7、コスチュームチェンジ

 また、来てしまった。この場所に。
 愛海は、「ファイティング・キャット」のスタッフ用出入り口の前に立ち、その建物を見上げた。
 繁華街のど真ん中に建つ、格闘場。しかしそれは、純粋な闘いの為のものではない。
 娯楽の為に肢体を晒し、そこに群がる金を吸い上げる。
 だから、何だっていうのよ。
 愛海は、出入り口の扉を押し開けた。
 客の目が何を求めていようが、流れる金が綺麗だろうが汚かろうが、知った事ではない。愛海が闘うのは、自分の信念があるからだ。それを実現できるステージが、偶然、この場所であっただけなのだ。
 愛海は、真っ直ぐに、竜崎の控えているマネージャー室に向かった。
 通りすがりのスタッフが、制服姿の愛海を不審に思い、声を掛ける。
「何か、ご用ですか。マネージャーに、アポはとっていました?」
 しかし愛海はそれを無視し、マネージャー室の扉を開ける。
「竜崎さん、いる?」
 室内で、革張りの椅子にゆったり座り、靴を磨いている竜崎が顔を上げ、愛海の姿を見ると、一瞬驚いて目を見張ったが、すぐに、唇の端を上げて笑った。
「よう」
 竜崎は、磨いていた靴を床に投げ置き、それを穿いて立ち上がる。今日もまた、胡散臭いスーツ姿だ。
「紅音ちゃんからいろいろ聞いているよ」
「なら、話は早いわね」
 竜崎に、ジェスチャーで椅子を勧められ、愛海は、それに従い、先ほどまで竜崎が座っていた椅子の向かいに座った。
「けど、あの子が来るのは、もう少し後なんだ。なにやら、修学旅行だとかで」
 竜崎は再び椅子に腰を下ろす。
「修学旅行……。どうでもいいけど、学生を堂々と使っていい店なの?ここ」
 愛海に言われ、竜崎は、肩をすくめて見せる。
「そんな訳ないだろう」
「そういう事をきっぱりと言わないで」
 それから、愛海は、鞄の中からスケジュール帳を取り出し、中のメモ紙を1枚破り取った。そしてそこに、さらさらと、ペンで書き込み、竜崎に渡す。
「これ、私のケイタイ番号です。あの子が出てくる日がわかったら、教えて」
 竜崎がメモを受け取ると、愛海は立ち上がる。
「帰るのかい?」
 竜崎に問われ、愛海は頷く。
「ええ。だって、私の相手は、今日はいないじゃない」
「だけど今日は、愛海ちゃんにしか相手できないような人がいるんだが」
「どういう事?」
 愛海は怪訝そうな顔をする。
 すると竜崎は立ち上がって、愛海に向かい、両手を会わせる。
「頼む。この店を助けると思って、試合を受けてくれないか」
 ますますもって、どういう事なのかわからなかった。


 控室にいるのは、女性というには、いささか難のあるような図体の人物だった。脂肪と筋肉の分厚い襦袢を身につけている。鏡に向かって、黙々と化粧をしている姿が、一層不気味である。
「な、なんなんですか、あの人」
 室内の様子をこっそり覗いている愛海は、小声で竜崎に訊いた。
「本業はプロレスラーだそうだ。相手を秒殺しちまうもんで、客ウケが悪い。あいつのせいで、ここ2,3日売り上げが落ちている」
「秒殺って……。なんでそんな人雇ったのよ!」
 愛海は、竜崎の胸ぐらを掴む。なんだか、竜崎に会うたび、胸ぐらを掴んでいる様な気がする。
「奈津子がよこしたんだよ。あいつを」
「奈津子?」
「この店の表向きの経営者だ。俺の手腕によるこの店の繁盛を妬みやがって、この女を雇わないんならこの店を潰すって言われてな」
 愛海はため息をついた。
「その要求を呑んだってわけ?竜崎さん、ちょっと情けない」
 言われて、竜崎は返答する。
「俺だって、何も、黙って要求を呑んだわけじゃない。条件をつけたさ。あいつが負けたらこの店を出ていってもらうってな」
 そして、愛海の両肩に手をかける。
「つまり、愛海ちゃんがあいつに勝てば、この店は救われるんだ」
「はあ?」
 なに言ってんのよ〜!あんな巨体の女プロレスラーにどうやって勝てっていうのよ!
 愛海の抗議が声になって発される前に、室内から声がした。
「誰よ!私の部屋の前で五月蠅いわね!」
 想像通りの、低く、ドスの利いた声。本当に女性なのか、と疑いたくなる。
「ああ〜、ごめんごめん」
 竜崎は、あっという間に笑顔を作り、控室の扉を開けた。
「今日の麗華ちゃんの対戦相手の子が、挨拶に来たいっていうからさ」
 それって、私の事?愛海がきょとんとしていると、竜崎が愛海の腕をぐいっと引っ張り、麗華の前に立たせる。
「ふうん」
 麗華、という名前の彼女は、愛海の前に仁王立ちになり、上から下まで、じろじろと眺める。
 ああ、そうよね、やっぱり、私の事よねぇ。まだ、承諾してないのに〜。
 愛海は、諦めて、
「どうも。今日は、ヨロシクオネガイシマス」
などと言ってみた。

「どうするのよ!勝てるわけないじゃないのよ!」
 愛海は与えられた控室で、竜崎に怒鳴った。それでも、引き受けてしまったのは、愛海が押しに弱いのか、お人好しなのか……。
「まーまー。落ち着いて」
 竜崎は、両手の平を愛海に向けて、怒りを静めようとする。
「今回は、武器の使用もOKな衣装を用意したから」
「衣装?」
 以前は激ミニセーラー服であった。今回だって、マトモなものではないだろう。それにしても、武器の使用もできる衣装って?
「大丈夫、女王様とかじゃないから、安心して」
「ぜっっったい着ないわよっ、そんな服っ!」
 そこへ、コココン、と軽快なノックの音がして、
「衣装の到着だよ〜っ」
という元気な声とともに、紅音が紙袋を下げて入ってきた。
「おお、サンキューな、紅音ちゃん」
 竜崎が、その紙袋を受け取った。中には、衣装が入っているらしい。
「紅音、あんた、何持って来たのよ」
 多少嫌な予感がしつつ、愛海は尋ねた。
 それには、紅音ではなく、竜崎が答えた。
 取り出した衣装を広げて見せ、
「今回のテーマは『新体操』だ!」
 とぬかす。武器というのは、新体操に使う手具のことを指していたらしい。
 彼が手に持っているのは、真っ白なレオタード。なぜか胸元にはゼッケンが縫いつけられている。
 愛海は、少し気が遠くなった。
 紙袋には、それ以外にもレオタードが入っており、竜崎は、
「あ、これが気に入らないなら、違うデザインのもあるから」
なんて言いつつ、ごそごそと紙袋の中に手を突っ込む。
「シンプルだけど情熱の赤いレオタード!とか、ちょっとドキドキTバック!とか」
 竜崎は、次々に衣装を取り出す。愛海の視線が冷たいものに変わっているにもかかわらず、次に取り出したのは。
「あと、これもオススメ。男心をくすぐる破けちゃったレオタード」
 どんな男が、そんなもんで心をくすぐられるっちゅうんじゃ!
 そんな突っ込みを入れる気力もなく、愛海は、
「赤いのでいいわ」
 と答える。
「やっぱり、そうだよねぇ」
 隣で紅音も呆れ顔で頷いた。
「なんだ、つまんないな」
 不満そうな顔で、竜崎は、赤以外のレオタードをしまう。その途中で、
「こっちの方がいいのに……」
 と、破けたレオタードを眺める。竜崎よ、それは、お前の趣味だったのか。

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