「冗談じゃないわよ!衣装が破れるなんて、聞いてないわ!」
既に学校の制服に着替え終わった愛海は、マネージャー室で、竜崎に詰め寄っていた。
「いや、俺も、こうなるとは思わなくってさ〜。いや、でも、盛り上がって良かったんじゃないかな〜、なんて」
竜崎は、みじんも「悪い」とは思っていない。それどころか、このハプニングをラッキーとすら思っているだろう。店の危機を救ってくれた愛海に対して、随分と失礼な話である。
「それに、なにが武器も持てる、よ!すぐに壊れちゃったじゃないのよ!」
今にも竜崎に掴みかからんとしている愛海を鎮めようと、その場にいたスタッフの男が声をかける。
「愛海ちゃん、落ち着いて、紅茶でも飲んで、ねッ」
テーブルの上に、良い香りの漂うカップを置かれ、愛海は、竜崎から離れ、応接ソファに座る。そして、素直に紅茶に口をつけた。
愛海が黙ると、室内が静かになった為、店内の歓声がここまで届く。今は、紅音が試合に出ているようだ。MCの、「勝者はアカネ〜〜〜っ」という声が聞こえてきた。
紅茶を飲んで、ひとごこちついた愛海だが、まだ、文句はあるらしく、憮然とした表情で、
「こんな事なら、前の衣装の方が良かったわ」
と言った。それを聞いて竜崎は、即座に、
「え、何、あの衣装、気に入ってたの」
などといらぬ事を口走り、愛海に睨まれる。
「そういう事を言っているんじゃありませんッ。それより、あの子は、いつお店に来るんですか」
「ああ、せなちゃんかい」
竜崎は、ぱらぱらと、黒皮表紙のスケジュール帳をめくる。
「明後日、だな。その日に、愛海ちゃんとの試合を組んでもいいって事かな」
愛海は、もちろん、と頷いた。「まーなみ〜っ。帰ろ〜」
ばたん、と、ノックもせずにマネージャー室の扉を開けたのは、紅音だった。こちらも、既に着替えている。軽くシャワーを浴びた直後なので、髪がしっとりと濡れている。ショートヘアだから、家に帰るまでには乾いてしまうらしい。
紅音の登場を機に、愛海は立ち上がり、帰り支度を始める。
「あ、竜崎さん、今日のギャラ」
そう言って、紅音は、竜崎に手の平を見せる。はいよ、と竜崎は、紅音に現金の入った封筒を渡した。
「2人とも、大金を持った女の子なんだから、気をつけて帰ってな」
と、声をかける竜崎に、愛海は会釈をし、紅音は手を振って部屋を出る。
気をつけて帰るも何も、この2人に襲いかかる人物がいても、返り討ちに合って終わりだろう。
繁華街を制服で歩く女生徒が増えたとはいえ、やはり、人目はひくものだ。それは、愛海たち自身から見ても同じ事で。
「あれ、ウチの学校の制服じゃない?」
紅音が、前方少し右を指差す。
「ホントだ。誰だろう。知っている人かな」
愛海も、その姿を視認した。ネオンと酒臭いおっさん達の中に、長い髪の女生徒がいる。
彼女は今、1人だが、その様子を何人もの人、主に男性が、興味深そうに見ている。声をかけられるのも時間の問題だろうが、その主が、マトモな人間だとは限らない。
「行ってみようか」
紅音がそう言い、愛海も頷いて、共に走り出す。
女生徒は、何を思ったか、古くさい赤提灯の灯る居酒屋へ向かっている。そして、その肩に、すっかり酒で出来上がってしまったおっさんの手がかかる。
「ちょ〜っと待ちなよ!触ったらただじゃおかないよ!」
紅音がそう言うと同時であった。その女生徒が、おっさんを背負い投げたのは。
「へ?」
愛海も紅音もその様子を見て固まる。
おっさんを投げた彼女は、ゆっくりと、こちらを振り返る。
長い黒髪に、そばかすの散らばる顔。それは、同じクラスの生徒、片山椿だった。
「あ、石野さん、渡会さん!」
椿もこちらに気が付いて、驚いている。その時、
「いててて……ちっくしょう〜」
と呻きながら、投げ飛ばされたおっさんが、立ち上がる。
尋常ではない目で、椿を見ている。椿が危ない!とっさに判断した2人は。
「や〜だもう、お父さんったら、酔っぱらっちゃってぇ〜!」
紅音がその背中を鞄で張り倒す。おっさんは顔面から地面に崩れた。
「ちょっと休ませてもらって来たら?」
愛海も、にっこり笑っておっさんの手を引き、立たせると、居酒屋の引き戸を開け、腹を殴りつけて、おっさんを店内に放り込むと、素早く戸を閉めた。
それから、椿に向き直り、
「じゃあ、とりあえず、逃げようか」
と言って、3人で走り出した。
片山椿は、容姿こそ目立たないが、成績も生活態度も優秀な生徒である。その彼女がなぜ繁華街をうろつき、さらには居酒屋なんかに入ろうとしていたのか。
愛海と紅音は、駅の近くのファーストフード店で、話を聞く事にした。
「片山さん、もしかして、いつもああいう所に出入りしているの」
愛海が、おそるおそる訊いた。人は見かけによらない、というのを、自分自身が立証してしまっている為、他人の見た目も疑ってかかるようになってしまった。
「まさか、そんな!」
椿は、大袈裟すぎるほど頭を振って否定する。
「じゃあ、どうして」
すると、椿は、ふ、と視線を落とし、
「ちょっと、自分が嫌になって……」
と言う。
「どういう事?」
紅音が更に尋ねる。
「ほら、私って、何の取り柄もない人間でしょう?」
「はあ……」
先ほども説明したが、椿は、成績優秀である。それは、勉学に限った事ではなく、体育でも、芸術科目でも、だ。それでも、自分の事を、「何の取り柄もない」と言う。しかも、さっきの見事な背負い投げは、取り柄としてもいいのではないだろうか。
もしかして、彼女は、少しズレているのかもしれない。
「皆さん、何かひとつは得意なものを持っているというのに、私ときたら、そういったものが何もないんです」
「へぇ……」
「得意なもの、なかったんだぁ……」
愛海も紅音も、ただ聞き流すしかなかった。
「そんな事を考えていたら、落ち込んできてしまって……」
それが、どう、居酒屋と繋がるのだろう。
「そういう時には、居酒屋に飲みにいく、というのが、正しい方法かと思って」
「全然正しくない!」
愛海と紅音は、声を揃えて言った。やっぱり、この子、ズレてる。
「え?そうなんですか?」
椿は、きょとんとしてそう聞き返す。一体何から、そういった間違った見識を持ったのか。
「でも、ありがとうございます。私みたいなダメな人間の話を聞いてくれて。少し、気分が晴れました」
と、椿はにっこり笑った。
「あんたでダメ人間なら、あたしは何なのよ」
紅音はため息をついた。それから、ふと、何かを思いついたようで、顔をあげる。
「そうだ」
と、鞄の中をごそごそ探し、取り出したのは。
「ここ、行ってみたら?もしかしたら、『得意なもの』見つかるかもよ」
「紅音!それは!」
愛海は驚く。紅音が椿に手渡したのは、ファイティング・キャットの店名の入った、竜崎の名刺。
「単なるバイトの紹介だと思って。片山さんなら、きっとやっていけると思うな」
「バイト、ですか」
椿は、もらった名刺を、じっと見る。
「そう。今度落ち込んだら、行ってみなよ」
と言うと、紅音は立ち上がる。
「さて、そろそろ帰らないと、終電なくなっちゃう」
言われて、愛海も腕時計を見る。
「ああっ、ホントだ!」
そして、3人は、駅へと走った。
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