5、アカネ、快闘

 渡会紅音(わたらいあかね)。身長はさほど高くはないが、ショートヘアと意志の強そうなきりりとした瞳が、彼女を少年のような風貌にしている。
 女子校なら間違いなく後輩にもてていただろうタイプで、実際、近所の女子中学生が紅音の姿を写メールでやりとりしている事を、知らないのは本人くらいのものであった。
 なるべく人と関わらないようにしている愛海と違って、クラスでの人間関係も、そつなくこなしている。
 そんな紅音が、こんな店で、格闘ショーに出場している。
 中2階の特別観覧室の窓から会場を見ていた愛海は、
「どうして、渡会さんがここに?」
 と、疑問を口にした。
「ああ、そう言えば、同じ学校だったっけか」
 竜崎がタバコをくわえたまま言う。
 同じ学校どころか、同じクラスである。
 リング上では、赤茶色のハーフトップに、膝までの黒いスパッツを身に纏った紅音が、両腕を掲げ、戦闘態勢をとる。
 対戦相手の「せな」も、同じ様に構える。
 が、どうやら、せなの方は、相手の真似をして構えているだけのようだ。
 その証拠に、紅音は、軽く腰を落とし、しっかり重心を中央に落としているが、せなの方は、軽く両脚を開けてはいるものの、真っ直ぐに突っ立ったままである。ちょっと強いケリでもくらおうものなら、すぐに倒れてしまいそうだ。
「あのちっちゃい子、大丈夫なの?」
 愛海は、思わず竜崎に尋ねた。
「それなりに人気はあるがな」
 カァーーーン!!
 鐘が鳴り、観客が歓声をあげる。
 闘いの始まりだ。
 先に動いたのは、せな。
「やあぁぁぁ!」
 と、幼い声で奇声をあげて、紅音に殴りかかる。
 紅音は、すい、っと身をよじりそれをよけると、右手で、せなの拳を払う。
「きゃ、きゃっ」
 せなは、勢いをつけていただけに、よろけつつ、ロープに正面から激突する。
 観客から、より一層の歓声がわき上がる。熱気すら、愛海の所まで届いてきそうだ。
「なんか、スゴイ盛り上がりようね」
「ああ、コレな。あの胸にロープが食い込むのが、客にウケるんだよなぁ」
「……サイテー」
 愛海は頭を抱える。竜崎はしれっとして、
「まあ、そう言うな」
 と答えた。
 客にサービスショットを披露した(?)せなは、すぐに体を反転させ、紅音に向き直る。
 しかし、紅音からは、すでに右ストレートが繰り出されていた。
 ぱくん、と、それは、せなの左頬にヒットする。
「やぁんっ」
 せなの体が、今度は背面であるが、再び、ロープをゆがませる。
「痛いじゃない〜〜っ」
 せなは、顔を上げ、紅音を睨みつける。そしてその瞳からは、ぼろぼろと涙をこぼしていた。
 紅音は、そんなせなの顎を、ぐい、と掴むと、
「泣くな!これはあんたが選んだ仕事だろ?!」
と一喝する。
「やる気がないなら、さっさとギブアップするんだね」
 そう言い、紅音は、せなの顎を払いのけるようにして、掴んでいた手を離した。
 すると、せなは、
「ギブアップなんて、する訳ねーよっ」
 幼い声に似合わぬ言葉遣いで叫び、紅音の髪をわしづかみにし、共にマットに倒れ込む。
 先ほど泣いていたのが嘘のようだ。と、いうより、もとから嘘の涙であったのかもしれない。
「ふっざけんじゃねぇ!1番強いのはあたし!勝つのはあたしなんだよっ!」
 紅音に馬乗りになったせなは、両拳を紅音に叩きつける。
 せなの揺れる胸をもっと間近で見ようと、観客が大移動を始め、押すな押すなの大騒ぎになる。司会が、必死に叫ぶ。
「ああ〜っ、皆さん、押さないで、押さないで!一度座った席からは、移動しない様お願いします。スクリーンもあります!後ほどハイライトも放映しますので、どうか座って下さい!」
 そんな場外の様子を気にする事なく、せなは攻撃の手をゆるめない。
 しかし、紅音の方は、両腕でしっかりとガードをしているせいもあり、せなの攻撃は、あまり効いてはいなかった様だ。
 にやり、と唇の端で笑うと、
「これくらいしてくれないとね。弱いものイジメみたいで、こっちもやりにくいんだよ」と言い放つ。
「うるせぇんだよっ」
 せなは、大きく右腕を振りかぶり、渾身の一撃を打ち下ろそうとした。
 しかし、動作が大きくなった分、隙が生じるのは至極当然。
 紅音は左手でせなの右腕を掴み、その肘の内側を、もう片方の手で押す。
 せなは、かくん、と肘を折り曲げ、バランスを崩す。
「きゃんっ」
 悲鳴だけは可愛らしく発して、せなはマットに倒れ込んだ。そこをすかさず、紅音が押さえ込む。
 フォールされてはいけないと、せなは、じたばたと暴れた。
 紅音は、せなが蹴ろうが殴ろうが、構わず、その四肢を押さえる事に専念する。
 そして、ついに、紅音は、せなの動きを完全に封じた。
 司会と観客が一体となって、カウントダウンを行う。
「3……2……1……!」
 カンカンカァン!!
 鐘の音が鳴り響く。
「勝負ありぃぃぃ〜!勝者はアカネ!フォール勝ちぃぃ!!」
 うわあああっっ、と、店内に歓声の渦。
「ちょっと、もの足りない試合だったわね」
 身を乗り出すようにして試合の様子を見ていた愛海は、観覧用の窓から体を離す。
「自分なら、もっと面白い試合ができるのに、って?」
 竜崎がにやにやしながら言う。
「そ、そんなつもりじゃ……!」
 愛海は、竜崎に向き直り、否定する。
 が、本当は、そんなつもりじゃない、とは言い切れなかった。
「いつ飛び入り参加しても、構わないんだが?」
「お断りします」
「こっちも気長に待つさ」
 竜崎は、短くなったタバコを灰皿に投げ込んだ。
「もう1試合観て行くかい?」
 竜崎に問われたが、愛海は、
「いいえ。これ以上帰りが遅くなるのも嫌ですし」
 と断った。
「それもそうか」
 竜崎はそう言って、愛海に背を向け、扉に向かって歩く。
 愛海もそれに続いた。
 廊下に出ると、場内放送が、ここにも流れてきた。
『本日の第2試合は40分後です。出場は、すっかりおなじみの猫コスのミアと、脚線美を誇るリンちゃんです。お時間まで、皆さん、お飲み物やお食事を楽しみながら、お待ち下さい』
「こんなの、2試合も観る人がいるの?」
 愛海が言うと、竜崎は、
「1晩に4試合やるが、全部観ていく客が大半だな」
 と答えた。
「世の中おかしい……」
 愛海は呟いた。
「それに出場した当の本人は君でしょうが」
「……う……」
 そう言われると、何も言い返せない。
 階段を降りると、丁度、汗を拭きながら廊下を歩く紅音が向こう側からやってきた。
「うわ」
 思わず愛海は、階段を数段引き返し、身を隠す。
「あれ、どうした、愛海ちゃん」
 竜崎が愛海を振り返り、その名を呼ぶ。
 愛海は慌てて唇に人差し指を当てる。
「あ、そうか、ごめんごめん」
 のんきにそう言う竜崎は、もしかして、愛海が、ここにいることを紅音に知られたくないという事を分かっているのかもしれない。
 どちらにしろ、愛海の行動は無駄であった。
「竜崎さん、そこに、誰かいるんですか」
 紅音の声が聞こえた。竜崎が今更「誰もいない」と答えたところで、紅音は騙されないだろう。
 ああ、もう。愛海はふうっと息をつき、観念して階段を降りた。
「ども。コンバンハ」
「あ〜〜っ。やっぱり、あんただったんだ!石野愛海!」
 紅音は、愛海の姿を見るなり、指を指してそう叫んだ。
「え?やっぱり、って?」
 ちょっと嫌な予感がしつつ、愛海は紅音に尋ねた。
「ほら、この店の宣伝がネットに載ってて。その写真があんただったんだよね。それ見てわたしも、この店に来たんだけどさ」
「ネット?写真??」
 初めて聞く内容に、愛海は、竜崎を睨む。
「どういうコトなの」
「いやあ、まだ営業始めたばっかりで宣伝も必要だったし、試合に出る女の子も募集したかったし。でも、写真が、愛海ちゃんの試合のしかなくって。ほら、でも、遠目に写ってるし、化粧もしてるから、バレないって」
「しっかりバレてるじゃないのよーっ」
 愛海は竜崎につかみかかった。
「わあ。ちょっと待って。落ち着けって!」
 竜崎が必死の形相になる。愛海は、今更竜崎を責めたところで、もうどうにもならないのは頭で分かっていたので、すぐに手を離してやった。
「もう、いいわよ。でも、写真はもう公開しないでよね」
「ところで、石野はもう、試合には出ないの?」
 紅音が尋ねる。
「出ないわよ」
 愛海は即答する。
「なんだ、残念」
「渡会さんは、こんなコトやってて平気なの?」
 今度は愛海が尋ねる。
「どうして?自分が楽しいと思えるからやっているんだよ」
 紅音は、おかしな事を訊くなあ、とでも言いたげな顔で答えた。
「自分が楽しいから、か……」
 愛海は呟いた。
 先日のミアとの闘いが、楽しくなかったと言ったら嘘になる。
 自分は本当は、もう1度、いや、1度と言わず、闘いたいのかもしれないと、愛海は思った。
 そんな愛海の心を見透かしたかの様に、竜崎がにやりとして、
「どうした?愛海ちゃん」
と声をかける。
 愛海は努めて無表情で、
「なんでもないわ。そろそろ、帰ります。それじゃあ」
といい置き、竜崎と紅音に軽く頭を下げる。
「じゃ、また明日、学校でね」
 と、紅音が手を振った。 


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