大海原を、一隻の朱色の船体の船が進む。
空には暗雲が立ちこめ、海上には強風が吹き荒れる。風の影響を最小限にするため、今や帆は閉じられている。
今日の朝までは、帆にいっぱいの風を受け、太陽の光できらりきらりと輝く海面に真っ直ぐな線を引くように進んでいたというのに、今は荒れ狂いうねる波にきりもみされ、どうにかこうにか前進しているといった有様だ。
船の帆柱上に作られた物見台では、見張り役の男が一心に望遠鏡で前方を注視していたが、ふいに望遠鏡から目を離し甲板を覗き込む。
そこには、赤茶けた長い髪を風に靡かせるままにした男が一人、銃身の長い銃を杖のようにして体の正面に突き、その上に両腕を乗せて船の行く先を静かに見つめていた。
「船長。そろそろセグー海峡です」
見張り役に船長と呼ばれた男は深く頷くと、物見台を見上げる。
「わかった。皆に準備するよう、呼びかけてくれ」
「了解」
見張り役は、船内の連絡に使う通信官に向け、
「全乗員に告ぐ。例の海域に接近中。各員、戦闘準備せよ」
と命じた。
船は迷うことなく直進し、船長はじっとその先を睨みつける。
ばしゃん。
遠くの海面で何かが跳ねた。
「来た」
船長は短く呟く。
ばしゃん。もう一度、海面に影が跳ねる。先ほどよりも、もっと船に近い距離で。
その影の形状からして、魚などではない。
ばしゃっ、ばしゃん。
海面を走るように跳ね、近づいてくる。
「わああああーーーっ。出たぁぁーっ」
見張り役が大声で叫ぶ。
船長は、杖のようにして持っていた銃を素早く構え、その影に狙いを定めた。
近づけば、その影が何であるかが見えてくる。
海上を走る馬。
その大きさは通常の馬の3倍はある。体表は滑らかで毛は生えていない。鬣(たてがみ)にあたる部分と、四肢の先には鰭(ひれ)が生えており、風を受けてばたばた揺れている。
まさに怪馬。
船長は銃の引き金に指をかける。だがその瞬間、怪馬の嘶きが轟いた。
海面が激しく揺れ、船も大きく上下する。
狙いがぶれる。
「ちっ」
船長は舌打ちして構えていた銃を下ろす。
船は大きく右に旋回する。船の腹に取り付けられていた4基の砲が、全て怪馬の方向を向き、それぞれ火を噴いた。
怪馬は海面を蹴って跳ね、砲弾を避ける。
その間にも、船窓から顔を出した乗組員たちが怪馬に銃弾を浴びせるが、その弾丸は怪馬の体表に当たれども貫く事はなかった。
怪馬が嘶きと共に、その口から弾丸のように水滴を飛ばす。
船窓から顔を出していた乗組員は、悲鳴を上げて窓から引っ込む。
怪馬から放たれた水滴は、鋼で補強された船体をぼつぼつと凹ませた。
波は荒れ狂い、船は大きく揺れる。
操舵室から、通信官を通して情けない声が聞こえてくる。
「せ、船長。やっぱりダメです。このままじゃ転覆します。もう退きましょう」
甲板の手摺に掴まりつつも片手に構えた銃は怪馬に向けたままであった船長は、忌々しげに舌打ちすると顔を上げ、同じく手摺に必死でしがみついている見張り役に、
「撤収命令を出せ!」
と叫んだ。
セグー海峡から離れると空は再び、晴天を取り戻す。船の揺れも穏やかになり、船員達も先の緊張から解放され、それぞれの船室でぐったりと骨を休めていた。
船内の殆どが、板が剥き出しの壁や床であり船室もまた然りであるが、一室だけ、そこに似つかわしくない高級な調度品の数々が並ぶ船室があった。
スエード地のゆったりとしたソファに腰掛け、船長はいらいらした様子でため息をつく。
その首にかけた、丸く平らな石を連ねて作った首飾りを意味もなく引っ張る。これが彼の癖らしい。
そこへ、部屋の扉が叩かれる。
「船長、入りますよ」
「ヒューノか」
船長は声だけで、相手が誰であるか分かったようだ。
彼が入っていいとも悪いとも言わぬうちに扉は開かれ、海の男にしては不自然なほど色白な男、ヒューノが入ってくる。
「ずいぶんと落胆した顔をしてるね、ジェイドライト」
部屋に入ると、ヒューノは敬語を使うのをやめた。船長であるジェイドライトとは、親しい間柄のようだ。年齢も、この2人は同じくらいに見えるが、眼光鋭いジェイドライトに対し柔和な顔立ちのヒューノは、雰囲気だけは正反対であった。
「腹が立っているだけだ」
ジェイドライトはソファから立ち上がる。
ヒューノは、陽気な笑い声をあげた。
「そりゃあ腹も立つだろうな。今や世界に名を轟かせる海賊、ジェイドライト・マクリールが、たかだか馬一匹に手こずって、目的地に進めないでいるんだからな」
「たかだか、ね」
ジェイドライトはますます苦い顔をした。
そうは言っても、相手はごく普通の馬ではない。海の怪物だ。
「いっその事、セグー海峡突破は諦めた方がいいんじゃないのか。単に、負けっ放しが気にくわないだけだろう」
ヒューノはそう言うが、ジェイドライトは退かない。
「何か、方策がないものか」
思案しつつ室内を歩くジェイドライトは、ふと、窓の外に目をとめた。
「何だ、あれは」
遙か遠く、2隻の船が連なって進行しているのが見えた。
「何が?」
ヒューノも、ジェイドライトの隣に立って窓の外を見る。
1隻はごく普通の商船のようだ。
その後ろに付いて走る船。おそらく、1隻目の船に牽引されているのだろう。
しかし、牽引されている船は、普通の船と違っていた。材質は何でできているのか知らないが、妙に光り輝いている。
ジェイドライトは机の上に転がしてある望遠鏡を手にとり、その船を眺める。
「ずいぶんと装飾だらけの船だな」
その船は、不必要なくらい金箔が塗られ、彫刻が施され、宝石類が埋め込まれているらしく、船体が色とりどりに輝いていた。
「ああ、その船。甲板に出ていたみんなも見つけたみたいで、さっきから騒いでいたよ。ミッガスあたりは、金になるんじゃないか、なんて目の色を変えていたね」
ヒューノがそう言うと、ジェイドライトは望遠鏡から目を離す。
「ミッガスが、ねぇ」
「あいつの素行には気を付けた方がいい」
ヒューノが言うと、ジェイドライトは
「そうかもしれん」
と頷いた。
NEXT
INDEX