海面花火




 奇妙な浮遊感。まとまらない思考。
 自分で瞼を開けているのか閉じているのかわからない。
 ただ、暗闇。
 遠くで花火の音が聞こえる。

 私が住んでいたのは、さびれた漁港の町で、祭りの最終日に、毎年、港で花火大会が開催された。
 子供の頃、両親に連れられて、それを見に行った。
 姉は、空を見上げ、花火が上がる度、きれい、きれいとはしゃいだ。
 しかし、私は、じっと、下を見つめていた。
 私が見ていたのは、海だった。港の海は、穏やかで、ゆらゆらと海面が揺れている。
 そこに映った花火に、私は見入っていた。
 色鮮やかな花火が、ゆらりゆらりと揺れるのが、空の花火より美しいと感じたからだ。
 その話を、隆史に話したら、「お前は変わってるな」などと言って笑れたりもした。
 隆史には、いつか、その花火大会を見に行こうね、なんて言っていたけれど、それは実現しないままに、私の心は彼から離れた。

 再び、遠くで花火の音がする。
 私の意識は、花火の音で呼び戻され、そして集束されていく。
 ああ、今日は、お祭りの最終日だったっけ。
 この花火の音は、どこから聞こえているんだろう。そして私は、どこにいるの。
 聴覚の次に戻ってきたのは、皮膚の感覚。
 祭りの時期にしては、とても寒い。人々の喧噪もない。
 しかし、花火の音は鳴り続ける。
 どこから。
 私の、真上から?
 私は、顔をあげた。
 その瞬間、視覚が蘇り、私の頭上で濃紺の中に大輪の花火が咲いたのが見える。
 そして花火は、ゆらり、と揺れた。
 揺れる花火。見覚えがある。子供の頃に見た。
 これは、海面の花火だ。
 子供の頃は足元に見えていた海面の花火が、なぜ今は、頭上に見えるのだろう。
 そして、花火は真上で咲いているのに、なぜ、こんなにも音が遠いのだろう。なぜ、周りに誰もいないのだろう。
 私は自分の周りをぐるりと見渡す。
 そこはただの濃紺の世界。
 奇妙な浮遊感が体から抜けない。真上に咲く花火みたく、私の体もゆらゆらしているみたいに感じる。こんな状態で、私はなぜ立っていられるんだろう。
 私は足元を見た。
 そして私の足首に、ぎっちりとロープが縛り付けてあるのを見つけた。
 私の視線は、そのロープの先を追う。そこには、助手席の窓が開け放たれた赤い乗用車があった。ロープはその窓の中に繋がっていた。
 乗用車の運転席に見えるのは。
 隆史。
 ほとんど暗闇に近いのに、彼が蒼白な顔をして、すでに息のないことがなぜか見えた。
 隆史。
 私は思い出した。
 かつて愛した彼が、私の愛を取り戻そうと、形相を変えて家に乗り込んできたことを。
 いつも優しかった彼が、あんな顔をするなんて知らなかった。
 私は話し合うつもりで彼の車に乗ったけれど。
 彼は車のルームミラーの柱と私をロープで繋ぐと、そのまま港へ走った。
 そのまま海へ、海の中へ走った。
 ばかね。心が一緒にいられないなら、肉体だけでも、だなんて考えた?
 ゆらり、ゆらり。
 花火は揺れる。
 そうだ、ここは、海の中。
 私の体も、もはや生のあるものではないのだ。
 さあ、もう一度意識を手放そう。そして私はもう目覚めない。
 海面花火は今、私の上にある。


                                 END

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