剣士と魔術師の帰郷・5章

 ローナレン領イディン。
 そこは、ローナレン領の最東端であることから、領内の他の街々よりも、軍隊の配置が多く、兵士の街とも言えた。
 さらに、他領へ出て行く交易馬車がローナレン領で休める最後の街であるため、宿場も多かった。
 結果、街の奥には兵士と行商人のための歓楽街が広がっている。
 門の脇にいた番兵たちのチェックはあっという間に終わった。
 「あっ」という間は言い過ぎかもしれない。が、少なくとも、リュオネスが空を横切る鳶に気を取られている間に、街の中へ入ることを許された。
 さすが、ローナレン領主の令嬢とその付き人が同行しているだけある。
 街の中心を突っ切る大通の左右を挟むように造られた兵舎の前を過ぎ、さらに街の奥へと進むと、ぽつぽつと店が並び始める。
 両側に並ぶ店を眺めながら、馬の脚を進める。
 飲食店、土産物屋、長旅の食料に最適な乾物屋に日用品店。
 軽鎧を装着した何人もの兵士たちが行き交う。
「昔と変わらず、賑やかなところですね」
 キャルスラエルが街の様子を眺めながら言う。彼女の目には、この街の昔の光景も映っているのだろう。
「なんか、わけわからん格好した姉ちゃんたちがいる……」
 リュオネスの視線の先には、屋外に並べたテーブルで冷たい茶を飲みながらお喋りにいそしんでいる女性の一団がいた。彼女たちは皆、色とりどりのスカーフを何重にもしてウエストに巻いている。
「あら、最近の女の子たちの間でちょっと流行っているのよ」
 リュオネスの背中のリーザがそう教えてくれた。
「私も歩き旅じゃなければ、あんな格好がしたいわ」
「そういうもんなの?」
 ふと、キャルスラエルを見ると、彼女も少し羨ましそうに流行の服装をした女性達を見つめている。
 女性の視神経というものは、流行と言われれば何でも素敵なものに見えてくるようにできているのかもしれない。
「へんなの……」
 女性陣の反感を買いそうで怖かったので、誰にも聞こえないくらいの声量でリュオネスは呟いた。
 しかしそのリュオネスの表情は一瞬にして引き締まる。
 後方から、複数の馬の足音が聞こえてきた。それも、駆け足。
 背中に感じる気配で、もしかして自分たちが追われているのではないかと思う。誰かが、射るように自分たちを見ているのを感じるからだ。
 ドドドッ、ドドドッという馬の足音はどんどん大きくなり、案の定、
「そこのご一行、待たれよ!」
と怒号が飛ぶ。
「何だ」
 一体誰が、どうして自分たちを追うのか、状況を理解しようとする間もなく、「取り押さえろ!」の号令が響き、道行く兵士たちに取り囲まれる。
 しかしその兵士達にしても、命令が聞こえたからとりあえず取り囲んでみたといった様相で、理由はよくわかっていないらしく、一様に困惑した表情を浮かべている。
「おい、お前ら……」
 リュオネスが声を荒げかけた時だ、後方の騎馬兵たちが追いついた。
 先頭に立つ騎馬兵の鋼鉄の面に向かって
「なんのマネですかな」
とディウロが低い声で問う。
 するとその兵士は、ぐいっと面を押し上げた。
 面の下から出てきたのは、意外にも、見ているこちらの気が抜けそうなほどの、へらへらとした笑い顔。
「だってぇ、こうしなかったらキャルスラエル様逃げちゃうじゃない」
 しゃべり方も、いまいち締まらない感じだ。
「第7騎馬団長」
「シガラー」
 ディウロとキャルスラエルがそれぞれにその兵士の名前を呼ぶ。
「わぉ。キャル様俺の事覚えててくれたんだぁ」
 兵士は一度きりっと姿勢を正して、
「ローナレン第7騎馬団長、アルトロネスタ・シガラー、キャルスラエル様ご来訪の一報を受け、歓迎のご挨拶に参りました」
と告げる。
 しかし、アルトロネスタ本人以外は皆、きょとんとするしかなかった。
「だったら何なんだよ、さっきの!取り押さえろとか言ってよ」
 最初に不満を漏らしたのはリュオネスだった。
「あれは半分冗談だ」
 アルトロネスタは、まあまあとなだめるように右手を上げる。では残り半分は本気だったというのだろうか。
「でも君はなんだか気に入らないから、本当に捕まえちゃおっかな」
「何で?」
 アルトロネスタの一言で、回りの兵士達がぞろりとリュオネスを取り囲む。
「シガラー」
 キャルスラエルが咎めるように名を呼ぶ。
「いいじゃない、ちょっとくらい拗ねさせてくださいよぉ。キャル様ったら、俺の姿を見たら逃げるくせに、こんな見も知らぬ男とは一緒に旅をするだなんてさぁ」
「私がいつあなたを見て逃げました?」
 キャルスラエルのその質問には、ディウロが答えた。
「キャルスラエル様がお小さい時ですよ、シガラー団長もまだ子供でしてな、蛇を持ってキャルスラエル様を追いかけるものですから、キャルスラエル様はひどく恐がっておられました」
「確かに、そんな事もあったような気もしますね」
「そうそう、泣きそうになるキャル様が可愛くってつい」
「なんだ、変態か」
 ぼそっとリュオネスが言うと、すかさずアルトロネスタが
「捕らえろ」
と命じ、回りを取り囲む兵士が一斉に剣を抜きリュオネスに向けて構える。
「シガラー、ふざけるのはいい加減にしてください」
「はいはぁい」
 アルトロネスタはひょいと肩をすくめると、兵士達に剣を収めるよう、手で合図した。兵士達はよく訓練されているようで、皆同じ動きで剣を収めた。
「シガラー団長ともゆっくり話をしたいところですがな、わしらは急ぐうえ、ちょっと用もありましてな。このお嬢さん達を送り届けねばならない」
 ディウロが首をひねって、自分の背中のローザを見る。
「そうだわ、お二人は、どちらまで行くんでしたか」
 キャルスラエルがローザに訊ねる。
「『白銀の雫』という旅亭です」
「旅亭、ですか」
 飲食店や宿場が多く建ち並ぶこの街で、名前がわかるだけのその店が見つかるだろうか。
 リュオネスはそう思ったが、杞憂だったようだ。
「まぁ〜、それはスゴイ」
 アルトロネスタが反応した。
「あ、いえ、私たちはただ、頼まれ物を届けに行くだけなんですけど」
 リーザが慌てて付け加える。
「なんだか、とっても有名な宿場だとお聞きしていたので、気後れしてしまって」
「有名なんだ」
 リュオネスはキャルスラエルに訊ねた。
「ええ、もう5代も続いている老舗ですし」
「やっぱり、キャルも行ったことあるの?」
「いいえ、私は」
 キャルスラエルが首を振ると、
「せっかくだから、送るついでに寄って行けば?キャル様がいれば、すぐに席も用意してくれるだろうし、代金も後払いで良いだろうし」
とアルトロネスタが軽く言う。
 しかし、キャルスラエルは表情をこわばらせる。
「私……そういうのは好きじゃありません」
 キャルスラエルが自分の身分を明かして行けば、誰だって特別扱いする。けれどそれは、所謂「権力を振りかざす」行為であって、キャルスラエルの望むところではないのだ。
「だったら、俺の招待って事で。それじゃ駄目?」
 と、アルトロネスタが提案する。
「だって、今日はもうどこかに泊まらなきゃ野宿でしょう。どこに行ったってここはローナレン領、キャル様の身分が知られる可能性は高い。そうなれば何が起こるかわからないし。それを考えれば、俺の招待できちんとしたところに世話になるのが一番いいんじゃないの」
「それもそうですな」
 いち早く承諾したのはやはりディウロだった。
「異論はありますかな」
 ディウロが一同を見回して訊くが、改めて異論など誰からも出なかった。
 ディウロはアルトロネスタに向き直る。
「それでは、食事の席と、宿泊の部屋をお願いできますかな」

 『白銀の雫』までの道のりは、決して緩やかと言える勾配ではなく、人の脚で歩くには少々難があった。
 つまりは、馬や馬車を所持する人間でなければ来ることのできない場所なのだ。暗に、身分の無い者は拒んでいるのかもしれない。
 しかし、リュオネスはそんな事に気づけるほど繊細な思考の持ち主ではなかった。
「良かったな、リーザ。俺たちに会わなかったら、大変だっただろうな」
 お気楽に、背中のリーザに語りかける。
 けれど、リーザもリュオネスのそんなお気楽さが嫌いではなかったようだ。
「本当に、そうね」
と、くすくす笑う。
 先頭にアルトロネスタが立つ一行が『白銀の雫』に到着すると、アルトロネスタが門番に話しかける前に、建物の中から主人と思しき中年の男性が小走りで出てきた。
「シガラー団長。わざわざこんな所までおいでくださるとは」
 主人の後から、従業員達も数人走り出てくる。
「そんなに大勢で出迎えなくってもいいよ」
 アルトロネスタは片手をあげ、過剰な出迎えを抑える。
「今日は私の客人が訊ねてきたものでね。急な事だから、都合がつかないかもしれないが、どうだろう、この人たちをもてなすだけの余裕はあるだろうか」
 そう言われて、店の主人は客人の数を数える。
「いち、にぃ……5人ですね、お部屋は3つしか空いていないのですが……」
 主人が言いにくそうに告げると、ディウロの背中にいたローザが慌てて馬を降りた。
「あ、あのっ。あたしたちは違うんです」
 リーザもローザに倣って馬を降りようとするが、慌てていたものだから、ぐらりと体勢を崩し、咄嗟にリュオネスがその体を抱えた。
「す、すみません……」
 リュオネスに支えられながら、リーザも無事馬を降りる。それから、店の主人に向き直ると、
「あたしたちは、こちらにお世話になっているセテ・モルテの姪で、届け物に来たんです」
と、自己紹介をする。
 店の主人は、
「あなたたちが!いやぁ、良かった、遠い所から来ると聞いていたから、モルテさんもずっと心配しておられましたよ」
と、安堵の笑顔でリーザとローザを迎えた。
「お二人の分のお部屋は、すでにモルテさんから頼まれていますから、ご心配なく。さあ、皆さん、お部屋にご案内します」
 キャルスラエルとディウロがアルトロネスタに一時の別れの挨拶をすませ、一行は『白銀の雫』に招き入れられることとなった。
 所々に金箔のあしらわれた扉の向こうには、繊細な装飾の燭台、女神の姿を模した柱が並ぶ吹き抜けの広間。
 いくらなんでもリュオネスは、自分は場違いなんじゃないかと感じ始めた。
「なんか居心地悪い……。俺だけ別の所に泊まろうかな」
 ぼそりと言った言葉を、ディウロに聞きとがめられる。
「ぬしは、キャルスラエル様を護衛するためにいるのだぞ?離れてどうする」
「それはそうなんだけど」
 そこへ、明瞭な男性の声が響いた。
「やあ、無事に来られたようだね、ローザにリーザ」
 2階へと続く階段をゆっくりと降りてくる男性。年齢は、リュオネスよる10くらい上だろうか。
「セテ様」
 ローザとリーザが声を合わせる。
 リュオネスは違和感を覚えた。自分たちの叔父に対して、「セテ様」?
 しかしその後すぐ、ローザが
「叔父様、ご心配おかけしました」
と言ったので、もしかしたら、聞き間違いだったのかもしれないと思い直した。
「待ちわびたよ。何しろ君たちが来てくれないと、私の仕事が進まない」
「この方が、あなたたちの叔父様なのね?」
 キャルスラエルがリーザに訊ねると、リーザはこくんと頷いた。
「その方たちは?」
 セテがキャルスラエルに目をとめて、リーザに問う。
「こちらへ来る途中で魔物に襲われて……助けて頂いたうえ、ここまで同行してくださいました」
 リーザの報告を聞き、セテは大仰に驚き、それから、階段を降りきると、リュオネスに深々と頭を下げて礼を言う。
「私の姪たちを助けて頂き、ありがとうございます」
「ああ、いやその、そんなに頭下げないでください。俺こういうの慣れてないから」
 リュオネスが慌てると、セテはにっこり笑いながら顔を上げた。
「そうですか。かしこまりすぎもまた無礼となりますね。申し訳ありません」
「そういうつもりじゃないんですが……すみません」
 どうも、セテとは調子が合わないみたいだ、とリュオネスは思った。
「モルテ殿、と言いましたな。こちらにはお仕事でいらしてると?」
 ディウロが訊ねると、セテは
「ええ、そうなんです。私、設計士をしておりまして。ティテス領の国境に新しく設立する門の設計を依頼されていたので、各地の防御門を見て回っているんです」
と答えた。
 ディウロは深く頷く。
「イディンの門はローナレン領の中でも、優秀な物の一つですからの」
「ええ、ところがですね、ここに来て、大切な資料を忘れてきた事に気が付きまして。便りを出して、姪達にここまで持ってきてもらったんです」
 セテはリーザ達に視線を向け、改めて礼を言い、それから
「二人とも、部屋に案内するよ。積もる話もあるし、夕食までゆっくりしよう」
と、二人を招き寄せる。
「それでは、また、夕食の時にでも」
 セテは会釈し、リーザ達と階段を上っていった。
 それを見送ってから、ディウロも
「それでは、わしらもとりあえず、荷を置きに行きましょうかの」
と、口を開く。
「ああ。ところでさ」
 リュオネスは、声を落としてディウロに訊く。
「この宿は、大丈夫なのか?」
「何がじゃ」
「だから、前みたいに霊魂の気配があるとかさ」
「ふむ……」
 ディウロが確認するように、あちこちを見回す。それから、
「全く無しじゃな」
と答えたので、リュオネスは、ふうっと胸をなで下ろす。
「良かった。この前みたいのごめんだからな」

 アルトロネスタの口利きとあって、リュオネスたちは、広い部屋を一人ずつ使えることになった。
 リュオネスにとっては、広すぎて居心地が悪かった。
 剣を置き、籠手を外して椅子に座り、ふう、と一息つく。
「もうローナレン領まで来たのかぁ」
 あと少しで、キャルスラエルとの旅も終わりだ。自分の役目も終わる。
 この旅が終わった後、自分は何処へ行こう?未だ、当てはない。
「結構あっという間だったなぁ」
 リュオネスはこれまでの事を思い返す。
 初めの森での戦い。アルスの宿。リーザたちを助けたこと。
「そう言えば」
 リュオネスは、ふと、心に引っ掛かりを感じた。
 リーザとローザ、そしてセテ。
 この3人に、なにか違和感を感じる。
 リーザ達が、セテを「セテ様」と呼んだように聞こえたこと。
 それもあるし、いくら必要な資料を持ってきて欲しかったからといって、少女2人に危険な旅をさせるだろうか?それが、血縁関係のある者であれば、なおさらそんなことさせないのではないか。
「他人のことだからな、わかんない事もあるか」
 リュオネスはがりがりと頭を掻いた。
 それから、窓辺に歩み寄り外の景色を眺める。
 丘の上にある『白銀の雫』の窓から見る街の眺めは壮観だった。
 少しずつ茜色に染まっていく広大な空の下に、白壁の建物がきっちりと区分けされて立ち並ぶ街並み。その向こう側に、街を外敵から守る防壁。
 小路を一隊の騎馬団が進むのが見えた。彼らの着る鎧には、見覚えがある。先程出会った、第7騎馬団。
 という事は、あの先頭にいるのは、アルトロネスタ・シガラー団長か。
 リュオネスはしばし、騎馬団の行進を眺めていた。


「あの子達、無事に着いたかしらねぇ。何事もなく着けばいいんだけど」
 独り言を呟きながら、ぱしゃん、と泉の水を両手で汲み上げ、肩から流す。
 年齢不詳の魔女メレンデは、顔だけではなくその体も若いままだ。
 静かな夕暮れ。泉の水も夕陽に染まる。
 その静寂を破って激しい水しぶきを立てながら、水の底から何かが沸き上がった。
「きゃっ」
 メレンデは思わずその場に尻餅をつく。
 そして、沸き上がった「何か」を見上げた。
「あらやだ、何やってるのよ、オーシェルメル」
 そこには、泉の水を滴らせた巨大な龍がいた。
「水の中が気持ちよくて。つい、うたた寝をしてしまっていました」
 その優しげな声は、人間に化身していた時と全く同じであった。
「あなたたちって、水の中で寝るの?変な人……じゃなかった、ヘンな生き物ね」
 メレンデは泉から出ると、傍に置いていた衣服に袖を通す。
「乙女の水浴びの最中に目を覚ますなんて、無粋ねぇ」
「乙女?」
 オーシェルメルがからかうように聞き返す。
「そうよ、れっきとした」
 メレンデがひと睨みすると、オーシェルメルの鼻先でぱちんと火花が散る。
 オーシェルメルは「おっと」と、少し身を引いた。
「それよりもあなた呑気ねぇ。うたた寝なんて。弟子が心配じゃないの」
「そりゃあもちろん」
 オーシェルメルは尻尾でばしゃばしゃと水を撥ねながら答える。
「でも、あの子達のことですから、大抵の事は大丈夫だと思いますよ」
「随分評価が高いわねぇ」
「メレンデだって、キャルスラエルの事は、優秀だと思ってらっしゃるでしょう」
「まあね。だってあたしの弟子だもの」
 濡れた髪を結い上げながら、メレンデは得意げに笑った。
 オーシェルメルは付け加えるように、
「それに私、一番心配な事には、ちゃんと蓋をしておきましたから」
と言った。
「蓋?」
 メレンデは眉を上げる。
「はい。あの子には強すぎる力……というか、あれは特異体質ですね。それがあるもので、この先不便が起きないよう、ちょっと封じさせてもらいました。今のあの子には、まだ必要のない力です。使い方のわからない力には気付かない方がいいんです」
「ふぅん、そんなの、あたしは気付かなかったわぁ」
 メレンデは泉の淵に腰掛け、つま先で水面を蹴る。
 水面に映った夕陽が、ゆらゆらと揺れた。


   湯気と共に、美味しそうな香りが食堂に充ちる。
 ローナレン独特のハーブを使った料理が多数、大きな食卓に並ぶ。
「懐かしいですね、この香り」
「年を取ると故郷の物が一番食欲をそそる」
 キャルスラエルとディウロが顔をほころばせる。
 しかし、同郷のリュオネスは渋面であった。その理由は、リュオネスの隣に座るキャルスラエルの、さらに隣に座る人物、アルトロネスタである。
「どうしてアンタ……じゃなく、あなたがここにいるんですか」
「食事くらいご一緒したっていいじゃない。なにも、一緒に泊まるわけじゃない。あ、でも、こっそりキャル様の部屋に泊めてもらっちゃおうかな」
「シガラーったら、何を言っているの」
 キャルスラエルは彼の言葉を冗談ととり軽く笑い飛ばしたが。
「ホントに何言ってるんですか、このおじさんは」
 リュオネスの場合、口許は笑っていても、声色や目つきは笑っていなかったりする。
 幸いディウロには、アルトロネスタの言葉は聞こえていなかったようだ。もし聞こえていたら、ちょっとした戦闘が繰り広げられていたかもしれない。
 そんなリュオネス達の向かいでは、セテが二人の姪にここの料理がどんなに美味であるかを説明していた。
「料理も美味いですけれど、酒もなかなか良いのがありますよ、ここは」
 セテ達の会話に割って入ったアルトロネスタが、傍に立つ従業員に果実酒を一瓶持ってくるように注文した。
 すぐさま、アルトロネスタとセテの目前にはそれぞれグラスが置かれ、二人の間には一本の果実酒の瓶が置かれた。
 果実酒の甘く独特な香りはリュオネスの鼻先まで届いた。
「さあ、どうぞ」
 アルトロネスタはセテのグラスに果実酒を注ぎ、自分のグラスにも同じだけ注ぐとグラスを傾け、乾杯を促す。
「では」
とセテも、乾杯に応じる。
「ディウロさんとリュオネス君もいかがですか」
 アルトロネスタが勧めると、ディウロが
「それでは、グラスを頂けますかな」
と従業員に頼んだのに対し、リュオネスは
「俺はそういうの、やらないんで」
と断った。
「なぁんだ、残念。お嬢さんたちは?」
 ディウロのグラスに果実酒を注ぎながら、アルトロネスタはリーザ達に訊く。
 二人とも、即座に首を横に振るが、セテに
「なかなか美味だよ。頂いてみたらどうだい」
と勧められ、おずおずとグラスを受け取った。
「キャル様は……」
「おやめください」
 キャルスラエルへの誘いは、アルトロネスタが言い終わる前にディウロが遮った。
 美味しい食事がそうさせるのか、それとも、もともと酒に強いのか、アルトロネスタの飲酒速度はなかなかのものであった。彼は、他人にグラスを勧めるのもまた上手であった。 あっという間に、リーザとローザはぽわっとした朱色の頬になり、セテとディウロはアルトロネスタとの会話が盛り上がっている。どうやら、この食事の席は長くなりそうだ。
 参ったなぁと思いつつ、リュオネスがふとキャルスラエルの横顔をのぞき見ると、キャルスラエルは眠たそうに目をしばたいている。連日の旅は、リュオネスやディウロにとってはそれほどではなくとも、キャルスラエルにとっては、かなり疲労が蓄積されるものであろう。
「キャル、先に休んだら」
 リュオネスはキャルスラエルに耳打ちする。
「でも、まだ皆さん食事の途中ですし。一人だけ退席するなんて」
 キャルスラエルは自分の疲労を押し隠してまで、回りに気を遣っているのだ。
「じゃあ俺も、もう戻るよ」
 リュオネスは席を立ち、ディウロに
「ジジイ、明日のこともあるから、先に戻る」
と告げる。
「えー、それじゃ、お休み前に1杯だけ、どう」
と、アルトロネスタが酒瓶を持ち上げる。
「だから、いらないって」
 リュオネスはアルトロネスタの誘いを断ってから、
「キャルも、明日の準備とかあるだろ」
と、キャルスラエルにも退席を促す。
「そうですね。皆様が楽しんでらっしゃるところに、水を差して申し訳ないのですが」
 キャルスラエルは皆に会釈して立ち上がる。
「そんなー、寂しいなぁ」
 キャルスラエルと離れがたい様子のアルトロネスタにリュオネスが
「そういうあなたは、明日はお仕事はないんですか」
と言うと、アルトロネスタは
「3時間眠れば大丈夫!」
と3本の指を突き出して答える。
「そりゃすげぇですね。でも、キャルはそんなわけにはいきませんから」
 にこやかにそう言って、リュオネスはキャルスラエルを連れて酒宴の席を退出した。
「あー、ちょっとちょっと、二人で抜け出させちゃって、いいの?」
 リュオネスとキャルスラエルの後ろ姿を見送りながら、アルトロネスタはディウロに問う。
「下賤な心配は無用じゃろう」
 ディウロは果実酒を飲み下して言った。
「あの若造は、ちゃんと自分でわかっておるようだよ。自分がキャルスラエル様とは釣り合わんことがな」
「へぇ」
 アルトロネスタはにやりと笑った。それから、
「じゃあ、俺は?俺は?キャル様と釣り合うー?」
と、自らを指さす。
「問題外じゃな」
 ディウロはばっさりと斬り捨てる。
「あっらー」
 アルトロネスタは、食卓に突っ伏した。そしてそのまま、視線だけディウロに向けると、「正直なところ、どうなの?リュオネス君も、問題外?それとも、何かの条件で問題『内』になる?」
と、訊いた。
「そうじゃな」
 ディウロは、ゆっくりと思案してから答える。
「あやつにそれなりの身分と、自信があれば別かもしれんがの」
「随分評価がお高いんですこと」
 アルトロネスタは、ディウロのグラスに果実酒をどぼどぼと注いだ。

「それじゃあ、ゆっくり休んで」
 キャルスラエルの部屋まで彼女を送り届け、リュオネスはオヤスミの挨拶をする。
 部屋の扉を閉めかけて、
「あの、リュオネス」
と、キャルスラエルがリュオネスを呼び止める。
「少し……良いですか」
 声をひそめるキャルスラエル。何か言いにくい事なのだろうか。
「良いけど?」
 不審に思いながらも、リュオネスは返事をする。
 キャルスラエルは周りを窺いながら、
「あの、ここでは、少し。誰かに聞こえては困りますので」
 じゃあどこで、と訊こうとする前に、キャルスラエルは部屋の扉をさらに開けた。
 これは、部屋の中に招き入れているという事だろうか。
「え、ちょっ……」
 リュオネスは慌てて周りを見回す。
 廊下には誰もいない。だけど、誰かに聞かれてまずい話であれば、部屋の中に入る方が安全だ。
 しかし、そうなればそうなったでいろいろ問題がありはしないか。
「リュオネス?」
 不思議そうな顔でキャルスラエルが見上げてくる。
「あ、いや、なんでも」
 その顔を見て、リュオネスは少し落ち着きを取り戻す。
 キャルスラエルには何の他意もないし、また、考えもしないのだろう。
(だけど、ちょっと緊張するんですけど……)
 居心地の悪さを感じながらも、リュオネスはキャルスラエルの部屋に入る。
 扉を閉めると、外の音が遮断され、妙に静かだった。
 リュオネスは、部屋の奥まで入るのは気がひけて、扉の前から動かずに、
「で、どうしたんだ」
と訊く。
「私の気のせいでしたら良いんですけれど」
 扉を閉めてもなお、ひそめた声でキャルスラエルは話す。
「あの、セテさんという方……。妙な空気がします」
「妙な?」
「はい。彼と会ってから、ローザさんとリーザさんの影が消えました」
「影……が」
 リュオネスは白銀の雫に到着してからの事を思い返すが、2人の影になんて気付かなかった。
「少し、気をつけてくださいね。それと」
 キャルスラエルが、ついとリュオネスに近づく。
「あなた、多少果実酒の匂いがしますよ?」
「えぇっ!?」
 リュオネスはぱっと自分の口許を押さえた。
「そんな筈は無いんだけどな」
「シガラーですわね」
 キャルスラエルが眉をひそめる。
「あの人が、こっそりリュオネスの飲み物に果実酒を混ぜたんですわ。やりかねません」
「確かに」
 リュオネスも同意した。
 そして、キャルスラエルに指摘されると急に、頭がくらくらしてきた。
「あなたも早く休んだ方が良いんじゃないかしら」
 苦笑いするキャルスラエルに見送られ、リュオネスは部屋を出た。
 廊下を歩きつつリュオネスは、どんどん目が回り、自分の足元がおぼつかなくなっていくのを感じた。
「酒って飲んだらこうなるのか……知らなかった」
 壁に手をつき、少し休むと、背後から声をかけられた。
「大丈夫ですか」
 振り返ると、そこにはリーザが心配そうな顔でこちらを見ていた。
「あ、リーザ……」
 リュオネスは、キャルスラエルの言葉を思い出す。
『ローザさんとリーザさんの影が消えました』
「影……」
 リュオネスはリーザの足元を見るが、廊下の照明が暗いのと、自分の目が回っているせいで、影があるのかないのかよくわからない。
「え?」
 リーザが不思議そうな顔をする。
「いや、なんでも、ない」

 遠くから、馬の鳴き声が聞こえる。
 ライトニングだ。もう朝飯をやらなきゃいけない時間なのかな。
 ぼんやりとそう思いながら、リュオネスは目を覚ます。
 周囲はまだ暗かった。しいんとした静寂が、深夜であることを告げている。
 しかし、何かの気配が、リュオネスのすぐ傍にある。
 それに気付いて、リュオネスはがばっと身を起こす。
 白銀の雫の一部屋。部屋の隅に置いている荷物から、リュオネスの部屋のようではあるが。
 寝台のすぐ横に置いた椅子に座り、上体を寝台に預け、リーザが眠っていた。
 しかし彼女も、リュオネスが起きた音ですぐに目を覚ます。
「あ……目が覚めました?」
 リーザは目をこすりながら問う。
「えーと、あれ?俺……」
 リュオネスはいろいろ思い返してみるが、どうにも、廊下でリーザに会った以降の事がわからない。
 それとも、廊下でリーザに会った事さえ夢だったようにも思える。
 リーザはくすくす笑いながら、
「リュオネスさん、酔ってらしたんですよ」
と言った。
「お酒、弱かったんですね」
「俺も今日初めて知りました」
 リュオネスはがっくりとうなだれる。リーザには、格好悪いところを見られてしまったようだ。
「リュオネスさんをお部屋にお連れしたら、すぐに帰ろうと思ったんですけれど、私もあんまりお酒、強くなかったみたいで。ついここで眠ってしまいました」
 と、リーザは笑う。
「迷惑かけたみたいだな。悪かった」
 リュオネスも苦笑し、
「部屋まで送るよ」
と立ち上がる。
 リーザは、ふるふると首を振る。
「私の部屋、すぐ近くだから大丈夫ですよ」
 それから、
「おやすみなさい」
と、リュオネスに顔を寄せる。
 リュオネスは唇に柔らかな感触を覚え、何が起こっているのかわからずにいるうちに、ピリっとした痛みが走った。
「てっ」
 驚いた顔のリュオネスを見て、リーザはくすくす笑い、再び
「おやすみなさい」
と告げて、リュオネスの部屋を出ていった。
 リーザがいなくなった後で、リュオネスは手の甲で唇をぬぐうと、そこには少しだけ、血が付いた。
  

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