そして、数日が過ぎた。
愛海の生活は、平穏無事に過ぎていった。
狩田由香子は、まだ愛海のことをこそこそと気にしてはいるようだが、話しかけてくる勇気はないらしい。
愛海は、放っておくことにしていた。
あの衣装は、通学途中にあるクリーニング店に出し、今日、引き取りである。
もう一度、あの店に行くことに、抵抗はあったが、さっさと返してすっぱり縁を切っておこう。
そんな訳で、今日の愛海の放課後の予定は決まった。
ホームルームを終え、愛海は鞄をひっつかみ、小走りで廊下を進む。
そこへ、運悪く、図書室の司書が声をかける。長いウェーブヘアの若い女性で、男子生徒に人気のある司書だ。
「あら、石野さん。丁度良かったわ。新しい辞典が入庫されたの。手伝ってくれない」
愛海は、足を止め、司書に向き直る。
「え、ええっと……。今日は、委員の日じゃないですよ、ね」
なるべく、用事を早く済ませたかったが。
「そうなのよぉ、でも、すぐ終わるから、いいでしょ?」
司書は、オネガイ、という風に、両手を合わせ、にっこり微笑む。
「……わかりました」
多少時間が遅くなるくらい、支障はないだろう。なら、断る理由も特にない。
解放中の図書室には、段ボール箱が口を開けて置かれていた。中に、生物辞典が一揃え、詰められている。
「で、この本、どこに並べるんですか?」
愛海は、鞄を置き、上衣を脱いでシャツの腕をまくる。
「そうねえ、あっちの端の棚の、一番下かな」
司書は、部屋の隅を指差して言った。その一番下の棚には、既に本が並んでいる。
「あの本を、一番上にずらしてくれないかな。私は、別の棚の整理があるけど、いいよね?」
愛海は、返事の代わりにため息が出そうになった。
この人は……!
2つ仕事があれば、さっさと軽い方を取ってしまう。
要領のいい人は、同性に好かれないということを、いい加減学んでもいい歳だろうに。
まあ、引き受けてしまったものは仕方ない。
愛海はまずは一番下の棚の本を全て出し、新しく入った辞典を並べてゆく。
それが終わると、脚立を運んできて、棚の前に設置する。
接続部や節目に、錆が浮き始めた脚立だ。そろそろ、これも新しくして欲しいものだ。
愛海は、左手で本を2冊抱え、脚立に登り始める。
脚をかけると、みし、と鳴る。
うううっ、不安な音だ。
それでも愛海は、目的の高さまで登り、本を棚に並べる為、手を伸ばす。
その瞬間だった。
めき、ばきっ。
「うそぉっ!」
体が真下へ落下する。脚立の脚をかける部分が、錆びて折れたのだ。
受け身、受け身をとらなきゃ。ああでも、どっちにしろ、この床硬いもの、痛いわよ。あ〜あ、これが恋愛ジャンルとかだったら、顔のいい男子が受け止めてくれたりするのに。
と、落ちていく短い時間に、いろいろな思考が頭を巡る。
どすん。
かくして、愛海の体は。
誰かの腕によって、受け止められた。
愛海は、自分を受け止めた人物を見上げる。
「気を付けなよ」
ちょっと低めの、女性の声。そう、相手は女生徒だった。
ほんのり赤く染めたショートヘア。誰かと思えば、同じクラスの渡会紅音(わたらいあかね)であった。今まで、あいさつ以外で言葉を交わした事はないが。
「あ、ありがとう」
愛海は紅音から離れ、礼を言う。
しかし、「気を付けなよ」と言われても……気を付けたところで、今のは防ぎようもなかったんじゃあ……。
すると、紅音は何を思ったか、愛海の顔を覗き込んだ。
「あれ?あんたさぁ」
「え?な、何か」
紅音は、しばらく愛海の顔をじいっと見ていたが、
「いや、なんでもない」
と言って離れると、そのままくるりと踵を返し、その場を立ち去った。
「???」
一体、彼女は何を言いたかったんだろう。
「ちょっと〜ぉ、大丈夫だったぁ?」
と、そこへ、司書が駆け寄って来る。
「ええ、まあ」
自分じゃなくて良かった、と顔にありありと書いてある司書に、愛海は答えた。
そして、壊れた脚立を見上げ、
「作業は、また今度にしません?」
と、提案した。司書も、同じように脚立を眺め、そうね、と同意した。
多少時間は遅くなったが、愛海は、クリーニング店で、例の衣装を受け取った。
ピンクのマイクロミニスカートのセーラー服。クリーニングに出す時も恥ずかしかったが、受け取る時も恥ずかしい衣装だ。こんなのを着たなんて、他人に知られたくない。
愛海は、クリーニング店で渡してくれた袋が、不透明なのを有り難く思った。
そして、例の店、「ファイティング・キャット」に向かう。
「うわ……」
店の前に来て、愛海は息を呑んだ。まだ準備中の店の外には、ずらりと、行列ができていた。
タバコを吸ったり、周囲の者と談話したりして、ざわめきの中、開店を待っている。
「何よ、コレ」
愛海は、慌てて裏口にまわった。この店、こんなに繁盛しているっていうの?
裏口は、スタッフの出入り口だ。以前も、愛海はここから出入りした。なので、勝手は分かっている。
屋内に入って1番始めに出会った男のスタッフに、
「竜崎さん、いる?」
と、愛海は尋ねた。
「ああ、マネージャーなら、そこの部屋にいるけど」
スタッフが顎で示した先には、『マネージャー室』とプレートの掲げられた扉があった。
なにが、マネージャーよ。
そう思いつつも、
「ありがとう」
と言って、愛海はマネージャー室に足を向ける。
「あれ、君ってさあ、初日に出てたコだよね?」
その男性スタッフが、そう声をかけてきたので、愛海は、踏み出した足を止め、振り返る。
「え〜と、確か、MANAMIちゃん、だったよね。オレ、あの日のMCだったんだ」
スタッフは、自分を指差して言った。
「そうなんですか」
ふうん、それで?という風に愛海は答えた。それに、司会者の顔など見ていなかったから、そう言われても困るのだ。
しかし、スタッフはそれに気づかず、笑顔で、
「もしかして、今日、試合に出るの?」
と尋ねてくる。
「出ません」
愛海はきっぱりと答えた。
「なあんだ、がっかりするなあ。MANAMIちゃんの試合、面白かったのに」
こっちは不愉快だわよ!と、愛海は心の中で反論した。
「ミアちゃんは、あれから連日試合に出てて、今は一番人気なんだよ。まあオレは、ミアちゃんよりアカネちゃん派だけど」
「はぁ……」
一体、今、何人くらいの女性がここで働いているのだろうか。
「気が向いたら、また、試合に出てよ。じゃあね」
そう言い残し、スタッフは去って行った。愛海も、今度こそマネージャー室へと向かう。
コンコン、とノックし、
「石野ですけど」
と言い置いてから、愛海は扉を開けた。
室内には、ぴしっとスーツを着てはいるが、どこか胡散くさい竜崎が、応接セットに座ってタバコをふかしていた。
「よう、愛海チャン」
竜崎は、軽く手をあげ、愛海に声をかける。
愛海は、クリーニング店の袋をずい、と竜崎の目の前に掲げ、
「これ、返しに来ました」
と短く言った。
「うん、じゃあ、早速それに着替えて……って冗談冗談!」
にこやかに言い放った竜崎だが、途中で愛海に睨まれて慌てた。
「まったく、相変わらず怒りっぽいなあ。そのエネルギーをここで使ったっていいのにさ」
と言いつつ、竜崎は立ち上がり、愛海から衣装の入った袋を受け取った。
「遠慮するわ」
愛海は、竜崎の手に渡ったクリーニング店の袋から、手を離した。
「そう言うなら仕方ないね。でも、どうだ、試合を見ていくくらい、しないか」
勧められて、愛海は迷った。そうね、見るくらいなら……。
「正直、見たいだろ?」
「まあ、……そうね」
「そろそろ、第1試合が始まる」
そう言って竜崎は、愛海に、ついて来い、と手で指示し、部屋を出た。愛海は小走りにその後を追った。
竜崎に案内されたのは、中2階にある部屋で、ボックス席のようになっており、試合会場を見下ろせた。
「一応、ココ、特等席なんだけどさ。みんな、下の席の方が良いって言うんだよね。ま、気持ちはわかるが」
と、竜崎は説明した。
「ふうん、そうなの」
愛海は、手すりにつかまり、場内を見渡す。他の客の頭が、視界を遮る事はない。確かに、これが、普通の格闘技の会場だったら、特等席だ。
会場のざわめきが、ここまで届く。
場内の照明が、一瞬にして暗くなる。ざわめきは、一層大きくなった。
そして、ぱあっと、眩しい光。再び照明が場内を照らす。大音量のMC。
「本日も、ようこそいらっしゃいませ!美少女達の格闘の宴、ファイティング・キャットへ!!」
美少女……。格闘の宴……。
愛海は、台詞のセンスの無さに辟易した。
「さぁさぁさぁ、お待ちかねの第1試合ですよぅ!!」
司会者が言うと、観客達は拍手をしたり、指笛を鳴らしたりし始める。
「まず登場しますは、初お目見え!爆裂バストの、せな〜〜〜〜!!」
ば、爆裂ばすとぉ?……この台詞って、司会者が自分で考えているのだろうか。
スポットライトが当てられたのは、確かに、大きなバストの幼い顔をした少女だった。
ワンショルダーのタンクトップに、ホットパンツという出で立ちだ。
「対するはぁ!人気上昇中、本格武闘派、アカネ〜〜〜!!!」
リングの反対側にも、スポットライトが当てられた。
そこに浮き上がった人物は……。
「わ、わっ!渡会さん〜〜?!」
愛海は、思わず声を張り上げた。
クラスメイトの渡会紅音だったのだから。
次へ
インデックスに戻る
読んだら押してネ!