剣士と魔術師の帰郷・8章

 イディンからタランへと続く道。平素なら、行商人を初め、たくさんの人々が行き交っている道。
 けれど今は、タランへ近づくにつれて、人の気配が少なくなってきている。それだけでもう、タランに異変が生じているのだと伺える。
「だけど、妙じゃないか」
 リュオネスが問う。
「タランで何か起きているなら、その噂が広まるくらいあったっていいだろう?なのに俺たちがここに来るまで、そんなものはほとんど聞かなかった」
 するとディウロが静かに答えた。
「噂を広めるのは人の口。それが広まらないということは、それなりの理由があると考えれば良い」
「え、まさか、タランに入った人はみんな死……」
「滅多な事を言うな!」
 リュオネスの不吉な言葉はディウロに一喝され遮られる。
 であれば、どのような理由があるというのか。タランから人が広がらない……?出られない、とか?
 リュオネスたちの前後見渡す限りに人の気配がなくなった頃を見計らって、上空から羽音が聞こえ、一頭の竜が舞い降りてくる。
 地に足を着けると同時に、リーザは人の姿に戻る。
「この先しばらくは、何の異常もなかったです。ただ、森の中までは見えませんでした」
「そうか、ありがとう」
 リーザには適宜行く先の偵察を依頼している。それは、安全な旅の為でもあり、そしてまた、リュオネスの気まずさを減らす為でもあった。
 リーザは馬を持たない。だから移動はリュオネスと共にライトニングに乗るのだが、その間中、リーザはリュオネスの背中にぴったりとくっついているのだから、気まずいといったらない。
 この状況をキャルスラエルはどう思っているのかと、ちらりと彼女の様子を伺い見るが、普段と変わらない笑顔を返されてしまった。
 何とも思っていないのだろうか。それはそれで、ありがたいやら悲しいやら、複雑な心境になる。
 やがて木々が生い茂るようになり、一同は森へ入る。ここからはもう、リーザに飛んでいってもらう事ができない。
 森の中は霧深く、馬たちが踏みしめる土からは湿った匂いがした。木々の間から僅かに見える空は暗い雲で覆われている。
「雨が降りそうだな」
「そうなれば、一旦休んだ方が良さそうじゃな。馬たちもそろそろ疲れてきておるだろう。この森には休憩用の無人の小屋があったはずじゃ」
「そりゃ助かる。こっちも丁度腹が減ってきたしな」
 ディウロの言うとおり、しばらく進むと小屋が見えてきた。一同は馬を木に繋ぎ餌葉を与えると小屋に入る。
 森を行き交う人々が利用し、気付いた人が修理をしてくれているのだろう、小屋は古くても充分に雨風を凌げそうだ。
 しかし今は、ここを利用する人はリュオネスたち以外にはいない。
 昼食に手を着け始めた頃に、屋根を打つ雨滴の音が聞こえてきた。
「すぐに止むといいんじゃがの」
 ディウロが呟く。
 その時キャルスラエルが
「あ、いけない」
と小さく叫んだ。
「どうした、キャル」
「私、魔導書を入れた荷物を、トゥーランドットの背に乗せたままでしたわ。取りにいかなくては」
 キャルスラエルが立ち上がる。
「なら、俺も一緒に行くよ」
「大丈夫ですわよ。目と鼻の先じゃありませんか」
 キャルスラエルはくすくす笑う。
「それとも、シガラーの言うことを気にしてらして?」
「いや、そういうわけじゃないけど」
 実は思い切り気にしているのだが、それを認めるのは癪であった。
「けどホラ、キャルは雨だと迷子になるから」
 キャルスラエルは一瞬きょとんとしてから、リュオネスを軽く睨む。
「まあ、そんな昔のことを。わかりました、そこまで言うのなら、一緒に行きましょう」
 キャルスラエルとリュオネスはそれぞれ雨避けの布を頭からかぶり、外に出る。なるべくぬかるんでいない地面を選んで歩く。
「懐かしいお話ですわね」
「ん?何が」
「雨の中で、私が迷った時のお話です」
「ああ、うん」
 リュオネスは笑った。
「びっくりするよなぁ。キャルってば、雨が降ったら方向音痴になるんだもんな」
「笑わないでください。だって、雨が降ると見ていた景色が全く違って見えるじゃないですか」
「そうかなぁ」
 頬を赤らめ拗ねたようにこちらを見るキャルスラエル。その仕草はまるで小さな少女のようで、さらにあの日のことを思い出す。
 キャルスラエルがメレンデの元に弟子入りしてから半年くらいたった頃だったろうか。共に薬草を採りに行っていたはずが、雨の中、いつの間にかはぐれてしまったキャルスラエルを探して欲しいとメレンデから頼まれた。
 メレンデ達が薬草を採りに行く場所は、いつも変わらない。だから、雨を避けるために大きな木のうろの中にいたキャルスラエルを探し出すのに苦労はしなかった。
 雨と不安と心細さ。それらの寒さに小さく震えてかじかむ両手に息を吹きかけながら擦り合わせて温めて。
 泣いているかもしれないと思ったが、まだ泣き出す一歩手前で踏みとどまっている。早く手を差し伸べてあげなければ。
「キャルスラエル!」
 名前を呼んで駆け寄って、その手を包み込んだ。ひんやりとした指先。リュオネスの手だって雨で濡れてはいたが、それでもキャルスラエルの手よりはずっと温かかった。
 目を丸くして顔をあげたキャルスラエルはそこにリュオネスの姿を捕らえるとまん丸の目が半月に変わった。笑う唇は青くなりかけていた。このままでいれば、風邪をひくくらいじゃ済まなくなっただろう。
 止まない雨の中、2人はずっと手を繋いで歩いた。
 キャルスラエルの手が自分の手の中で、どんどんと温かみを取り戻すのを確認していたかったから。そして、もし手を離せばたちどころに冷たくなってしまうのではないかと不安だったから。
 2人とも、ずっとずっと、そうやって、安心していたかったから。
 そんな子供の頃を思い出しながら、リュオネスはそっとキャルスラエルの手を見る。
 白くほっそりとした手。今はもう、子供の頃のように簡単に触れる事はできない。
「どうかしました?」
 リュオネスの視線に気付き、キャルスラエルが小首をかしげる。
「あ、いや、何も」
 このタイミングで手なんか見ていたら、まるで手を繋ぎたがっているみたいじゃないか。
 リュオネスのそんな焦りを知って知らずか、キャルスラエルはにっこり笑う。
「あのときから、私、あなたに助けて貰ってばかりですね」
「そんなこと……」
「私、きっとずるいんですね。そうやってあなたが助けてくれることを、いつでもどこかで期待するようになってしまっていたように思います」
 これは真っ直ぐに、「あなたを信頼しています」と言われたも同然で、嬉しいけれど照れくさくて、どう返していいかわからなくなったからリュオネスは冗談で笑いとばすことにしてしまった。
「うん、俺もいつもキャルに期待されてるんじゃないかって期待してた。お互い様ってやつ?」
「ふふ、ありがとうございます。では、これからもお願いしますね」
「おぉ、任せろ」
 などと答えつつ。「これから」とはいつまでだろう、キャルスラエルをタランへ送り届けたあともずっとだろうか、ずっと、お願いされていていいのだろうかと考えた。

 充分に休息を取り、雨も霧雨に変わったため、一行は再びタランへ向けて出発した。
 視界を妨げるほどの濃い霧のため出発を躊躇ったのだが、急いでいる今、このくらいで立ち止まっているわけにはいかないと皆で相談のうえ決断した。
 しかし、自分の乗る馬の鼻先すら霞むほどの霧に、もしかしたらその決断は間違っていたのかもしれないと思い始めた。
 その矢先、リーザが
「この霧、本当に霧でしょうか」
と不吉な事を口にした。
「どうしてそう思うんだ」
「だって、鱗が潤わないんですもの」
「鱗?」
 それは竜にしかわからない感覚なのかもしれない。人の姿でいる時でも鱗が乾くとか潤うとか、関係あるのだろうか。いや、それは今問題ではないかもしれない。
「霧じゃないとしたら……」
 リュオネスはこれまでの旅を思い返した。こういう時はたいてい、霊魂だとかそういうものに襲われていやしなかっただろうか。
 ちらりとディウロの目を見る。彼なら魂魄だとかそういう系統はわかるはずだ。
 ディウロは半ば目を閉じ、意識を集中しているようだ。
「うむ……魂よりはもっと薄い……思念、それも無意識に近いようなものが縒り集まっているようじゃの。薄すぎて、よほど気をつけないとわからないくらいじゃ」
 それを聞き、リュオネスは剣の柄に手を伸ばすが、
「これ、無闇に殺気立つな」
と、ディウロに制される。
「だけど」
「なんでもかんでも悪意があると思っちゃいかん」
「じゃあ害は無いのか」
 ディウロは頷いた。
「キャルスラエル様、よぅく感覚を研ぎ澄ましてみなされ。あなたなら、見えるかもしれませんぞ」
「見える……?」
 キャルスラエルは不思議そうな顔をしたが
「やってみます」
と、素直にディウロと同じく意識を集中し始めた。
 いくら目をこらしてもリュオネスには単なる濃い霧にしか見えなかった。が、やがて、キャルスラエルははっと顔をあげる。
「これは……タランの住人なのでは?」
 ディウロは再び頷いた。
「何が見えたんだ」
 リュオネスが訊く。
「たくさんの、人の姿が。その中に、見覚えのある人が何人も……。私タランを離れてからしばらく経ちますけれど、それでも覚えている人はいます。間違いありません。ねぇディウロ、一体タランで何が起こったのです?」
「タランは、一夜にして時の凍り付く町となりました。人々の活動すら例外ではありません。しかしそれがあまりに急すぎたからでしょう、自分の状況がわからぬ者の思念が、体を抜け出てしまったのでしょうな」
 ディウロは周りにいる人々を眺めるように、辺りを見回した。
「この人たちを元に戻す方法は、あるのですよね?」
 キャルスラエルはディウロを窺い見て訊いた。
「それは屋敷に残った者どもが調べております」
「家の者は無事なのですか」
「ええ、タラン屈指の魔導師たちが交代で結界を張っております故。ただし……いや、まずは先を急ぎましょう」
 キャルスラエルの胸にさらなる不安が押し寄せる。
 一行は霧の中、いや、タランの人々の思念が行き交う中を進んだ。
 森を抜け、街に近づけば近づくほどに人々の思念は強くなってくるのか、「思念体」とも言えるそれはリュオネスの目から見ても人の形をとるようになっていった。
 背格好や目鼻立ち、表情までもが判別できるそれらをリュオネスは複雑な面持ちで馬上から見渡した。彼らは散歩するが如くただただ道を彷徨っていた。こちらの姿は認識していない様子である。
「なんだか妙な感じだ」
 人の形はとっていても、まるで風景の一部のようなのである。
 しかし、キャルスラエルにとってはそうではなかったようだ。
「あれは……もしかしたら花屋のエルト。その向こうにいるのは、教会の管理人だったシューヤかしら……」
 記憶に残っている顔を見つけては、落胆している。
「きゃっ」
 ふいに、キャルスラエルの額に街路樹の枝が当たり、小さな悲鳴をあげる。
「キャル」
 リュオネスはすぐに彼女と馬を並べ、声をかける。
「大丈夫か」
 しっかりしろ、ちゃんと前を見て進め、などとは今の彼女に言うのは酷であろう。リュオネスは手を伸ばしトゥーランドットの手綱を取り、安全な道へ誘導してやる。
 やがてタランの門が見えてきた。
 通称「空の門」と呼ばれる東門は街の一番高い位置にあり、そこから街に入れば街全体を一望できる。空の門から真っ直ぐに見える時計塔、その隣に建つのが領主邸である。
2本の門柱の前にはそれぞれきちんと見張りの兵の思念体が立っていた。
「それでは、参りましょうかの」
 ディウロの言葉に、キャルスラエルは覚悟を新たにして頷いた。
 先頭に立つディウロが門柱の間を抜けようとした時だ。
 兵の思念体が素早く槍を突き出し交差させ、ディウロの行く手を阻もうとする。
「なんと」
 ディウロは馬の脚を止めた。そして、畏敬の念を込めた視線で2体の兵を見た。
「主らは……こんな姿になって尚、街を守ろうという強い意志を持っているのか」
 そしてディウロは馬から降り、改めて兵に対し、まるで普通の人間に対するように言った。
「ディウロ・カートが戻った。道を開けられたい」
 しかし兵は微動だにしない。
「そうか……門を守るという意志の他は、何も持っておらぬのだな」
 街へ入ろうとする人間が無害な者かそうでないのか。その者が何者であるのか。それらの認識能力は持っていないらしい。
ディウロが一歩前へ踏み出す。
 と、兵が槍を突き出し、ディウロの鎧に傷をつけた。
「!!」
 実体はなくとも、相手を傷つける力だけは持っている。リュオネスはすぐさま馬を降りディウロの隣に立ち剣を抜く。それと同時に門の奥から数体の兵が出てきた。
「リーザ、頼む」
「はい」
 リュオネスが言うと、リーザは即座に竜の姿となり、キャルスラエルの前に立ち翼を広げ彼女を守る盾となる。
 突き出された槍をリュオネスは剣で打ち払うが、槍はその輪郭を揺らしただけでそのままリュオネスの腕を擦る。
 実体を持たぬ相手だとリュオネスの剣はからきし弱い。
「キャルスラエル様」
 ディウロも大振りの剣を抜き低く言う。
「あなたの前で街の者に剣を振るうことを許してくだされ」
 剣を水平に構えそれを真横に引くと、見えない鞭がそこから放たれたように、兵士の思念体が一気に後方へ吹き飛ばされ動かなくなった。
 ディウロは剣を鞘に収めるとゆっくり振り返る。
「さあ、行きましょう、キャルスラエル様」
 キャルスラエルはするりと馬を降り、動かなくなった兵士の傍に膝をつく。
「キャル?」
 キャルスラエルはその兵士の顔を確かめていた。
「ああ、きっとあなたはユークね。幼い頃の面影があります。昔から、屋敷仕えの兵であったお父様と一緒に、よく屋敷に来ていましたもの、覚えています」
 キャルスラエルの声は次第にかすれていく。
「ごめんなさい……ごめんなさい……」
 けれど今は、こうするしかなかったのだ。彼女が謝意を述べたところで、事が改善するわけでもない。解っていても、それでもキャルスラエルはその姿を靄に変え消えゆく思念体の傍で謝罪し続ける。
 リュオネスは何も言わず、そっとキャルスラエルの隣に膝をつきその手をとった。彼なりの励ましでありキャルスラエルもそれを理解して、何度も頷いた。キャルスラエルが立ち上がる気力を取り戻すまで皆そのままじっと動かなかった。

 店先には売り物の果実が入った籠が並べられたままだった。道行く馬車はそのまま停止し繋がれた馬は頭を項垂れぴくりとも動かなかった。木々には小鳥が止まり、花は風揺れていた。そして人々の姿は無かった。等倍に作られた偽物の街の中に入り込んだみたいだった。
 リュオネスはそっと馬車に繋がれた馬に近づく。剥製のような馬はしかし、気をつけて見ればやっとわかる程度の呼吸をし、触れれば温かみもあった。顔をあげれば木に止まった小鳥も囀りもしなければ動きもしないが、この馬と同じ状態なのだろう。
「いつからこのような状態なのです?街の人たちは?屋敷ではどうなっているの?一体何が起こってこうなってしまったの」
 真っ青な顔のキャルスラエルが矢継ぎ早にディウロに問う。ディウロは努めて落ち着いた声で一つ一つ答えた。
「わしがあなたの元を訪れるひと月ほど前、異変が起こりました。初めは老人たちが体が思うように動かないと言いだし、それが街中に伝染する頃には1人2人とまるで仮死状態のようになり倒れていきました。魔導の心得のある者だけが無事であったことから、これは何者かの魔法によるものだろうという結論がでました。だからといって対抗する手段は見つからず、せめて領主邸だけでも、と、魔導師たちを集め交代で結界を張らせております。ですから屋敷の中だけは安全ですが不可解なことに、領主様だけはその魔法にかかってしまわれたようなのです」
「そんな……」
 キャルスラエルが言葉を無くす。
「キャルスラエル様が気に病む事ではありません。あなたが不在のうちに起こったことですからの」
「でも」
 そんな言葉でキャルスラエルが納得するはずもない。
 沈黙と重くなっていく空気、陰りを濃くしていくキャルスラエルの表情に耐えかねてリュオネスが口を開く。
「なぁキャルスラエル、俺たち何のために帰るんだ?」
 キャルスラエルが顔をあげる。
「ただ単に倒れちまった領主様の顔を見に帰るんじゃないだろ。もしかしたらディウロはそのつもりでキャルを迎えに来たのかもしれないけど。でもキャルの気持ちはそうじゃないだろ。何とかしたいと思って帰るんだろ」
「ええ……ええ、そうね」
 キャルスラエルの瞳にほんの少しだが輝きが戻った。
「若造、無茶を言うな」
「無茶じゃない。何なら俺もいるしさ」
「余計無茶じゃろう」
 リュオネスとディウロのそんなやりとりの中、キャルスラエルは何かを決意したように手綱を強く握り直した。

 ディウロの言うように、領主邸だけは通常通りの生活が営まれている様子だった。
 頑丈な門扉の両脇を実体のある兵士が守っており、ディウロとキャルスラエルの顔を確認すると恭しく頭を下げて扉を開け、厩舎番は彼らの馬を丁寧に繋いで蹄を洗い、たっぷりの水と飼い葉を与えた。
 庭では庭番が植木を整えており、玄関先では使用人が頭を下げ彼らを中に通す。
 しかし誰の顔にもぴりぴりとした緊張と、長期間のそれによる疲労とが見てとれた。
 彼らが広間に入る前に、
「キャルスラエル!」
と、女性の声が廊下に響いた。
「お母様」
 それは、キャルスラエルの母アニェットだった。隣の領主の姪であり、かつては国中でその美貌が噂になった彼女の表情には疲労の色が隠せなかったが、美しさは健在であった。
「良かった……よく無事で帰って来たわね」
 アニェットはキャルスラエルに抱擁した後顔をあげる。
「ディウロもご苦労様でした。そして、そちらは?」
 アニェットの視線が自分に向けられていることに気付いて、リュオネスは口を開く。
「オーシェルメル師匠とメレンデ師匠の依頼で同行していました、リュオネスです。こっちは、リーザです」
 リーザもリュオネスに倣って頭を下げる。彼女が同行するようになった経緯はまたいろいろとあるのだが説明は省くことにした。
「そうですか。あなたたちも、ご苦労様でした」
 それからアニェットは、近くにいる使用人に、部屋を用意するよう命じた。
「まずはゆっくり休んでくださいね。そして、キャルスラエル、あなたは……」
「ええ、私はまず、お父様に会わなければ」
 キャルスラエルはしっかりと頷いた。現実をきちんと直視する心構えは出来ているようだった。

 リュオネスが用意された部屋に荷物を置き腰を落ち着けるとまず先にしたことは剣の手入れだった。
 リュオネスは、自分の旅をここで終わらせるつもりはなかった。
 タランをこのような状況にした原因、それが判明し次第、たとえ単身でもその原因を潰しに行くつもりだった。
 タランはオルコット公国の要となる街のひとつであり、そのタランが陥落したとなれば、他国から攻め入られることだろう。
 だから、国のために戦いに行くのだ……と言うのなら格好はつくのかもしれないが。
 そうじゃなかった。
 キャルスラエルにあんな思い詰めた表情をさせていたくなかったから。
久しぶりに触れた手は、子供の頃よりずっと脆くて。
 漠然と、感じたのだ。
 ずっと守っていきたいと。
 思考がそこまで進んでから、リュオネスは自分の感情に唖然とした。
「俺は、もしかして、キャルスラエルが……」
 突然、脳内がぱちぱちと弾けるような衝撃。心拍が奇妙に波打つ。
「いや待て!確かに今、一番大事だなぁと思ってはいるけれど!あれ、でも一番大事ってことはつまりどういうことだ!?」
 混乱してくる。いいや、本当はごく単純な答えがすぐそこにあるのだが、安易にそこに辿り着きたくなくて混乱するのだ。
 認めてしまえば話は早いのに。
 混乱したままのリュオネスの思考は、ノックの音で一旦停止した。
「はい、誰?」
 リュオネスが剣を収めつつ返事をすると、扉の向こうからリーザの声が聞こえる。
「お茶とお菓子を頂いたので、ご一緒にどうかと思いまして」
 扉を開けるとそこには、2人分の紅茶と焼き菓子の載った盆を持つリーザがいた。
 実はリュオネス、甘い物が大好きであった。
「わ、ありがたい」
 リーザを部屋に招き入れ、窓際のテーブルに案内する。
 温かい紅茶はここしばらくの緊張を解きほぐした。
 焼き菓子は、ローナレン領主邸で出されるだけあって旨かった。が、今のタランでこのような物を調達するのは大変なのではないかと余計なことも考えてしまった。
「リュオネスは、この後どうするのですか」
 リュオネス『様』はやめてくれ。そう頼んでから、リーザはリュオネスを敬称無しで呼ぶようになっている。
「どうって?」
「あなたの役割は、キャルスラエルさんを家まで送り届けることだったのでしょう。その役割が終わった今、あなたは自分の家に戻るのですか」
「いいや」
 さらっと即答したので、リーザはほんの少し驚いたような顔をした。
「じゃあ……」
「うん、俺はタランに残ろうかと思う。残るというか、この状況をなんとかしたい。そう言うリーザはどうするつもりだったんだ」
「私はリュオネスと一緒にいるつもりですから」
「一緒にったって……それこそ家は?家族は?」
 するとリーザは小さく笑った。
「私たち、家は無いようなものです。この姿だから忘れてました?私、人じゃないんですよ」
 忘れていたわけではないが、竜でも親くらいいるだろうとリュオネスは思っていた。じゃなければ、竜は卵をどこかに産み捨ててあとは放ったらかしで孵化して育つとでも言うのだろうか。
 リュオネスの不思議そうな表情を読み取ったのか、リーザが説明する。
「シュズルダットはオルコットと違い、広大な国土の殆どが作物も育たぬ荒野です。その中心に聳える山が私たちの棲む所でした。シュズルダットには元々霊血を持つ者、つまりイーコールが多く、私たちの祖先は彼らと協力し合い、良好な関係を築いていたと聞きます。けれど100年ほど前、まだ私が生まれて間もないころですね、シュズルダットはイーコール達による軍隊を作り上げ、私たちをパートナーとしてではなく、軍馬のように使うために山から連れ出しました。霊血の力には抗えない私たちは、彼らの言いなりになるしか無かったのです」
「そんな事が、あったのか」
 もしかしたらオーシェルメルもシュズルダットの出身だったのだろうか。軍の手から逃れ、オルコットの山奥に住み着いたのかもしれない。
「そんな険しい顔をしないでください。これでも私たち、この生活にそれなりに順応しているんですよ。自分の主たるイーコールを伴侶する人もたくさんいますし。むしろ、その方が私たちにとっては自然なんですけど」
「へぇ、そうなんだ」
 何気なく聞いていたリュオネスだが。
「ですから、できれば私たちもそうなれると良いですね」
「私たち?」
「はい。リュオネスと、私」
 にっこりとそう言われ、飲みかけの紅茶を吹きそうになった。
「え?ちょ、ちょっと待って、それってそういう決まりなの?」
「いえ。可能であれば、の話です。大丈夫ですよ、私、寿命は長いですからリュオネスの決心がつくまでいつまでも待てますよ。50年でも100年でも」
「そ……ソウデスカ」
 寿命とかそういう問題ではない気もする。
「それはそうと」
 リーザの方から話題を変えてくれたので、リュオネスはこっそり安堵の息を漏らした。
「今、この街に起こっていることなんですけれど」
 そう言われ、リュオネスの表情が再び引き締まる。
「このような魔法をかけられる人たち、私知ってます」
「本当か」
「ええ。シュズルダットの帝国魔導団なら、このようなことができると思うんです」
「魔導……団?何人もいるって事か」
「はい。おそらくこの被害、いずれタランだけでは収まらなくなるのではないかと」
「だったらすぐに何とかしなけりゃ」
 リュオネスは即座に立ち上がる。
「まさか単身乗り込むつもりじゃありませんよね。あなたがそう言うのなら私はついていくまでですが」
 まさに単身乗り込む気であったリュオネスだが、リーザにそう言われて多少の落ち着きを取り戻した。
「いや、まずディウロに話してみる。それに、タラン側がどう出るかも確認しとかなきゃならないしな」
   リーザはほっとしたように
「ですよね」
と言った。


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