1、悪意の夜をぶちのめせ

 けばけばしいネオンの看板が乱立し、酔客で賑わう夜の繁華街。
 道ばたで嘔吐する者あり、ビルの出入り口でケンカする者あり、交差点の真ん中で肩を組んで踊り出す一団もあり、人の波全体が千鳥足のようだ。
 この喧噪の街で、きちんと勤務している者だってちゃんといる。ミニスカートのナース服で呼び込みをしている女性、長髪に似合わぬスーツで若い女に手当たり次第声をかけるキャッチの男、公衆電話のボックス内にピンクビラを貼る小汚い格好の中年男、などなど。
「あ、パトカーだ!」
 ざわめきの中から聞こえてきたその声に、ビラ貼りの男は慌て、裸の女の写真が載ったビラを落としながら、一目散に逃げる。どんなに騒がしい中でも、「警察」「パトカー」などの用語には敏感に反応できる聴力を持っていたらしい。
 逃げて行くビラ貼り男の背中を見て、竜崎篤は最近消えなくなってきた目尻の皺をさらに深くして、くっくっ、と笑った。
 あいつは情けないねえ。いい歳をして、こそこそとした仕事で喰っていくしかない、哀れなヤツだ。
 まあ、俺も、人の事は言えないか。
 竜崎は、ふん、と息をつき、今自分が持っているベニヤ板の立て看板を見上げた。
『超便利ローン!スピード貸金、簡単支払い!』
 人通りの多い大きな交差点、その角に立ち、ブランド物を持っている若い女性をターゲットに、声をかけていく。
「どうですか、今だけ超低金利!おまとめローンも大歓迎ですよ」
 竜崎だって、なにもこんな仕事を、望んでしている訳ではない。
 でけぇ仕事をして、大金を稼いで……そういうチャンスに巡り会えなかっただけだ。
 そう、自分に言い訳をして、もう何年も経つ。
 浅黒く日焼けし、少し痩けた頬。若い頃はそこそこいい男だったであろう面影がすっきりとした二重の目元に残る。おかげで、金の無い時でも、ヒモ生活でしのげている。
「やめてって!放せって言ってるだろ!」
 交差点に、少女の、甲高い声が響いた。
 制服こそ着ていないが、どう見ても、中学生か高校生の少女の細い腕を、スキンヘッドの男ががっちりと掴んでいる。
 人々は一瞬、おや、という顔でそちらを見るが、すぐに、我関せずと、視線を外し、見えないフリをする。
 竜崎は、そのスキンヘッドの男に、見覚えがあった。
 この辺でよく見かけるヤツだ。
 小遣い稼ぎに体を売る少女を、逆に喰っちまう男。あの男も小物だが、それにひっかかる女は、もっと小物だ。
 少女は、男になにか、懇願しているようだった。
 男は、少女の耳元に何かささやき、手を放した。
 おおかた、条件でも出したのだろう。
 金を持って来たら、お前の出てるAVは処分してやる、とか、違う女を紹介したら、お前を解放してやる、とか。
 その条件通りにしてもらえる訳はないはずだが。
 自分で堕ちていった罠だから、仕方ないだろうね。
 竜崎は、ポケットから、折れたタバコを取り出し、火をつけた。


 昼休みの校舎。プールに続く渡り廊下は、夏以外は、人があまり通らず、うち明け話に最適だった。
 ただし、今回の彼女の場合、打ち明け話、と言うには、少し重すぎる内容である。
「どうしよう、どうしよう」
 涙声で、少女が言う。アイメイクが、涙で落ち、目の回りがどす黒くなっている。
「でも、その男に、女を紹介してやれば、由香子はAVに出演しなくていいし、今まで隠し撮りされてたビデオは回収されるんでしょ。じゃ、そうしようよ」
 由香子、と呼ばれた少女を取り囲む、2人の友人のうちの、1人が言った。
 由香子は、泣き顔のまま、顔を上げた。
「でも、でも、そんなこと……」
「やんなきゃ、自分が危ないんだよ?」
 由香子はまだ、迷っているようだった。しかし、友人達は、たたみかける様に言う。
「友達じゃないヤツで、文句言わなさそうなヤツ、差し出せばいいよ」
「そうだよ。由香子、助かりたいでしょ」
「そうだ、いたじゃん、丁度いいのが、クラスに……」


 石野愛海(まなみ)は、クラスでも、地味で、目立たない存在だった。
 成績は全般的に中間で、友人も、親しい者が数人程度、化粧気はなく、アクセサリーを着ける事もしない。
 容姿は、いい方であるが、それに気づく者は少なかった。
 彼女はいつも、放課後は図書室にいる。図書委員で、真面目な為、室内の本の整理をしてから帰宅するのだ。
「石野さん」
 重ためのハードカバーの本を数冊運んでいるとき、愛海は、声をかけられる。
「はい?」
 振り返った先にいたのは、愛海と同じクラスの狩田由香子であった。
 親しくもない由香子に声をかけられるのは、初めてかもしれない。
「狩田さん、どうしたの」
 愛海は、持っていた本を、近くの机の上に置き、尋ねる。
「うん、実は、お願いがあってね」
 由香子は、媚びるような笑顔で言った。
「え?」
 愛海が怪訝な表情をする。それはそうだろう。ほぼ初めて会話をした相手に、突然「お願いがある」などと言われれば。
 由香子は慌てて言った。
「あ、あのね。たいした事じゃないの。ただね、石野さんてほら、こうやって図書委員とかやってるじゃない?だから、本とかに詳しいかなーっと思って。実は、従兄弟に本をプレゼントしたいんだけど、私、どういうの選べばいいかわからなくって」
「そういう事なら」
 愛海は笑顔で答えた。
「引き受けてくれる?」
 由香子の表情が、ぱっと明るくなった。愛海は、「いいわ」と言って、頷いた。
「だったら、早速、今日はどうかな?予定空いてる?」
 由香子が問う。
 今日か。急な話のような気もするが、特に用事もない。少しの間考えてから、愛海は、
「じゃあ、この本を片づけたら、帰る用意をするから、ちょっと待っててくれるかしら」
 と答えた。「ありがとう、石野さん」
 由香子が、とびきりの笑顔を見せる。
 その裏に、とびきりの悪意を隠した笑顔を。


 愛海と由香子は、いくつか本屋を回ってみたが、結局、納得いく本は見つからなかった。
「ちょっと、歩き疲れちゃったね。お腹もすいたし、何か食べない?」
 と、由香子が提案してきた。
 もう空は暗くなり、確かに、愛海も、空腹になってきていた。
「うん……そうね」
 愛海が答えると、由香子は、
「じゃーね、私がよく行くお店あるんだけど、そこでいい?」
 と、愛海の顔を覗き込んだ。その表情には、「そこでいいに決まってるわよね」と書いてあった。
「え……。あ、うん。でも、どんな所?」
 愛海には、食べ物の好き嫌いはないのだが、一応訊いておく。
「ん〜と、普通の所だよ。一応、なんでも揃ってるよ」
 と、由香子は、曖昧な返事をした。
「こっちにあるから。行こ」
 由香子は、愛海の手を引き、歩きはじめた。
 その方向の先にあるのは、繁華街。
「ちょ、ちょっと待って、狩田さん。あの、お店って、もしかして、お酒とか出るとこなんじゃ……」
「出たって、飲まなきゃい〜でしょ」
「あの、でも……」
 そうこうする間にも、由香子は愛海を連れてどんどん歩いていく。随分と、強引な気がする。
 陽も落ち、賑やかになり始めた繁華街の、少し古めのビルに、2人はたどり着いた。
 確かに、このビルのテナントには、飲食店も入っているようだが。
 由香子はエレベーターに乗り込み、愛海も、仕方なしに同行する。
「知り合いのお兄さんがやってる店なんだ」
 と、由香子は言った。
「ちょっと、コワモテだから、見たらびっくりすると思うけど」
 それから、愛海の方に笑いかけ、言い聞かせるように、
「逃げないでね」
 と言った。そして、エレベーターは最上階で止まった。
 エレベーターの扉が開く。愛海は、由香子に続いて、フロアに出たが、どうも、この階に、飲食店があるようには見えなかった。
「こっち、こっち」
 と、由香子は、再び愛海の手を取り、先へと進む。
 そして、一つの扉の前で止まり、その扉をノックする。
 中から、男の声で、低く
「おう」
 という返事が聞こえてきた。
 由香子は扉を開けると、愛海の背を押し、彼女を先に部屋の中へ入れ、素早く扉を閉めた。
「え。あの……」
 中に入ってしまった愛海は、室内を見回し、とまどった。
 そこは、到底飲食店には見えなかった。
 コンクリートがむき出しの床と壁、天井には、換気用のパイプが張り巡らされている。 室内に設置されているものは何もなく、ただ雑然と、段ボール箱があちこちに積み上げられているだけで、その段ボール箱に腰掛けて、数人の男が、こちらを見ていた。
「狩田さん、ここって……」
 愛海は由香子に向き直り、問いかけたが、由香子は、愛海には目をくれず、奥に座っているスキンヘッドの男に話しかけた。
「約束通り、代わりの女を連れて来たよ」
 由香子がそう言うと、スキンヘッドの男は立ち上がり、ゆっくりとこちらに近づいてきた。そして、愛海をじろじろと眺める。
 愛海は、後ずさり、扉に近づこうとした。が、その場にいた他の男に、後ろに回り込まれる。
 由香子は、さらに、こう言った。
「AVに出すなら、こいつを出して。あたしは、もう、いいでしょ。今までのビデオも、返してくれる約束よね」
 スキンヘッドの男は、
「ああ、ああ。そのうち返してやるよ」
 と、適当に返事をする。
「そのうちって!」
 由香子が抗議の声をあげるが、スキンヘッドの男は、それに構わず、仲間の男に、
「おい、すぐに機材用意しろ」
 と言った。
 命じられた男は、ぴょん、と立ち上がり、
「了解。タイトルは、『実録女子高生レイプ』で決まりっすね」
とのたまった。
 愛海は、だんだん状況が飲み込めてきた。
 とりあえず、この場に居続けるのは、危険だ。
 騙された、という怒りが、愛海に力を与える。
 愛海は、自分の後ろに立つ男の片腕を両手で掴み、ぶぅん、と振り回し、スキンヘッドの男に向かって、放り投げた。
 どご、と鈍い音がし、2人が倒れた。
 愛海は、彼らが立ち上がる前に、急いで扉を開け、その場から逃げ出す。
 背中に、逃がすな、追え、と言う声が聞こえてくる。
 愛海は、エレベーターのボタンを押した。
 エレベーターを待つなら、非常階段で逃げる方が確実だったかもしれないが、生憎、非常階段がどこにあるかが、今はわからない。
 早く、早く。
 エレベーターが登ってくる時間が、異様に遅く感じる。
 ぽぉん、という音が、エレベーターが到着した事を知らせた。
 愛海は逃げて来た方向を見る。あの部屋から出て来た男達が近づいてくる。
 急いでエレベーターに乗り込み、『閉』のボタンを押す。
 脚の速い男が1人、もう早や追いついて来て、エレベーターに乗り込もうとして来たので、愛海は、そいつを思い切り蹴り飛ばす。
 その男が、向かいの壁に叩きつけられるのと同時に、エレベーターの扉は閉まった。
 エレベーターは無事降下を始め、愛海は、ほうっと、息をつく。
 しかし、改めて考えれば考える程……胸の奥で、ちりちりと、怒りがくすぶる。
 騙された。由香子にとって、愛海など、騙してやったっていい程の、無価値な存在。
 あの男達にとっても、愛海は、レイプAVに利用してやろうという程度の、見下げられた存在。
 ……随分、バカにされたものじゃない?
 怒りが、愛海の心を、体を支配していく。
 あんまりふざけられるのも、気分が悪いわね。
 愛海の顔に、自分では気づいていないのだろうが、笑みが浮かんだ。


 ビルの1階。出入り口は、表と、非常口と、二箇所あるが、非常口の方は、常時鍵が閉められて、外からはもちろん、中からも開かない。はっきり言って、非常の時には役に立たない。
 だから、愛海を追った男達は、すぐに、表出入り口へと向かった。
 すると、ガラスの扉越しに、制服のスカートが、ひらり、と逃げていくのが見えた。
 このまま逃げられてしまっていたら、それはそれで、もういい、と彼らは思っていた。
 代わりの少女など、すぐに見つかるのだから。
 しかし、手を伸ばせば届くところまでしか逃げていないのなら、話は別だ。目の前にふらふらしている美味しいカモを、放っておく手もないだろう。
 彼らは、すぐに、愛海の逃げた方向に走っていく。この先にあるのは、曲がり角。そこを曲がれば、袋小路……。
 もう、彼らは、愛海を捕らえた気分でいた。この場面から、ビデオ撮影してやっても、いいくらいだ。
 追いつめたら、あの顔が恐怖にひきつるのを見ながら、まずはシャツをはだけさせ、あとは、衣服を着せたまま、下着だけ剥ぎ取って……。
 スキンヘッドの男を先頭に、彼らは、意気揚々と、角を曲がった。
 かくして、愛海は、そこにいた。
 制服のブレザーを脱いで、白いシャツの腕をまくって。顔には、先ほどまでとは違う、笑顔。ここまで、逃げて来た、とう風には見えない。
 そう、まさに、彼女は、逃げたのではない。
 ここで、彼らを待ちかまえていたのだから。
「いらっしゃい。待ってたわ」
 冗談めかしてそう言い、満面の笑みを見せる。
 意表をつかれて、ぽかんとしているスキンヘッドの男の顎を、愛海は予備動作なしにストレートで殴った。
 ぱかーん、といい音がし、男は吹っ飛んだ。後ろにいた男が、その体をなんとか受け止めたが、支えきれず、一緒に地面に倒れ込む。
 色めき立つ男達に、愛海は笑顔で言い放つ。
「私って、こう見えても、プライドが高いのよ。だから、あんた達は、絶対に許せない!」
 そして、一番近くに突っ立っていた男の頬に左フックを見舞い、よろけたところを、さらに、みぞおちに蹴りをくらわす。
 そいつが、ぐえ、と奇妙な声をあげて地面に座り込む間にも、別の人間が、愛海に襲いかかる。
 愛海は、さっと身をひいてその攻撃をかわし、塀に手をつき、反動を利用して、その男に殴りかかる。
 愛海の拳は、その男の左目に当たり、男は目を押さえ、身をかがめる。その隙を、愛海は見逃さず、首の裏に、肘撃ちを叩き込む。そのまま、その男は、口から泡を吹いて倒れた。
「このガキ!」
 そう言って殴りかかってきた男には、
「そう呼ばれるのは大嫌い」
と、左手で相手の拳を内側から払い、がら空きの顎にアッパーカット。
 後方によろけたところに、脚を払ってやれば、簡単にすっ転ぶ。
 あとは、愛海の強烈なケリを2,3発くらわせれば、今までの男と同じように、白目をむく。
「とうとう、あんただけになっちゃったわね」
 殴られた顎を押さえながら立ち上がったスキンヘッドの男に、愛海は言った。
「くそガキがっ」
 と吐き捨てるように言い、スキンヘッドの男は、上着の内ポケットから、バタフライナイフを取り出した。
「そう呼ぶなって言ってるのに」
 愛海は冷ややかに言いながら、ナイフを持つ手を、素早く蹴り上げる。
 丁度、刃を出すところだったらしく、ナイフは男の親指を深く切りつけて、飛んでいった。
「うごあああっ」
 と奇声をあげ、男が血液を振りまきながら、殴りかかってきた。
 愛海は、体勢を低くし、拳をすり抜けて男の懐に入り込む。
 そして、男がこちらに殴りかかって来ていた勢いを利用して、その身体を地面に払い飛ばす。
 その背中を愛海はがっちりと踏みつけ、悠々と、男の右腕をひねりあげる。
「どんな人の関節でも、こうやると、外れちゃうのよね」
 という、恐ろしい台詞を事もなげに言い放ち、愛海は、ひねった右腕を、じわじわと、上方に引き上げる。
「うわ、うわ、悪かった。許してくれ」
 男は、惨めにそう言う。
「悪かった?許せ?何、言ってんの」
 しかし、愛海は、男の腕を放した。
「もう一度、私の目の前に姿を現したら、この程度じゃすまないわよ」
 そして、首と頭部の境目あたりを、ごっ、ごっ、と、2,3度踏みつける。
 踏みつけられる度、げえげえと苦しそうな声を漏らしながら、男は気を失った。
 そして、辺りに訪れた、静寂。
「ちょっと……やり過ぎた、かしら……ね」
 見回して、愛海は呟く。しかし、後悔をしている風でもない。
 小路の隅に置きっぱなしだった鞄とブレザーを拾い上げ、愛海はその場を立ち去ろうとした。 が、その脚が止まる。
 小路の入り口に、さっきまではいなかった人物がいた。
 『超便利ローン!スピード貸金、簡単支払い!』と書かれた立て看板を持ち、くわえタバコの男が、街灯に照らされ、立っている。
 この人、いつからいたの?愛海は、その場に立ちつくし、その男を凝視する。
 すると、男は突然、ぱんぱんぱん、と拍手を始めた。
「ぶらーう゛ぉ!見事なお手前でした」
「見てたの?」
 愛海が短く問うと、男はこっくりと頷いた。
「全部?」
 男はもう一度、頷く。
「そりゃもう、パンチの度に揺れるおっぱいだとか、スカートの裾から見える水色のパンツだとか」
「なっ」
 愛海の頬が、かあっと、熱くなった。確かに、今日の下着の色は、正解だ。という事は、ホントに見えていたらしい。
 さらに男が続けて言う。
「あ〜、でも、あんまり脚を上げてのケリは、頂けないねぇ。モロに見えちゃうと、かえって、楽しくないんだよね」
 ぼごんっ。
 愛海は、鞄で男を叩くと、その脇を、走ってすり抜けた。
「うおっとと!」
 その男……竜崎篤は、なんとか体勢を整え、転ばずにすんだ。
 そして、走り去っていく、愛海の後ろ姿が、繁華街に消えて行くのを見つめた。
 くくくっ、と、喉の奥から、笑いがこみ上げる。
「これだ!見つけたぞ、金儲けのチャンスをな!」


次へ
インデックスに戻る

読んだら押してネ!  

inserted by FC2 system