決して広いとはいえない個室。窓は無い。その面積のほとんどを占めているのは、キングサイズのベッド。シーツの色は、趣味の悪い青味ピンク。一昔前のOLが好んだ口紅の様な色だ。
四方の壁の一つは、全面の鏡張り。その端の方に、プレートが貼り付けられている。
白いプレートには、赤文字で、『本番禁止』と記されている。
「ねぇねぇ、ミアちゃんさあ、18歳って、嘘でしょ」
素っ裸なのに、どこを隠す事もなく、だらしなくベッドに寝ころんでいる男が言った。
「は?」
ミア、と呼ばれた女は、身に着けた乱れたランジェリーを整えつつ、聞き返す。それは、18歳に見えない、って言っているのだろうが、果たしてどっちの意味でなのか。それより年下に見えるのか、それとも逆なのか。
「だってさ、こういう所で本当の年言う子って、いないじゃない。だいたい、10代って言っているのは、20過ぎだよね」
「それって、あたしが20とかに見えるって事かな」
長い黒髪の一束を指に巻き付け、にっこりして問う。
「そうなんでしょ?」
男が起きあがる。そこをすかさず拳が襲う。
「あたしはホントのホントに18なんだよ!!」
ぱっかーんっ。
ミアの拳は男の右頬にヒット。男は再び寝転がる。
「え、エスエムオプションは頼んでないよ??」
殴られた頬を押さえ、男が涙目で訴える。
「ああら、そうだったかしら〜?」
ミアは、すっとぼけて、引きつった笑顔を作った。
源氏名『ミア』。職業、ヘルス嬢。年齢18。
風俗業を否定する気持ちはない。むしろ、若い女が、簡単に大金を稼ぐ事のできるこのシステムを、ありがたく思っている。
しかし、コスプレもイメプレも難なくこなすミアが唯一嫌悪するのは、男に媚びなければいけないこと。そんなんだから、ホステス等は、3日と保たない。
『特集・働く女のストレス』
店の待機室で、そんな文句が書いてある雑誌読みつつ、ミアは思った。
そうだよね、もっと、ストレスのない職場で、働きたいわよねえ〜。
テーブルの上の紙コップを手にとる。中身は、インスタントコーヒー。
「ミアちゃん、また客からクレームついたんだって?」
そんなミアの隣に、先輩のヘルス嬢が腰掛ける。
「またって……。確かに、そうだけどぉ……」
ミアは雑誌から目を離し、先輩に答える。
「あたし達の仕事はさ、男の人をいい気分にさせる事だよ。肉体も、精神も」
「でもぉ〜」
わかってはいるのだが。やっぱり、こういう仕事をしていても、失礼な男は許せない。
そして、喧嘩っ早い自分を押さえる事もできない。その性格が災いして、学校も退学になったし、家も出た。
「そう言えばさ」
先輩が、話題を変える。
「3つ向こうのビルに、奈津子さんが経営してた店あるじゃない?そこ、改装するって、知ってた?」
「へえ、そうなんですか」
奈津子、とは、この界隈では有名な女性。多くの風俗店を経営する女性である。
「なんでも、格闘できる風俗嬢大募集、なんだって」
「何なんですか、それ。マットがプロレスリングだって事?」
ここでミアの言うマットとは、もちろん彼女達が風呂場で使う物のことである。
「さあ〜」
先輩は、よくわかんない、と、小首をかしげた。
愛海は、竜崎に言われた言葉に、迷っていた。
『本当は、闘いたいんだろう』
その通りだった。普段は、他人と争わずに過ごしている。
だが、心の奥底では、他人よりも高いプライドを持ち、それを侵す者を許せなかった。 逆に言うと、プライドが高いが為に、他人にそのプライドを侵される事のないよう、争わない様にしていたのだ。
だからこそ。そのプライドを踏みにじる奴は、完膚無きまでに叩きのめしたくなる。
愛海は幼少の頃、空手、合気道、剣道などを学んではいたが、全て、半年も保たずにやめさせられていた。それは、勝つために、その武術の型を守らなかったから。どうしても勝ちたかったから。
そんな気質が、今でも愛海の根底にあった。それは、家族や友人の誰もが、気づいてはいなかったのに。あの男は、気が付いた。
『思い切り、闘ってみろよ。誰にも、咎められやしない場所でさ』
『一度だけなら、やってみるわ』
愛海はあのとき、竜崎にそう言った。
そうよ、一度だけなら、いいじゃない……?
「で、何で、こういう衣装なのよ?!」
個人控室で、愛海は怒鳴った。
竜崎に渡された衣服は、激ミニスカートのセーラー服。
「安心しろ、ちゃんとブルマーもある」
真っ赤なブルマー(しかも、サイズがぴったりなのが不気味だ)をひらひら持って、竜崎は言った。
「そういう事を言っているんじゃないわよ!その衣装が気に入らないって言っているのよ」
「なら、『あの白いブーツに蹴られたい。特撮モノ女性戦士服』っていうのもあるけど?あと、『宇宙刑事の女助手服』とか」
なんなんだ、その宇宙刑事ってのは!
「……この服でいいわよ、もう」
愛海は、素直に衣装を受け取った。
「まあ、そう嫌な顔するな。これは、ショーなんだから、見ている人を楽しませてナンボだ」
「わかってるわよっ。着替えるから出ていってッ」
愛海がいくら怒鳴っても、竜崎は、ひょうひょうとしている。
「じゃ、開始は1時間後だからな。よろしく」
と、片手をあげ、控室から出ていった。
入場料5000円。一試合の観戦料7000円。ドリンク各種、2000円。
そんなに高値い方ではあるまい。客の入りも、思ったより上々だ。店内を見て、竜崎の顔に、笑みが浮かんだ。これは、当たりだったな。
店内が暗くなる。音量を大きめに、テクノ系の音楽が流れる。さあ、開幕だ。
「H県初のキャットファイトショー、ファイティングキャットによ、う、こ、そぉ〜!!闘うムスメ達の熱い姿をゼヒ見てくれぃ!!」
アナウンスの男の声が響き、客の歓声があがる。
店内中央に設置されたリングの両端にスポットライトが当たる。まず、出てきたのは。
「一番手は、当店オススメ!女子高生のMA・NA・MI〜〜〜!!」
うおおおお〜っ、という歓声。客の方は、だいぶん酒が回っているようだ。
スポットライトに照らされ、セーラー服の愛海が登場する。学校と違って、多少ケバ目のメイクもしている。
ライトの熱を浴びると、今までの迷いが吹っ切れる気分だった。この場所が、自分を呼んでいる。そう、錯覚する。
「対するは、気まぐれネコちゃん、ミア〜〜〜!」
気まぐれネコちゃん??なんじゃ、そら!愛海は、心の中で突っ込んだ。だが、客は、先ほどと同じように、歓声を上げ、拳を突き上げる。
スポットライトの下に出て来たのは、すらりとした女性。長い黒髪を、子供の様に2つに分けて結んでいる。そして、なぜか、ネコ耳の付いたヘアバンドをし、着ている黒のミニワンピースのお尻には、シッポが付いている。
愛海は、自分の衣装は、まだマシな方だったんだ、と思った。相手の女性が、不憫でならない。
「両者、中央に寄ってぇ〜〜〜」
アナウンスに従い、愛海は、前へ進み出る。相手も同じく。
じっくり顔を見れば、なかなかの美人だ。そして、その、ミアは言った。
「そんな衣装、つまんなくない?」
はあ?愛海は、目が点になりそうだった。
「そういう、あなたは……?」
「これ?自前に決まってるじゃない」
何当たり前のこと訊いてんのよ、とでも言いたげに、手に掴んだ尻尾をくるくる回しながら、ミアが答えた。
それって、ちょっとオカシイよ。愛海がそう思っている間に、
「では、記念すべき第1試合、スタートぉうっ」
カーーン!!
鐘の音が鳴る。
と、同時に、ミアの拳が、愛海の目前を横切る。
ぶおん、と空気を切る音がする。
愛海は、咄嗟に身を引いた。
この拳のスピード。格好はふざけているけれど、能力は、本物だ。
そう感じ、愛海は、脚を大きく広げて拳を構えた。
歓声が一層大きくなる。しかし、愛海の耳には、そんなものはもう、届かない。
念頭にあるのは、ただ、相手を叩きのめそうという想いのみ。
ミアが右拳を繰り出す。
愛海は、左手首でそれを受け止め、右手でミアの顎にストレートをとばす。
ミアは、体をのけぞらせてそれを避ける。
愛海は全身し、左フック。それも避けられると、左フックの勢いのままに体を回転させ、今度は回し蹴り。
紙一重で相手が避けるやいなや、更に脚を伸ばす。
愛海のケリは、ミアの腹をかする。ミアはよろけ、後方のロープにしがみつく。
そして、
「やったわね」
と、愛海を睨む。
「それが何か?」
愛海がしれっとして答えると、ミアは猛然とハイキックを繰り出す。
お尻の尻尾も、それと同時に勢いで跳ね上がる。
愛海はすかさず身を引きかわす。ミアの黒いミニワンピの中に、白いレースのショーツが見えた。
ミアは愛海に蹴りを避けられるとすぐに、逆の脚で蹴ってくる。
愛海が今度は避けずに、十字に組んだ腕でそのケリを上から止めると、ミアは愛海に頭突きをくらわせた。
脳天が揺さぶられる。目の前がぐらぐらした。しかし、ここで止まってなんていられない。愛海は、闇雲に両腕を振り回した。
ミアの頬に、愛海の平手打ちがヒットする。コンマ1秒後に、ミアも愛海に平手打ちの仕返し。さらに、足払い。
面白いほど簡単に、愛海の体はマットに叩きつけられた。
そこにミアが覆いかぶさろうと襲ってきたので、愛海は、咄嗟に脚をあげ、かかと蹴りを打ち込む。
観客の声が、一層高まる。そういえば今はミニスカートだったんだ。しかし、そんな事に構っている場合じゃない。
愛海の蹴りによって、ミアもまた、マットに倒れこむ。
愛海は、ミアより先に起き上がろうとした。そこに、ミアが手を伸ばす。
それから逃れようと、愛海は身をよじる。ミアの手は、愛海の赤いブルマーのウエストを掴んだ。
ずるりっ。
「きゃあっ」
うおおおおっ、と、観客が一斉にヒートアップ。
冗談じゃないわよ!
愛海は、ミアの手を蹴ってどかし、半分ずり落ちたブルマーを引き上げ、立ち上がる。
「なんだ、ベージュか、つまんないわね」
そう言いつつ、ミアが立ち上がる。
「何色だっていいでしょ!!」
色云々は、愛海の今回着用しているショーツの話である。
「透けにくいのはベージュじゃなくてモカブラウンよ!」
と、ミアが拳を構えダッシュ。
「透けるような服は着ません!」
がしっ。
ミアの放った拳を、愛海は手のひらで受け止めた。
ぎりぎりぎり……、と、しばらくの攻防の後、2人は飛び退き離れる。
「なかなかやるわね」
ミアが不敵に笑った。
「これでも、本気じゃないつもりよ」
愛海は答え、再び、攻撃のため構える。
「減らないお口は閉じなさい」
ミアの、顔面を狙った右ストレート。速い!
だが、愛海はそれをぎりぎりまで引きつけ、ふいっ、としゃがむ。
そして、ミアの腹に抱きついてタックル。
どすん、とミアが尻もちをつき、愛海はその上に覆い被さる。
小さく、ぷつん、と音がしたが、闘う2人に聞こえるよしもない。
「ど、どけなさいよ!!」
ミアは、愛海から離れようと身をよじる。
「そう言われてよけると思う?これは、闘いなのよ」
愛海も、ミアの動きを完璧に封じようと躍起になる。
「おおっと、フォールか!30秒でMANAMIのフォール勝ちだぁっ」
やかましいアナウンス。わああああっ、と場内が盛り上がる。闘いもクライマックスだ。
ばたばたと暴れるミアの腕を押さえ、さらに脚をからませようとしたとき、愛海は、ミアの腰の付近に、何か白いものが落ちているのを発見した。
白い瀟洒な布きれ。品名としては、レースのショーツ!
場内が盛り上がったのは、戦闘がクライマックスだからではない。理由は、ミアのショーツの紐が切れたからだったのだ。
もしかして、と思い、おそるおそるミアの腰もとを確かめると、予想通り、何も穿いていない。
愛海はひるんだ。その隙を、ミアが看過するはずもなく、愛海を蹴り上げ、くるっと横に回転して逃げ、立ち上がる。
「うわっ!だ、駄目よ、ケリはっ」
愛海は、蹴られた脇腹を押さえつつ、もう片方の手の平をミアに向け、制止する。
「あら、命乞い?」
「そーじゃなくてっ。そのっ」
愛海が、マット上に落ちているミアのショーツに目をやる。ミアもそれを確認したが、
「そんなもの、どうでもいいわよ」
と、脚を振り上げる。
場内が嬌声で震えた。
「どうでも良くないでしょーーっ」
愛海は、右手でミアのケリを叩き落とし、その反動で、顎に手刀を送る。
「くあっ」
ミアの体がのけぞり、後ろに倒れそうになるが、愛海は、その肩を左手で掴んで引き寄せ、みぞおちに右拳を叩き込む。
「ぅん……っ」
ミアは短くうめき、意識を失うと、その場に崩れる様に倒れ込んだ。
「ノックア〜〜〜ウトっ」
アナウンスが響き、カンカンカンカン、と鐘が鳴る。
わああああっ、という歓声の中、愛海は素早くしゃがみ込み、ミアの丈の短いワンピースの裾を一生懸命引っ張り、その臀部を隠した。
「ちょっと!タオルとかローブとか無いの?持ってきて、早く!」
試合後の控室。愛海はすぐに私服に着替えた。備え付けの洗面台で、メイクも落とす。
「もう入ってもいいか?」
ドアの向こうから、竜崎の声がする。
「どうぞ」
愛海が答えると、ドアが開き、竜崎の姿が見える。手に、缶コーヒーを2本持っている。
「お疲れさん」
と、そのうちの1本を、愛海に手渡した。
「それと、今日のギャラだ」
竜崎は、スーツのポケットから、茶封筒を取り出す。
「20万しかないが、我慢してくれ。今後、店が儲けるようになったら、もっと出す」
20万しか、というのもすごい話だ、と愛海は思った。が。
「1回だけの約束よ」
愛海は、竜崎から茶封筒を受け取り、言った。
竜崎は、以外な事を聞いたという風な表情をし、
「もうやらないつもりか?」
と訊いた。
「当然です。だって、これ、風俗じゃないですか」
愛海は、貰った缶コーヒーとギャラ、そして借りていた衣装を鞄に詰めた。
「あ、衣装はこっちでクリーニングに出すから置いていっていいぞ」
竜崎は言ったが、
「何か違う事に使われたら嫌ですから、自分でクリーニングに出して、お返しします」
と、愛海ははねつける。
「風俗業に偏見を持つのも申し訳ないのですが、私には理解できない世界ですので」
それだけ言うと、愛海は、鞄を持ち、竜崎に軽く頭を下げると、控室のドアを開けた。
「だけどな、お前みたいのが、存分に戦える場所ってのは、そうそう無いぞ」
竜崎は、出ていく愛海の背中にそう言った。
だが、愛海は、無言で振り返りもせず、控室を後にした。
竜崎は、ふ、と笑い、小さく、
「また来いや」
と呟いた。
次へ
インデックスに戻る