その翌日から、渡会紅音(あかね)は、愛海(まなみ)に声をかけるようになった。
それも、「おはよう」とか、「バイバーイ」とかのレベルではなく、「昼、一緒に食べよー」とか、「帰り、買い物して行こー」という、まるで仲の良い友達の様な内容である。
一度、学校帰りのファーストフード店で、抹茶シェイクを飲みながら、愛海は紅音にこう言った。
「ねえ、どうしてそんなに私に話しかけるのよ」
実際、あまり急激に仲が良くなったものだから、クラスでは、一体何が2人にあったのか、という疑問の声もちらほら聞いた。
紅音は、何を言ってるのよ、という表情で、
「だって、バイト仲間でしょ」
と答えた。
「バイトって!私はあの店で働いてないわよ」
愛海は抗議する。が、紅音は、
「それにさ、自分と同じ様なコがいるって、ちょっと嬉しくてさ」
と、笑った。
それで、愛海は、「ファイティング・キャット」の事を抜きにして、気の合う友人ができたのだと思うようにした。
そして、紅音は、相変わらず、あの店で試合に出ている様であった。
「愛海は、もう、試合に出るつもりはないの?」
ある日、紅音が、学校が終わってから店に行くまでに時間があるから、と言って、2人でショッピングモールへ洋服を見に行った時、突然そう訊いてきた。
「ええ?」
鏡を見ながら、ワンピースを体にあてていた愛海は、ふいに言われて聞き返す。
「お店、おいでよ。絶対楽しいのに」
紅音も、ディスプレイされた衣服を眺めながら、言う。
「そう言われると、気持ちがぐらつくなぁ〜」
でもさ、と、愛海は、近くにあった、別のワンピースを手に取る。
「私の衣装、こんなんよ?」
それは、マイクロミニスカートのワンピース。
「じゃあ次はこんなんでどう?」
紅音が、ディスプレイ棚に並べてあった、ブラトップを手にして、愛海に見せる。
「下着と一緒じゃない!」
「見せブラ、見せブラ」
しかし、ホルター部分と、背中の部分を紐で縛る形なので、これで戦うと、大変なことになってしまう。
「だいたい紅音はいいわよね、あんな、普通の格好でさ」
愛海は、手にしていたワンピースを元あった場所に戻す。
「あれは、ああいうのしか、あたしに似合わないから仕方ないの」
「この前、対戦してた、『せな』だっけ?あの子だって、スカートじゃなかったし」
「ああ〜、あの子ね。一応、店の方も気を使ったんじゃない?まだ中学生だし」
「ええっ」
愛海は驚愕の声をあげる。
確かに、幼い顔立ちをしているとは思ったが、まだ義務教育中の子だったとは!
何より驚くのは……。
「それであの胸だもんな〜」
と、紅音が呟いた通りである。
愛海も、思わず自分の胸を見下ろした。
「Gカップだってさ」
「うそっ」
未だ成長途中であるはずなのに、すでにG。愛海だって、小さい方ではないが、D止まりである。今後成長するかどうかは、そろそろ微妙なところだ。
「あんたはまだいいじゃない。あたしなんか、成長し始めも早かったけど、終わるのも早くて、Bのまま2年が過ぎたよ」
ため息混じりに紅音は言う。
「これっくらいあったら、あたしの衣装も、こんなんだったのになあ〜」
と、片手で愛海のバストを掴み、もう片方の手で、ブラトップをひらひらさせる。
「ちょっとっ。っていうか、そういうカッコしたかったんかいっ」
「似合わないと思うと、ちょっと憧れるかな」
紅音は、愛海から手を離し、ブラトップを棚に戻した。
「さってと、そろそろ腹ごしらえをして、お店行かなきゃ」
「腹ごしらえだけなら、つき合うわよ」
2人は洋服屋を出て、ショッピングモールの通路を歩く。
屋内であるが、片側が吹き抜けで一面が窓になっており、外の自然光が入ってくる。
広い通路の中央には、ベンチと観葉植物が一定間隔で設置されていて、そこで一休みする買い物客も少なくない。 中央は、広場になっていて、噴水まである。
「それにしても、中学生までいるとは、すごい話よね」
「う〜ん、ばれなきゃいいんだろうし。それに、あの子、あの日から試合に出てないよ。もともと、あまり出てくる子じゃないみたい」
まだ中学生であれば、そんなにしょっちゅう店には行けないのかもしれない、と愛海は思った。
その時、後方から、ダッダッダッダッ、と、凄まじい勢いで走ってくる足音が聞こえた。
「え?何?」
2人が振り返るのと同時に、
「見つけた見つけたーーーっ!」
という声。そして、その人物は、どかん、と紅音にタックルする。
「うわ、と、とっ」
紅音は突然の事に、バランスを崩し、後方に2,3歩下がったかと思うと、ばしゃぁ〜ん!と派手に水しぶきを上げ、噴水の池に落ちる。
「ぷはっ」
いったん、顔まで水に浸かってしまった紅音は、上体を起こすと、まず、頭を振って、髪の水分を落とした。
それから、顔を上げる。紅音にタックルをくらわせたのは……!
「お前……せな!」
先ほどまで、愛海との話題にのぼっていた、せな、本人だった。ただし今は、中学校の制服と思われる、ジャンパースカートを着用している。
「お久しぶり〜」
腕を組み、紅音を見下ろし、せなが言う。
「偶然にも、こんな所で出会っちゃったら、あの時のムカツキを思い出しちゃったのよね」
「あんたねぇっ」
紅音は、池の中で立ち上がる。タイミングよく、紅音の足元から噴水が上がり、制服のスカートを翻す。
せなの後ろから、数人の男子生徒がばらばらとやってきた。
「せなちゃん、どうしたの〜?」
「急に走りださないでよー」
せなは、彼らを振り返って、一喝した。
「遅いわよっ」
それから、再び、紅音に向き直る。
「あの時キズつけられた私のプライドの借り……ここで返してもらうわ」
「へ〜え、どうやって?」
紅音はそう言うと、鞄を放り投げる。
「や、やめなよ〜」
と言いつつ、愛海は、慌ててその鞄を拾った。
「決まってるじゃない?」
せなは、にっこり笑うと、後ろの男子の1人に鞄を持たせ、両拳を構える。
「くそガキ!」
紅音は、さらにブレザーを脱ぎ捨てた。水に濡れたシャツが張り付いて、その肌と桃色の下着の色をかすかに透けさせる。
せなは、にっこりしたまま、
「今回は場外乱闘、反則もアリよvみんな、あたしのお願い、言わなくっても、わかるよね?」
と、後ろを振り返る。そこに控えていた男子生徒が、それぞれに、おう、だの、はい、だの返事をする。
紅音も、愛海も、それには少しひるんだ。こいつら、全員でかかってくる気だ!
そう気づいた時には、中学生団体は、紅音に向かって、一気に飛びかかっていった。
愛海は、相手の人数を数えた。
せなも入れて、6人。
今、せなは見ているだけではあるが、それでも、紅音1人で対応できる人数ではない。
愛海は、急いで、2人分の鞄を、近くの植木鉢に立てかけ、自分もブレザーを脱いだ。
一方、紅音はというと、噴水の池から出て、襲いかかってくる団体に、自らも立ち向かっていく。
そして、先陣を切って飛びかかってきた者たちには、真っ向からぶつかり合わず、まずは後ろに受け流し、後続の2人に狙いを定める。
まず1人目。手刀を相手の胸に叩きつけ、その一瞬後、足払いをくらわせる。
相手は、あっけなくすっ転ぶ。
そのすぐ後ろにいた男子は、転んだ仲間を踏みそうになって、たたらを踏む。そこに隙が生じるのを、紅音は見逃さない。胴に向かって、回し蹴り。どご、と、鈍い音がする。 蹴られた男子は、2,3歩踏ん張っていたが、痛みに耐えかね、しゃがみ込む。
しかし紅音も、濡れた靴が災いし、ずるりっ、と転ぶ。ローファーの革靴が半分脱げてしまった。
「紅音っ、後ろ!」
愛海は叫んだ。
先ほど後方に流した者達が、紅音の背後を狙う。
靴を履き直そうとしていた紅音は、上半身をひねって振り返り、手に持っていたローファーを、相手の顔面めがけて投げつける。
すぱーん、といい音がして、ローファーは見事ヒットした。
「いてぇっ」
靴を当てられた男子は、顔を押さえる。そこへ、
「ついでにもう1発どう?」
と、すばやく立ち上がった紅音のハイキックをもらう。
ところで、現時点では、全員、愛海に背を向けている。
愛海は、その中で、一番自分に近い男子に、素早く近づき、ブレザーを、その頭にすっぽりかぶせた。
「わぁっ」
突然目の前が暗くなり、彼は両手をばたばたさせる。
愛海は、覆ったブレザーが容易には外れないように、袖の部分を縛り、さらに、そのままそいつを観葉植物の傍までひきずって、枝にくくりつける。
「ゴメンね。ちょっとだけ、おとなしくしててね」
そして、紅音の方を見ると、傍には3人の男子生徒が、それぞれに負傷した部位を押さえて座り込んだり横たわったりしており、立っているのは、傍観している、せなと、もう1人だけであった。
これなら楽勝か、と思いきや、相手の動きは、なかなか本格的だ。どうやら、格闘技を習っている者のようだ。
紅音は、相手の攻撃を捌き、そこに生まれた隙に、こちらの攻撃を叩き込もうとするが、紅音より一瞬早く、相手が動き、紅音の攻撃は全て止められてしまう。
相手も、紅音も、顔や腕に、擦り傷や青あざができている。
しかし、どう見ても、紅音が劣性だ。
愛海は駆け出す。紅音も、それに気づいた。
「最後まで立っていられたアナタに特別サービスよ!」
そう言って、愛海は、男子の頬にストレートを打ち込む。
紅音も、それと同時に、腹に向けて拳を2連打。
こうされると、いくら格闘技を習っているといっても、どの攻撃をかわして良いのかわからなくなってしまったらしく、2人の攻撃をまともにくらってしまった。
「ぐはっ」
彼は、腹を押さえ、前屈みになる。そこへ、愛海は、すかさず組んだ両手で、首の後ろを殴りつける。
どさり、と、相手は地に倒れた。
「残りはあんた1人だよ」
紅音が、腕を組んでせなを睨む。
「くそっ」
せなは、両手で拳を作り、構えた。
「もうやめておいたら?」
愛海は、周囲を見回しながら言った。
彼女達を、ぐるりと、人垣が取り囲んでいた。
そして、せなを見据え、
「だいたい、試合で負けたからって、こんな奇襲みたいなことするなんて、ますますプライドにキズがつくんじゃないかしら」
と言い放つ。
せなは、かみつかんばかりの勢いで言い返した。
「うるっせえな。あんたに関係ねーだろ。あたしは、こっちの女に用があるんだよっ」
と、顎で、紅音の方を示してから、
「それとも何?あんたも、あたしにケンカ売ろうっての?」
口の端で笑って、愛海にそう言った。その挑戦的な態度に、愛海も、かちんと来たらしい。
「別にそんなつもりは無いわ。でも、こんな真似をする人に負ける気はしないわね」
「へ〜え、随分強気ね、おねーさん」
せなは、拳の方向を、愛海に改めた。
「ただし、こんな風にケンカする気はないわよ」
「結局、自信ないんじゃん」
「違うわ。正々堂々と闘いましょうって、言ってるの」
「ま、愛海?」
紅音が、驚いて愛海を見る。
「それって……」
せなが言いかける。愛海は、頷いた。
「そうよ。『ファイティング・キャット』の試合で、ね」
その時、人垣の奥の方から、
「通して、通して!」
という、数人の男の声が聞こえた。その方向を見ると、紺色の帽子が、ゆっくりとこちらに近づいて来ている。
「げ、警察だっ」
紅音が言う。
それに気が付いたせなも、倒れている男子生徒を放って、逃げ出した。
愛海と紅音も、逃げる事にした。
「靴、靴!」
「ブレザーも!」
2人は、その辺りに散らばった、自分の持ち物を拾い集める。
愛海は、男子生徒を拘束していたブレザーの袖の縛り目を大急ぎでほどく。
そして、警察官が現場にたどり着く前に、無事、その場を離れることができたのだった。
人垣をかきわけてきた警察官2名が見たときは、その場に、もう、負傷した男子生徒しかいなかった。
唯一、話が聞けそうだったのは、観葉植物の鉢の前で、座り込んでいる男子だった。
「おい、君、何があったんだ?」
2名の警察官のうち、若そうな方が、彼に声をかける。が、その男子生徒は、ただ、
「はい、いい匂いがしました……」
と、ぽや〜ん、としているだけであった。
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