剣士と魔術師の帰郷・4章

 背の高い樹木が立ち並ぶ林道、木漏れ日を浴びながら、3人は馬を進める。馬車も往来できる程の広さの路で、それなりに踏みならされている。
 風も陽射しも心地良く、前の村でのアルスとの戦いの後は何事もなく旅を続けていた事もあって、3人の間に流れる空気も、自然とのんびりしたものになる。
「あと少しで街道にぶつかって、そこからまたちょっと行くと、やっとローナレン領……だったよな、確か」
 リュオネスが記憶をたぐりながら言う。
 何しろ、10年以上も故郷に帰っていない。くわえて、最近の数年と言えば、師であるオーシェルメルの住む洞窟と、そこから一番近い街の往復だけしかしていなかったようなものだ。
 だから、故郷までの道のりなど、ぼんやりとしか覚えていない。
 帰るつもりがなかったわけではない。
 ただ、今はまだ帰らなくてもいいと思いつつ、これまで過ごしていただけだ。
「タランに行く前にナムロートに寄っていきましょうか」
 愛馬トゥーランドットの並足にあわせて波打つ髪をきらきらと輝かせ、キャルスラエルが言う。
 ナムロートはリュオネスの故郷の土地の名だ。こんな機会でもなければ、あと何年、帰らないでいるだろう。しかし、リュオネスはキャルスラエルの提案を断った。
「いや、それは後で気が向いた時でいい。俺が家を出たのなんてホントのホントにガキの頃だから、今家族に会っても気付いてもらえないかもしれないしな。それよりも、キャルを送り届ける方が先だ」
 この旅はもともと、キャルスラエルの父が倒れた事によるもの。彼女を一刻も早く、無事に送り届けるのがリュオネスの役目だ。
「そうですね。早く帰らなければ」
 キャルスラエルも、父の事を思ってか、僅かに表情を曇らせる。すかさずディウロは、
「そう心配召されるな。領主殿の体調はすこぶるよろしい。ただ、少し自由がきかなくなりましてな」
と言った。
 ディウロの言葉に、キャルスラエルは
「それはどういう事なの?」
と問いかけた。
「自由がきかないってのは、何なんだ」
 リュオネスも疑問を投げかける。
「そのままの意味ですぞ。まあ、実際にお会いすればわかる事」
 釈然としない説明ではあったが、ディウロにそれ以上喋る気がない様子だったので、キャルスラエルもリュオネスも、深くは訊ねなかった。
 3人の間に会話がなくなると、3頭の馬の足音と、そして、がさがさ、がさがさという、葉擦れの音が、何度も自分たちを追い越していくのだけが聞こえた。
 葉擦れの音は、風の仕業と思われた。
「あれ」
 リュオネスが急に、引っ張られたように顔をあげ、遠く前方をじっと見つめる。
「どうかしました?」
 キャルスラエルは不思議そうな顔でリュオネスに問う。
「いや、今、前から何か聞こえて……」
 言葉の途中で、リュオネスの顔が引き締まる。
「やっぱり聞こえた!」
「ふむ……若造、何が聞こえた」
 ディウロが訊くと、
「誰かの叫び声みたいな……ちょっと様子を見てくる」
そう答えると共に、リュオネスは他の2人の返事も待たず、愛馬ライトニングの腹を蹴る。ライトニングはすぐに応じ、まっすぐ前へ駆けだした。
 あっという間に小さくなるリュオネスの後ろ姿を、ディウロとキャルスラエルは馬の脚を止めて見送った。



 林道の途中で、2人連れの若い女性が立ちすくんでいた。共に軽装の旅支度をしている。ここまで歩いてきていたのだろう。
 共に青い瞳、薄茶色の髪であるが、1人は長い髪を編んで束ねているのに対し、もう1人は肩の辺りでそれを切りそろえている。髪の長い娘の方が、多少年上の様に見えた。
 年若い女2人の歩き旅。危険は多々あるだろうとわかってはいたが、人を雇う余裕もなく、また、馬など持ってもいない。
 広い大きな路を、昼間だけ歩けば、きっと大丈夫。そう思って今まで来た。目的地まで、あともう少し。そんな時に、ついに危機はやってきたのだ。
 始めは、風による葉擦れの音だと思っていたのに、それが、いつの間にか自分たちを取り囲み、気づけば、腐りかけた葉や蔦をこね合わせて作られた人形のような奴らが、2人の周りをぐるりと包囲していた。
 2人は大木を背にし、互いに寄り添う。相手に怯えを悟られないように必死で、しかし震えは止められなくて、それを抑えるように互いの手を取り合う。
「大丈夫よ、ローザ姉さん。私が姉さんを守るわ」
 片方の娘が、羽織っていたローブをまくって腰に下げた短剣を取り出す。
「何を言うの、リーザ。あなたには大事な仕事があるでしょう。あなたはじっとしていて」
 ローザが、短剣を握りしめるリーザの手を、上から両手で包み込む。じっとりとした汗で冷えた手。この化け物達を相手にするには、自分たちは無力すぎる。それはわかっていたけれど。
 餌を値踏みするように眺めていた化け物どもだが、2人の手の中で光る刃に気づくと、その内の1匹が、異様に長い腕を振り回し突進して来た。
「きゃあっ」
 2人は悲鳴をあげ、ぎゅっと目を瞑る。
 びゅん、という空気を震わせる音は、きっと、化け物の腕がしなる音……。
 2人はそう想像した。
 けれど、少し違う音である感じもする。どちらかというと、何かが回転しながら飛んできている音。
 そうこうしているうちに、ざく、と藁の束を切り裂く様な音の後、今度は2人が寄り添っていた大木の上の方に、どすっと何かが突き刺さる音が聞こえてきた。
 おそるおそる2人が目を開けると、眼前では、襲いかかってきていた化け物のかわりに、ひらひらと舞い落ちる落ち葉と蔦。それらは、先程の化け物が分解された姿だった。それから、頭上を見上げると、大木に1本の剣が突き刺さっていた。
「大丈夫かっ?」
 何が起こったか理解しきれていない2人に声が聞こえ、その声の聞こえてきた方向を見ると、まだ残る化け物達を蹴散らしながら、褐色の肌に金色の髪の青年が馬に乗って現れた。
 彼は2人の目前に来て馬から降りると、馬の首を叩き、
「ライトニング、ディウロのところに戻ってくれ」
と言う。馬は、彼の言葉を理解し、今来た路を駆け戻る。
 それから手を伸ばして2人の頭上に刺さったままの剣を引き抜くと、敵を見据えたまま、
「こいつらは俗霊人だな。精霊のなり損ねが、死人の魂を喰らい生まれたヤツらだ。主な食事は生きた人間、らしい」
と2人に話す。
 それを聞いて、改めてローザとリーザはぶるりと震えた。
「安心しろ。1匹残らず消し去ってやる。何匹いるかは知らないが」
 彼は、手近な俗霊人に向かって剣を一振りする。比較的動きの鈍い俗霊人は、それを避ける事が出来ずに、ばっさりと斬られ真っ二つに分かれる。
 その一振りの勢いのまま、さらに右の敵、左の敵、奥の敵へと、化け物の集団の中に突っ込みながら剣を振る。
 周り中に、俗霊人の「元」である落ち葉や枯れ草、蔦が飛び散り、土に落ちる。
 ローザとリーザは、ただただその姿に見入っていた。
「さすがに一人で捌くにはキツイ数だな」
 ばさばさと俗霊人を切り倒しても、また新しい俗霊人が出現する。きりがない訳ではないのだろうが、終わりが見えないというのも、精神的に苦しいものだ。
 俗霊人の方も、単体ではただ斬られるだけで勝ち目はないと学んだのだろう、ひゅぅぅ、と青年の背丈ほどの竜巻が起こると、そこに吸い寄せられるように集まり、一度落ち葉に分解したと思うと、巨大な腐葉土人形になり、両手を広げる。
「馬鹿野郎。デカくったって弱えもんは弱え!」
 青年は一度ぐいとしゃがむと、大きく跳躍しながら下から上へ向かって剣を振り上げる。俗霊人の集合体は、真ん中から2つに別れ、ぼろぼろと崩れる。
 そして、着地した青年の周りに、くずれた俗霊人の屑が舞い落ちていった。
 青年は立ち上がると、未だ動けずにいるローザとリーザを振り返り、
「大丈夫だったか」
と訊ねた。
 2人は声を出せず、ただ何度も頷くだけだった。



「大丈夫でしょうか、リュオネス一人で行かせてしまって」
 ライトニングの後を追いたい様子のトゥーランドットの首筋を撫でて、キャルスラエルが言う。
「ふむ。あやつなら何かあってもそう簡単にはやられんでしょう」
 ディウロが顎をひとなでして言った。
「しかし、人の声など、キャルスラエル様は聞こえましたかの。歳のせいではないと思いたいですが、わしには何も聞こえんかったですぞ」
 ディウロは自分の耳朶を軽くつまんで引っ張りながらぼやく。
 その問いに、キャルスラエルは頭を振って否定する。
「いいえ。私は何も。でもリュオネスなら、そういった感覚が人より優れていても不思議はないわ」
「ふぅむ。そうですかの……」
 ディウロが何か思案していると、前方から、蹄の音が近づいてきた。
「ライトニング!」
 蹄の音の主を発見し、2人は声を揃える。
 リュオネスの愛馬、ライトニングが単体で戻ってきたのだ。
 ライトニングは利口で主人への忠誠心のある馬だ。単体で戻ってくるなどということは、主人に命令でもされなければあり得ないだろう。
 戻ってきたライトニングは、2人の目前でしきりに土を掻いている。
「こりゃ、何かありましたな」
 ディウロは、肩に掛かるマントをばさっと後ろに払いのけると、自分の馬を2、3歩進め、ライトニングの首筋を撫でる。
キャルスラエルははっとして手綱を引く。
「行きましょう、ディウロ」
 悲痛なほどにせっぱ詰まった表情で、キャルスラエルが言う。
「急がなくとも、大丈夫かとは思いますがの」
 キャルスラエルとは対照的に、あえてのんびりとした口調のディウロであったが、キャルスラエルと共に、急いで馬を走らせた。

 キャルスラエルとディウロがリュオネスの元に駆けつけたのは、まさにリュオネスが俗霊人に最後の一太刀を浴びせている瞬間だった。
 ひらはらと舞い落ちる枯れ草や枯れ葉の向こうに見えるリュオネスに、キャルスラエルは呼びかけようとした。
 だがそれよりも早く、リュオネスは立ち上がり、キャルスラエルに背を向ける。
「大丈夫だったか」
 彼のその声で、リュオネスの後ろに2人の女性がいる事に気が付いた。
 2人は無言で頷いている。
 何があったか、だいたいわかった。
「リュオネス。あなたこそ、大丈夫だったんですか」
 キャルスラエルはトゥーランドットを並足で走らせ、リュオネスの隣に並ぶ。その後をディウロの乗ったローエングリンと背に主のいないライトニングが続く。
「キャルスラエル」
 リュオネスは馬上のキャルスラエルを見上げる。
「悪い。勝手な行動とっちまって」
「こういう場合は、仕方ないわ」
 キャルスラエルはトゥーランドットから降りる。
「ところで、そちらのお嬢さん方は?見たところ、旅の途中の様ですが」
 ディウロもローエングリンから降り、訊ねた。
「は、はい、あの、あたしたち、あの……」
 髪を切りそろえている方の娘が必死に話そうとするのだが、上手く喋る事ができずにいる。
 リュオネスが苦笑して、
「いや、いいよ。とりあえず、落ち着こう」
と言って彼女の腕をぽんと軽く叩く。
 すると、その瞬間、彼女の緊張の糸が切れたのか、彼女はリュオネスの手にすがりつき、大声をあげて泣き始めた。
「え?えぇ……っと」
 さすがにリュオネスもうろたえたが、とりあえず、彼女達が落ち着くまで、そのままでいる事にした。



 彼女達は、ローザとリーザという姉妹で、仕事の為にいろいろな地方を旅して歩いているのだという。
「すみません。つい……」
 在る程度泣いて落ち着いたリーザは真っ赤になってリュオネスから手を離し、それから、自分たちの事について話してくれたのだった。
「じゃあ、これからどこに行く予定だったんだ」
 リュオネスが訊く。
「この先だと、ローナレン領のどこかですな」
 と、ディウロが言うと、ローザは頷いた。
「ええ、イディンに行くつもりでした」
 イディンは、この先にある街道を真っ直ぐにいって一番始めにあるローナレン領の街だ。
「同じ方向ですね」
 キャルスラエルが言うと、
「なら、送ってさしあげるのが妥当でしょうな」
と、ディウロが提案した。
「よろしいですかな」
 ディウロがキャルスラエルに伺うと、
「私もそうした方が良いと思います」
と、キャルスラエルは答えた。
「では、おひとかたはわしと一緒に、もうおひとかたはこやつと一緒の馬に乗ると良いでしょう」
 ディウロがそう言ってリュオネスを指差す。
 リュオネスはディウロに向かって頷くと、ローザとリーザに対し、
「どっちが乗る?」
と、ライトニングを指差しながら問いかける。
 すると素早く、リーザがリュオネスの手を掴む。
 その意外な行動に、一瞬、誰もが固まった。
「あ、ごめんなさい、あたし……」
 リーザがあわてふためいて手を離す。自分でも自分の行動に驚いているようだった。
「じゃあ、私はディウロさんにお願いします」
 ローザはそう言ってローエングリンの傍に行く。
「ん、じゃあ、君はこっちだな」
 リュオネスがリーザに言うと、リーザは明らかに表情を輝かせ、
「はいっ」
と答えた。
 何か調子が狂う。そう思いつつも、リュオネスはライトニングに跨り、リーザに手を貸して彼女を自分の後ろに乗せた。
 ローザとリーザが一緒なので、あまり脚を早める事なく馬を歩かせた。
 途中、リュオネスは自分の背中にリーザが頬を寄せてきた事に気付いた。
「そ、そんなにがっちりくっつかなくても落ちないと思うけど」
 平静を装いながらリュオネスは言うが、
「こうした方が落ち着くんです」
とリーザはそのままでいた。
「なら、まあ……いいけど」
 リュオネスはちらりと、横にいるキャルスラエルを見た。
 キャルスラエルは、無表情で、真っ直ぐ前だけを見ていた。
 リュオネスには、その様子がかえって恐く感じられた。
 リュオネスの背中を通してリーザの耳に届く彼の鼓動。それはリーザにとって、とてもとても心地の良いものであった。
 理由はわからない。そう、今は……。
  

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