ルルカの授業は楽しかった。見たことのない鉱石たち、知らない国の話。全てが、ニネにとって興味深く、未知の地への憧れを刺激された。
休み時間に廊下に出て、海のよく見える窓から外を眺めれば、より一層、海の向こうへの思いが募る。目を瞑れば、あの、内側から星々の輝きを放つ鉱石の光が思い浮かぶ。
それなのに、心はどこか晴れない。
ニネは教室の窓から遠くに見える海を眺めた。
「ニネ、あんまり落ち込まないで」
いつの間にか傍にいたレオに声をかけられる。
「ジェスだって別に、ニネが嫌いって事じゃないと思う。むしろ好きなんだと思うよ。それなのにさ、あんな言い方ないよね」
「その事はもういいわよ、レオ」
「でもさ、ニネ朝より元気ないじゃない」
「そんな事ないわ。さっきの授業で見た石を思い出してぼんやりしちゃっただけよ」
半分くらいは嘘じゃない。レオは授業中の感動を思い出したらしい。
「あの石、すごい綺麗だったよね。あの石を拾いに南大陸に行きたくなっちゃった」
「うん。だからね、もうちょっと、一人であの石のことを思い出していたいの。ごめんね、一人にしておいて」
ニネは申し訳なさそうに笑ってレオに言った。
「ニネ……」
レオは一気に心配そうな顔になる。やはり、ニネが気落ちして見えたから。
「ごめんね。本当に。ね?」
「わかった」
レオは渋々その場を立ち去る。
レオの足音が聞こえなくなってから、ニネはふうっと息をつき、窓の桟に寄りかかる。ほのかな潮の匂いの風が、浮かない表情のニネの頬を撫でる。
「学校、つまんないな……」
自分にすら聞こえにくいくらいの小さな声で、ニネはそう言った。
言葉にしてみて、はっきりわかった。そうだ、つまらないのだ。
学校で教える勉強のほとんどは、父と共に海を旅していた時、家庭教師に教わっている。
それに加えて、同級生たちの幼稚さ。
無理に恋をしようなんていうのも、コドモの証だ、とニネは思っていた。
クラスの女の子たちの中で、恋する感情というものを明確にニネに説明できる子なんていなかった。それなのに、誰かを好きだと言ったり、それをからかったり。そんなもののせいで、簡単に態度を変えたり。
ニネはジェスの背中を思い出し、その映像を頭の中から追い払おうと、うつむいて頭を振る。
もう一度、旅に出たいな。遠いところに。南大陸に行ってみたいな。きっとそこには、知らない事がたくさんある。学ぶ事がたくさんある。
ニネは顔をあげ、海の向こう、見えぬはずの大陸をじっと見つめた。
ニネの憂鬱は放課後になっても消えなかった。
校舎の正面玄関ポーチの柱に背中を預けて立ち、ぼんやりとエルオウィーラの迎えを待つニネに、レオを初め何人かのクラスメイトが声をかけていったが、ニネは気の抜けた返事を返すだけであった。
そのうちに、ジェスも校舎から出てきたが、今度はニネも、彼に声をかけなかった。
ほんの1秒ほど、ニネはジェスと目が合ったけれど、お互い約束事のように何も言わず、表情も変えず、ジェスはついと顔を背けると半ば駆け足で校庭を抜け、校門の向こうに出て行った。ニネはつま先で軽く地面を蹴った。本当は思い切り土を蹴飛ばして、ジェスの背中にかけてやりたかった。
ジェスが出て行った少し後、門の向こう側に生成のマントが見えた。
エルオウィーラだ。
ニネは柱に預けていた背中を起こす。
エルオウィーラは、少し様子がおかしかった。なんだか、右に左に大幅にぶれて歩いているように見える。
途中で下校する生徒にぶつかりそうになり慌てて身を避けると、その先にあった小石に足をとられてよろけるが、なんとか転ばずにすんだようだ。
ニネは思わずくすっと笑いをこぼした。
しかしいったい、エルオウィーラはどうしたというのだろう。
ニネはエルオウィーラに駆け寄った。
「エルオウィーラ、なんだかあなた、ヘンだわ」
「ニネ。待たせてしまいましたか」
エルオウィーラはニネの姿を目にとめると、にっこりと笑った。しかしその笑顔も心なしか力無い。
「あなたもしかして、お腹すいてる?」
エルオウィーラの食料が「食事の香り」だということは、今のところニネ以外は知らないことだ。だとすれば、エルオウィーラが食事をしていない可能性も想像できる。
「ええ、その、まあ」
エルオウィーラはばつが悪そうな顔をした。
「お父様と一緒に、船の修復を手伝っていたのですが、動くとどうしても……すみません」
と、照れ笑い。
ずいぶんとエルオウィーラの表情の種類が増えたみたいだ。
もしかしたら、今朝、ニネから笑顔を学んだように、今日一日で、いろいろな人からいろいろな表情を学んだのかもしれない。
エルオウィーラのこの端正な顔立ちは無表情のままでも十分魅力的であったが、多彩な表情があった方が尚、見ていて楽しい。
「それじゃあ、早く帰りましょう。家につけば、叔母さんかお祖母ちゃんが何か作ってくれるわ。できれば甘いお菓子がいいわね。エルオウィーラが香りを食べた後に、あたしがそのお菓子を食べられるもの」
ニネはエルオウィーラの動かない左手をとり、歩き始めた。
しかし、エルオウィーラは動かなかった。
「エルオウィーラ、どうしたの?」
ニネはエルオウィーラの顔を見上げる。彼の目は、少し遠くを見ていた。
「あの子達が乗っているあれは、ルルカさんの持ち物じゃありませんでしたっけ」
ニネもエルオウィーラの視線の先を追った。
「あっ」
と、ニネは声をあげた。
自転車置き場の端に置かれたルルカのオートバイを3名の上級生らしき男子学生が触っており、そのうちの一人は座席に跨っている。
オートバイからばたばたばたっと音が鳴り、後輪の横に付いた筒から白い煙が出てきた。オートバイは今にも動き出しそうだ。
「他人の持ち物を勝手に使うことはいけない事ですよね」
「そうだけど、そうじゃなくて……あの乗り物、壊れているのに!」
ニネは、今朝ルルカが派手に転んだことを思い出した。今重要な事は、上級生の窃盗ではなくて、あのオートバイが危険だということだ。
「ダメよーーっ」
ニネはエルオウィーラの手を離し、上級生たちの方へ駆けていく。
オートバイは前輪を持ち上げ発進し、一気に誰もが予想していないほどの速度になる。「うわぁっ」
乗っていた男子が懸命にハンドルを操作するが、オートバイは、水を一気に放出するホースの様に蛇行して言うことをきかない。その先には、驚いて足がすくんでしまっているニネがいた。
「ニネ!」
エルオウィーラは革ベルトに結わえていた杖を取り出す。杖に埋め込まれた石が瞬き、オートバイに向かって真っ直ぐな光線が2本、放たれる。
光はそれぞれ、ニネとオートバイを包む。
ニネの体は一瞬にしてエルオウィーラの傍に引き寄せられて、光は消えた。
オートバイの方はというと、光に包まれたまま、ふわふわと宙に浮いている。その後輪はまだぎゅるぎゅると音を立てて回っている。
「ニネ、あれはどうすれば止まるんですか」
エルオウィーラがニネを守るようにマントで包み込んで訊く。
「とりあえず、あの車輪を止めて。あ、でも、あの人に怪我をさせるようなやり方はダメよ」
「わかりました」
エルオウィーラが杖を掲げる。が、掲げきる前に、オートバイから強い光が幾筋か放たれ、内側から風船を突き破る針のようにエルオウィーラの光球を貫いて消した。
あっと思う間に、オートバイは生徒を乗せたまま、真っ直ぐに地面へと落下する。
「エルオウィーラ!」
ニネが叫ぶと同時に、エルオウィーラの杖から今一度光球が放たれ、オートバイを包み込んだため、オートバイと生徒が地面に叩きつけられるような事態は避けられた。
「怪我をさせないようにって言ったじゃない!」
ニネが責めると、エルオウィーラは頭を振る。
「違います、これは私じゃない。何かが私の魔力に反発しているんです」
エルオウィーラの杖を握る手に力が込められる。ニネは、エルオウィーラが杖を通して何かを抑えているのだとわかった。
エルオウィーラの放った光球の内側で、白い光の弾が暴れている。ここから出せというように暴れている。
「エルオウィーラ」
ニネはエルオウィーラのマントの端をぎゅっと握り、心配そうに彼の顔を見上げた。
エルオウィーラはしばし視線すら動かさずにいたが、やがて短く「そこか」と言うと、素早く杖を振り上げ、早口で呪文を唱えながら小さな魔法陣を空に描く。
「アーロ!」
エルオウィーラのその声を合図に、魔法陣は矢のように形を変え、真っ直ぐに飛んでいった。
魔法の矢は光球を貫いて、オートバイの後輪の横、煙をあげている筒の中にすぽんと入り込んだ。
その途端、暴れる白い光弾がふっとかき消えた。前輪と後輪が、ぽぽんっ、と続けざまにパンクする。
「もしかして、うまくいったの?」
ニネが訊ねるが、エルオウィーラが答えるまでもない。
生徒を乗せたオートバイは、光球に守られて、ふわりふわりと地面に着地した。
地面に足がついた途端、オートバイに乗っていた生徒は、転げ落ちるようにして座席から降りると、震える声で、
「お、オレは悪くない、オレは悪くない。だってあいつらが……」
と言いつつ、自分の後方、仲間たちがいた場所を振り返る。
しかしそこには、すでに逃走した後なのだろう、彼の仲間達の姿はなかった。
「ちょっと!大丈夫なの?」
そこへ、ルルカがジュンを従えて駆けてくる。ジュンは荷物持ちをやらされているので、ルルカに置いて行かれないように走るのに苦労しているようだった。
見物人の中の、低学年の男の子が、
「せんせい、あのひとたちが、せんせいの自転車壊したよ」
と、エルオウィーラ達を指さす。
「オレは違うっ」
そう叫んで、上級生の男子は、未だがくがく震える足でその場を逃げ出す。
「先生、あたしたちは壊すとかそういうつもりじゃなかったんです」
ニネが即座にルルカに弁解する。
ルルカはパンクしたオートバイを眺めて、
「わかってるわよ。だいたい見ていたわ」
と、ため息をついた。
「間違いだったかなー、コレに乗って来たの」
「あの、ちょっといいですか」
エルオウィーラがオートバイに歩み寄る。
「何かしら?」
ルルカがきょとんとしていると、エルオウィーラはオートバイの後輪横についている筒に手を当てた。
「排気筒がどうかしたの」
ルルカが質問する間に、その「排気筒」がべこっと真ん中から折れた。
「きゃっ」
ルルカは驚いて一歩下がる。
折れた排気筒から、ふわふわと浮かび上がってきたのは、乳白色で半透明の荒削りな石が2つ。親指の先くらいの大きさだろうか。それらは、立ち上がったエルオウィーラの手の中に、すぽっと収まった。
「ああっ、そんな所に入っていたのね!」
ルルカは石を指さして大声をあげる。
「私のお守り。朝からずっと探してたのよぉ」
「お守り?」
エルオウィーラとニネは、その石を見つめた。
「何のお守りなんですか」
エルオウィーラが石をルルカに手渡しながら訊く。ルルカは小さな少女のように、えへへ、と頬を染めて笑い、
「好きな人に会えますようにって、お守りよ」
と、その石をぎゅっと握りしめた。ニネは、まるで子供のような反応のルルカに呆気にとられてしまった。
「でも、この石は私の魔法をはね除けましたよ。魔法から身を守るお守りではないんですか」
エルオウィーラが訊くと、ルルカは、
「本来は、そういう力のある石みたいよ。でも、私にとっては違うの。そうだ、これ、1つあげるわ」
と、2つある石を1つ、エルオウィーラの掌に落とす。
「そんな、これはルルカさんのお守りなんでしょう」
エルオウィーラはそれを返そうとするが、
「いいのよ。私のオートバイで生徒が怪我しそうになったのを止めてくれたお礼。1個でも効果はあるし、私はまた旅先でこの石を見つけられるかもしれないものね」
と、ルルカの手に押し戻される。
「わかりました。では、このお守りは、ニネに持っていてもらってもいいですか。私はこのお守りがなくても大丈夫ですから」
エルオウィーラは石をニネに手渡す。ニネは初めて見る石の美しさに、しばし見とれた。
「もちろん、いいわよ。でもね、そのお守りを持っていたら、もしかしたら、私の好きな人と会っちゃうかもしれないからね。その時はスグに私に教えてね」
と、ルルカはニネにウインクした。
「その、好きな人っていうのはどういう方なんですか」
エルオウィーラが尋ねると、ジュンがあきれ顔で荷物の中から写真を一枚取り出した。
「この人です」
それは、商店街で売られている、人気のある海賊の写真だった。写真の隅に、『ジェイドライト・マクリール』と名前が入っている。
その名前なら、ニネも聞いたことがあるくらい有名であった。
「ちょっと!その写真は他の街では売っていないレア物なのよ。なくしたりしたら困るんだから、ちゃんとしまっておいてちょうだい!」
ルルカの叱責に、
「全く……年甲斐もなく」
とジュンが呆れつつも写真をしまった。
帰り道、ニネは石を太陽に透かしてみたり、掌に置いて眺めてみたりしながら歩く。
「きちんと前を向いていないと危ないですよ」
エルオウィーラが注意しても、
「その時はエルオウィーラが守ってよ」
と、石に夢中である。
「すごい綺麗よ。ただの白い石に見えるけど、こうやって太陽にかざすとね、中で色んな色の小さな光が乱反射してるの。でもね、先生が授業で見せてくれた石はもっと綺麗だったわ。太陽の光がなくっても、石が自分で光るのよ」
ニネのおしゃべりは途切れない。
「世界には、あたしが見たことのないものがたくさんあるのね。ねえエルオウィーラ、あたしね、小さい頃はパパと一緒に船に乗って世界のあちこちを旅していたのよ。だから、大概の事は見たり聞いたりしていたつもりなの。それでもまだ、知らないことがたくさんあるのね」
「そうですね。世界は広いらしいですから」
「そういういろんな物を、見に行きたいわ」
そう言って、ニネはやっと石から目を離し、エルオウィーラを見る。
「エルオウィーラなら、連れていってくれる?」
「魔法では、きちんと行く先を明確にしないと移動する事ができません。例えば、今いるこの位置からどちらの方向なのか。距離は?標高は?」
「そんなの無理だわ。だって知らない街へ行きたいんだもの」
ニネはつまらなそうに言う。
「がっかりさせて申し訳ありません。だけど、旅は危ないですし、ニネはまだ学校で学ぶことがあると、ルイズさんも仰っていますし」
「なにもない!」
ニネは、強い口調で反発した。エルオウィーラは口を閉ざした。
「なにもないわよ、学校なんて。学校で教わることはほとんどもう知ってるの。あたし上級生の問題だって解けるのよ」
「でも、お友達だっているでしょう」
お友達、と言われてニネは、再びジェスの背中を思い出す。
「いたって……何もいいことなんかないもの」
そう言うと、ふいと視線を地面に落とし、すたすたと歩く速度を速める。
「ニネ。どうかしたんですか」
エルオウィーラもニネの歩く速さに合わせる。
ニネはエルオウィーラが隣に並ぶと、沈んだ表情を無理矢理笑顔に変え、エルオウィーラを見上げた。
「なんでもないわ。それよりエルオウィーラ、お腹すいていたでしょう?きっとおばあちゃんがお菓子を作ってくれるわよ。早く帰りましょう」
そしてニネはそれ以降学校の話題は口にしなかった。
翌日からも、学校は楽しいものになったりなんかしなかった。
ジェスはやっぱりニネから視線を外すし、ベス=エリーと彼女と仲の良い女子からはトゲのある態度をとられるし、他のクラスメイトは何かというとニネとジェスを冷やかす。もともとニネと仲の良かったレオとマークはいろいろと気遣ってくれるのだが、それもまた苛つくのだ。
下校時間になると、ほっとするのが自分でもわかった。迎えに来てくれるエルオウィーラの姿が、まるで天使のようにすら思えた。
そんな学校生活で、ルルカの授業が唯一の楽しみだった。
ルルカが見せてくれた見たことのないフルーツの写真。ニネは、そのフルーツの味を想像し、そのフルーツを食べている自分の姿を想像した。
知らない国の生活様式。その習慣にならった生活を送る自分を想像した。
行ったことのない遠くの土地に自分がいる事を考えると、しばしの間憂鬱を忘れることができた。
だから、ルルカの最後の授業の日は、授業が終わった後もルルカにくっついていき、
「先生、もうちょっとこの学校にいることはできないの?」
と廊下でしつこく交渉した。
ルルカは困ったように笑う。
「ありがとう、ニネ。だけどね、私には次の仕事の準備があるの」
「次の仕事って、またどこか旅に出るの?遠い所?」
「そうね。私は、世界中を回るのが仕事だから。また、船に乗って海の向こうに行くことになるわね」
ニネはルルカに対する寂しさと羨ましさで、途端に沈んだ表情になる。
ルルカはニネに優しく微笑んだ。
「ニネ。私の授業を楽しく聞いてくれてありがとう。また会いましょうね」
そう言うとルルカは、その場に佇むニネに手を振り、ジュンを従えて去っていった。
これでお別れだと思っていたルルカとの再会は、しかし、意外すぎるほどすぐにやって来た。
気落ちしているところをエルオウィーラに励まされながら帰宅したニネは、父の応接室から漏れ聞こえる話し声を耳にし、そっと応接室を覗く。そして、あっと声をあげた。
「先生!」
アーウィンと対面した応接椅子に座っているルルカを発見し、思わず彼女を指さして叫ぶ。
「お帰りなさい、ニネ」
ルルカは振り返り、ニネに向かって悪戯っぽく笑った。
「どうして家に?」
ニネは鞄を放り投げるようにしてエルオウィーラに預けると、ルルカのもとに駆け寄った。
ニネの質問には、アーウィンが答えた。
「シェイングィッシュ先生は、ジョイブリンガーの次の航海に乗船することになったんだ」
「そうなの、今日はその打ち合わせなのよ」
商船ジョイブリンガーは交易のため世界各地を回る。
同じく世界各地を回り地学を研究するルルカにとって、行く先々で船を手配するより、ジョイブリンガーに同乗させてもらったほうが得策なのだという。
「今回は、南半球の島や大陸を主に回るつもりだからね、先生にも都合が良いらしい」
アーウィンからその言葉を聞くと、ニネは、
「あたしも行く」
と口をついて出た。
少しの間が空いた。アーウィンもルルカも、ニネの言葉を予想していなかったからだ。
しかし、ニネはもう一度、
「あたしも行く、連れていって」
とはっきりとした口調で言った。決して軽口で言っているのではないことが、その表情からもわかった。
しかし、アーウィンは苦い顔になる。
「ニネ。それは駄目だ」
「どうしてダメなの。昔は連れて行ってくれていたじゃない」
ニネは懇願するように言う。
「あのころはまだ近海ばかりを航海していたし、お前もまだ小さかった。でも、今はお前は学校に行かなければならない。ルイズも言っているように、船では学べない事を、たくさん学ばなければならない時期なんだ」
「そんな事ない」
ニネは強い口調で反発した。
「学校で学ぶことなんかもうないもの。あたしは、船に乗って世界を見たいの!」
感情をそのまま言葉に乗せてアーウィンにぶつけるように吐き出す。昂ぶった感情は涙へと姿を変え、ニネの瞳に浮かぶ。
「ニネ」
アーウィンの口調が柔らかくなる。ニネは期待をもってアーウィンを見返した。が、彼の口から出たのは、ニネの希望する言葉ではなかった。
「わかったよ、お前がもう少し大きくなったら、一緒に海へ出よう」
ニネの瞳に、瞬時に失望の色が浮かぶ。
「さあ、リビングでルイズがお前達のお菓子を用意して待っているから、早く行きなさい」
アーウィンはニネの肩を優しく押してくるりと扉の方を向かせると、背中を軽く押した。
「……」
ニネは返事をせず、うつむいたまま一歩また一歩と応接室の外へ歩み出る。
「ニネ」
エルオウィーラは気遣うように彼女の名を呼ぶと、アーウィンとルルカに向かって
「すみません、失礼します」
と言ってから、ニネの後をついて応接室を出た。
「ニネ、お父様はきっと、意地悪を言いたいとか、そういう事じゃないと思うんです。やはり、ニネの将来の事などを考えての事だと私は思います」
廊下を歩くニネの後ろをついて歩きながら、エルオウィーラが一生懸命アーウィンを弁護する。
ニネは急に足を止めてくるりと振り返る。ぶつかりそうになってエルオウィーラも慌てて止まった。
「将来って言葉の意味、あなた知ってるの?どうせよくわからないくせに、そんな事言わないで」
苛立ち混じりにニネが言う。
「言葉の、意味ですか」
エルオウィーラは言い淀む。
「それは確かに、実感を持った言葉としては受け取れていないかもしれませんが……」
「ごめんね、エルオウィーラ」
ニネはすぐに謝った。今のニネは、ほんのちょっとした事でエルオウィーラに八つ当たりしそうになる。自分でもそのことがよくわかっていた。
「あたし、少し一人で散歩してくるね」
そう言って、ニネは再びエルオウィーラに背を向ける。
「ニネ。それなら私も……」
「一人でって、言っているでしょ」
なるべく感情を出さないように気をつけてはいても、つい強い口調になってしまう。
それを取り繕うために、無理矢理に笑顔を見せて、
「エルオウィーラは先にルイズ叔母さんのお菓子を頂いていて。もちろん、食べて良いのは香りだけよ。本物は私の為に残しておいてね」
と、冗談を言う。
「わかりました」
エルオウィーラもついに折れて、ニネを追う足を止める。
「でも、あまり遅くならないで下さいね。暗くなる前に帰って来なかったら、探しに行きますからね」
エルオウィーラの言葉を背に、ニネは足早に家を出た。
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