そして、とうとう、その日はやってきた。
せなとの対決の日だ。
不意打ちに大人数、しかも、自分は手を出さない。そんな汚い闘い方をした相手だ。年下といえど、加減するつもりはない。
「随分気合い入ってるね〜、今日は」
店に行く道すがら、ほとんど無言でずんずん歩く愛海に、紅音が後から小走りでついてくる。
「そんなに気負ってるつもりはないけど」
愛海は、歩調をゆるめ、紅音を振り返った。
「いや、いつもと全然違うオーラ出してるよ」
紅音は、愛海の隣に並び、言葉を続けた。
「準備は万端な訳だ」
「準備って程のものは、ないと思うけど」
「体調は問題ない?怪我とかはない?」
「大丈夫よ」
「下着は可愛いのにした?ちゃんと、ブラとパンツはセット?」
「……それは全く関係ないでしょ」
愛海が睨んでも、紅音はただ笑い飛ばすだけだった。
確かに、全く関係ない。が、関係ないついでに言っておくと、愛海も紅音も、常日頃からブラとパンツはセットで着用する主義である。
「で、今日はどんなの?」
「めくらないッ」
愛海は、スカートの裾に伸びてきた紅音の手を払った。
そうこうしているうちに、店の建物が見えてきた。
「わぁ、今日も結構いるね〜」
紅音は軽く背伸びをして、店の前の行列を眺める。
「まだ、開店まで2時間くらいあるのにね」
「いい席取りたいんだろうね。まあ、今日もひとつ、皆さんを楽しませて来ましょうか」
そして、2人は、裏口から店内に入る。まずは、マネージャー室に行き、竜崎から、今日の対戦予定を聞く。
「失礼します」
愛海がドアを開けると、竜崎は、携帯電話相手に、必死に語りかけていた。しかも大袈裟なジェスチャーつきだ。まるでベタなハリウッド俳優だ。
「いやだから、それは違うって。誤解。由美子とはなんでもないよ。えぇ?今?……しょうがないなぁ。愛してるよ」
「愛してる」の部分で、竜崎は愛海と目が合ってしまった。
「うぐ……ごふごふっ。い、いや、ちょっとむせて……。じゃあ、仕事中だから、切るぞ」
そして、竜崎は、携帯電話を、ぱちん、と折り畳むと、
「よう、お早うさん!」
と、愛海たちに挨拶した。心なしか、空々しく聞こえる。
「竜崎さんって、ろくでもない大人の見本だわね」
愛海の冷たい視線。
「うう……。こんなに失礼なコトを言われているのに、反論できない自分が悔しい」
それは、竜崎にも、多少なりとも「ろくでもない大人」の自覚があるからであろう。
「私たちは、竜崎さんの私生活になんの興味もないからいいけど。今日の予定を教えてよ」
「わかった。今日の第1試合は紅音ちゃん。控室は3番を使って。愛海ちゃんは2番目ね。控室は、5番をどうぞ。衣装は後で持っていくから」
スケジュール帳を見ながら、竜崎はそう告げる。
「わかったわ。それじゃあ」
愛海は、竜崎にくるりと背を向けた。
「ああ、反応が冷たい様な気がするっ」
「大丈夫です、私、竜崎さんの事は、もともと最低だと思っているから」
「そんな……」
愛海はそれ以上は何も言わず、紅音は2人のやりとりに笑いながら、マネージャー室を出ていった。
紅音と別れ、それぞれの控室に入る。とりあえず、愛海の出番はまだなので、しばらくゆっくりしようと、鞄を置き、部屋の真ん中に置かれたテーブルセットの椅子に腰掛ける。
テーブルの上には、ポットと紅茶のセットが用意されていたので、それに手を伸ばす。
「愛海さ〜ん、入っていいですかぁ?」
ノックの音と共に、スタッフの声が、扉の向こうから聞こえる。
「あ、はい、どうぞ」
そして、衣装の入った紙袋を手に、スタッフの男が入ってきた。
「どうも〜。これ、マネージャーから預かって来ました〜」
スタッフは、空いている椅子の上に、紙袋を置く。
「3着あるから好きなのを選んでねって言ってました」
「あんまりいい予感はしないけどね……」
愛海は、紙袋の中から衣装を取り出す。スタッフは、今日の衣装について説明を始めた。
「ええと、まず、今愛海さんが手にしているのが、『激ミニ&Tバックポリス』で、こっちにあるのが、『谷間チラ見せ!小悪魔ナース』です」
相変わらずと言えば相変わらずだが、何なのよ、それは!という感想を抱かずにはいられない。
「そして、最後のが……ああ、これは、つまんないですね、やめておきましょう」
と、スタッフが紙袋の中から引っ張り出したのは、愛海が始めに来ていた、ミニスカートのセーラー服。
「ああ、それ。それ着るわ」
「ええ〜」
愛海がセーラー服に手を伸ばすと、スタッフは、あからさまにがっかりした顔になる。「じゃあ、着替えるから、ねッ」
他の衣装を紙袋に戻し、スタッフに持たせ、その背を押す。
「でもぉ、僕は、こっちのポリス服がいいと思いますよ〜」
未練たらたらのスタッフをなんとか追い出す。
「ここの連中は、揃いも揃って、何考えているのよ」
愛海は呆れた。
このセーラー服にしたって、愛海から見ると、マトモなものではないのだが、あの中では一番許容できるものであった。
「着替える」と言ってスタッフを外に出したが、今日は時間があるので、まだ着替えずに、少し授業の復習でもしておこう。
愛海は、衣装を部屋の隅のクローゼットに掛けると、テーブルの上に勉強道具を広げた。
それから少しもしないで、
「愛海〜、ちょっとちょっと〜」
と、紅音が控室に入ってきた。
「コレ見てコレ♪」
愛海が立ち上がり、扉に目を向けると、そこには、今日の衣装を身につけた紅音と、その後ろに竜崎がいた。
「今日の紅音ちゃんの衣装は、ずばり『くのいち』!」
「に……忍法帳?」
長さは腿までで、胸のはだけた着物の下に、ハーフトップとショートレングスのスパッツ。そしてなぜか、ガーターで吊っている網タイツ。
「可愛いでしょ?」
こんな衣装で『可愛い』と喜べる紅音の思考回路が理解できない。
「気に入ったの?」
流石に、「うん、可愛い」とは言えず、愛海は、返事を質問に換える。
「気に入った」
紅音は即答。
「ふ〜ん、そうなんだ……」
「紅音ちゃんは、すらっとしていて、脚も長いから、こういうの、似合うんだよね」
竜崎が褒めちぎる。
「私とは、似合うものが違うって、前に言ってましたもんね」
愛海は、以前竜崎に言われた言葉を思い出した。
「そうそう。愛海ちゃんは、もうちょっとふくよかだから……」
べしっ。
テーブルの上にあった教科書は、愛海の手によって、空を飛び、竜崎の頭にヒットした。
「まっ、愛海ちゃん、それ凶器!」
「余計な事を言うからよ」
「褒めたのに〜」
女性にとって「ふくよか」は、ちっとも褒め言葉ではない。それと、たとえ相手が10代であっても、女性に対し、体型を話題にするのは命取りである。
「それじゃあ、あたしそろそろ、ウォーミングアップしてくるね」
と、紅音は、自分の控室に戻っていった。
「ああ、うん。今日も頑張ってね〜」
竜崎は、額をさすりながら、去っていく紅音にそう言った。
「毎回思うんですけど、ここの衣装って、竜崎さんの趣味?」
愛海は、腕を組んで竜崎を見つめる。
「いいや、スタッフみんなでよ〜く吟味した結果」
この店は、全員こういう人間で運営していたのか。なら、改善は期待できないだろう。
時間が来て、ウォーミングアップを終えた紅音は、会場入りする。
「さぁ〜!今日も皆さんお待ちかね!ファイティング・キャット開店ですよぅ〜!」
ハイテンションのMCに、観客が、うおお〜、と歓声で返事をする。
「美女達の熱い闘いには、どんな華麗なダンスも太刀打ちできない!第1試合!準備は整ったぁぁぁ〜っ!」
そして、店内中央のリングに照明が当たる。
「登場するは、今日が初試合!キャットファイター成り立ての、清楚な巫女さん、ツバキ〜〜!」
リングのコーナーに、更なる照明。白小袖に朱い袴、長い髪を一つに束ねた女性が浮かび上がる。
(ツバキ……?)
リング上にいるツバキは、綺麗に化粧をし、清楚に巫女装束を着こなしてはいるが、それがかえって艶やかであった。
「対戦するのは!こちらはもうお馴染みの元気娘、アカネ〜〜!」
反対側のコーナーにも照明が当たり、紅音は慌ててリング上に出た。
歓声を送る客に手を振って応える。ひとしきりそうしてから、今日の対戦相手に目を向ける。
間違いない。化粧でそばかすを消し、印象も大分違うが、ツバキは、片山椿だ。
紅音は、椿に向かって、にっこりと笑った。
「やっぱり、来たね」
椿も笑顔を返す。
「はい。今、すっごくドキドキしていますが、なんだか、とても楽しい気分です」
そして、試合開始のゴングが鳴った。
紅音の誘いによって、キャットファイトの世界に足を踏み入れた椿。
初めての試合で、もっととまどうかとも思ったが、そんな予想を裏切り、椿の瞳は輝いている様だった。
「やっぱりなぁ。同類だと思ったんだ」
楽しそうに紅音は言い、椿に向かって攻撃を仕掛ける。
まずは、軽い打撃を数発。それに対して椿がどう出るかで、彼女の力量を測るつもりだ。
椿は、紅音の拳を両手を使い払いのけ、隙をついて、自らも拳を繰り出す。
「やるじゃない」
紅音は、椿の攻撃をしゃがんで避け、再び立ち上がる際に、椿の胸の辺りに蹴りを入れる。
「きゃっ!」
椿はよろめき、更に紅音は、足払いを喰らわす。
紅音は倒れ込む椿を押さえ込み、椿はそれから逃れようと身を反転させる。
咄嗟に紅音は、椿の白小袖の衿を掴んだ。
椿は力一杯紅音から離れようとし、それを紅音が力一杯引っ張るのだから、当然、白小袖の合わせがはだける。
「イヤっ」
椿は小袖の前をかき合わせて、紅音を蹴り飛ばす。そしてそのまま半回転して、起きあがる。
即座に立ち上がった紅音を警戒しながら、椿は衣服の乱れを直す。が、
「ちょっと待って」
と、紅音が椿に飛びかかり、再び小袖を、今度は意図的に思いっきり、はだけさせる。
「ええっ?」
予想外の行動に、呆然とする椿。椿の目が点になっている事に気づかず、紅音は、椿の胸元を見て、絶叫する。
「何これ〜、シヴァリスのブラじゃない!!嘘〜、うらやましい〜!!」
一通りまくしたててから、
「と、言うことは……」
小袖の衿から手を離し、赤い袴を、がばっとまくり上げる。
「きゃーっ。ちょっとちょっと、渡会さんっ?」
椿は慌てて袴を押さえるが、それでも多少は見えてしまう。
「ああ、やっぱりセットだ!いいな〜」
どうやら、紅音が言っているのは、下着の事らしい。「シヴァリス」とはおそらく、下着メーカーの名称だろう。
「いつも何処のお店で下着買ってるの?」
真剣な瞳で、紅音は問う。
「え、えっと……。今度、一緒に行く?」
おずおずとそう答えると、紅音は、ぶんぶんと音が聞こえそうな程、首を縦に振った。
「じゃあ、詳しい話はこの試合が終わった後で!」
そう言って、紅音は掴んでいた袴の裾を、ぐん、と引っ張る。
しかし、椿ももう慣れてきたのか、よろめきはしたものの、ロープに掴まり、転倒は免れた。そして、紅音の腹を蹴る。
「ぅわ!」
紅音は弾き飛ばされ、背中から倒れる。その衝撃で、左足の、網タイツを吊っていたガーターが外れる。
さっと、体勢を整えた所へ、椿が殴りかかってくる。
立ち上がっている時間はないと判断し、紅音は、立て膝で椿に背面を向けたまま、機会を待つ。
椿の拳が真後ろに来た時、紅音は、さっと両手をあげ、椿の腕を掴み、そのまま、前方へ投げる。
しかし、椿は受け身をとり、ダメージはさほどない様だ。
それどころか、受け身を取った後、素早く掴まれて居ない方の手で紅音の左手首を掴み、親指を、その甲に当てただけで、紅音の手首をひねる。
「くっ……」
派手な技ではないが、痛みは相当あるだろう。それでも、紅音は、ここですんなりとギブアップする訳にはいかない。
紅音は、椿の親指だけを掴み、自分の左手からはがす。左手が解放されると同時に、2人は間合いをとり、身構えてにらみ合う。
一瞬の沈黙の後、攻撃を仕掛けたのは椿。
その真っ直ぐな正面突きを、紅音は重ねた両腕で捌き、回し蹴りを放つ。椿は、ひょい、としゃがんでそれを避ける。
蹴りの勢いで、紅音の左足首でたるんでいた網タイツが、履き物ごと客席の方へ飛んでいった。
間髪入れず、右脚で2発目の回し蹴りを低めに放つと、丁度椿の肩に当たり、椿は床に片手を着く。そして、その手で床を押し、立ち上がるのと同時に、紅音に手刀を当てる。 それは、紅音の脇腹に当たったが、紅音は顔をしかめつつも、その手首を掴み、椿に足払いをかける。
仰向けに倒れる椿。
ここで相手の動きを封じるなら、肩の辺りを押さえるのがいいのだが。
紅音が押さえたのは、椿の胸だった。
「も、揉まないで下さいっっ」
椿は脚をばたばたさせ、紅音を蹴る。紅音はその攻撃から逃れるため、さっと立ち上がり、間合いをとる。
そして、自分の胸に手をあて、
「そんな……同じくらいだと思っていたのに、あたしの方が、小さい……」
などと呟くものだから、椿は、脱力して立ち上がるのを忘れそうになった。
しかし、今は試合中である。すぐに気を取り直し、
「何の話なんですかっ」
と、紅音に殴りかかる。
「胸の大きさに決まってるでしょ」
紅音も拳を繰り出し、漫画のようなクロスカウンター。
お互いに、2,3歩よろめく。
紅音のすぐ背後には、ロープがあったため、紅音はロープに寄りかかった。
すると、ことの他、張りが甘かったらしく、紅音の体重のかかったロープは大きくたわむ。
「あ、あれ……っ」
がくん、と体勢を崩す紅音。それを、椿は見逃さず、紅音の両脚を掴み、持ち上げると、紅音の体はくるん、と後ろに半回転し……。
どすん。
「痛ぁっ」
「な、なぁんと、アカネ場外で、あっさり決着がついてしまいましたぁ〜〜!!」
MCが叫ぶ。
「ちぇ〜」
紅音は起きあがり、頭髪を整えつつ、リングに戻る。
「勝者は新人のツバキ〜〜〜っ!」
椿は、観客席からの拍手を一身に受け、とまどいつつも、喜んでいるようだ。
「どう?また、来たくなったでしょ?」
そんな椿に、紅音が笑顔で言う。
「ハイっ」
椿は大きく頷いた。
「でも、試合が終わったら、一旦、自分の服装チェックした方がいいと思う」
紅音が椿の胸元を指差す。
「シヴァリスのブラ見せびらかしたいのはわかるけどさ」
「きゃ〜、忘れてましたぁ〜〜〜っ」
椿は慌てて小袖の前をかき合わせると、真っ赤になってその場から走って逃げた。
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