて、私、前からそれ欲しかったんです。今日はその傘買って帰りますから、この傘は貸してあげます」
 前から欲しい傘があったのは、本当だ。
「あ、ありがと。でも、いつ返せば……」
「明日雨が降って、明後日晴れたら、私、阿倍さんの舞台見に行きますね。傘はその時返してください」
 この言葉の意味、阿倍さんわかってくれたかな。
 わかんないだろうな、この人。鈍そうだもん。
 まあいいや。
「それじゃあ」
 私は阿倍さんに手を振り、デパートの入り口まで極力雨に濡れないように走った。
 阿倍さんはまだきょとんとしてこちらを見ている。それでも、手は振り返してくれた。
 明日雨が降ったら、別れた彼女なんか忘れちゃってさ。
 明後日から新しい恋愛をしてみたら?
 きっとそういうお告げだよ。
 もしそうなった時には、新しい恋愛の候補には、私を入れてね。
 私が言った言葉の意味は、そういうコトだよ。

   そして翌日は、当然のように雨だった。


あとがき。
この小説は、「Mystery Circle」様に投稿した作品です。
ちょっとパンチの弱いストーリーになってしまいましたが、私にしては珍しいハッピーエンドの恋愛話を書くことができて、それに関してはまぁ良かったかな、と思っています。

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