剣士と魔術師の帰郷・3章

 時間は少し遡る。
 リュオネスとの話を終え、キャルスラエルが宿の中に入った時だ。
 カウンター前の待合い場のソファに座っている誰かの背中が、キャルスラエルの視界に入った。
 キャルスラエルは、それが誰なのか疑問に思った。
 どう見ても、ディウロではないし、リュオネスは外だ。厨房からは、おかみとパーセッドの会話が聞こえてくるので、この2人でもない。
 しかし、他に、客もいないはずである。
 ぞわり、と、両腕の肌が一瞬粟立つ。それと同時に、その人物が立ち上がり、振り返る。
「パーセッ……ド?」
 違う。これは、昼間に会った、精神体の方だ。よく見れば、ほんのり透けている。
「やあ、お姉ちゃん。あのおっさん、ちゃんとブレスレット、この村に持ってきてくれたんだね」
 精神体のパーセッドは、にっこり笑ってそう言った。
「あなたは、一体、なんなの?どうしてここに?」
 何となく、厨房の2人に知られてはいけない気がして、キャルスラエルは声をひそめる。
「僕が、本物のパーセッドだ。……見ての通り、実体じゃないけど」
 本物、と名乗るパーセッドは、ひょいと肩をすくめてみせる。
「じゃあ……」
 キャルスラエルは厨房の扉を見る。相変わらず、おかみとパーセッドの談笑が聞こえる。
 あのパーセッドは、本物ではない?
 キャルスラエルは精神体の方のパーセッドに視線を戻し、
「ここにいたのでは、あちらのパーセッドが厨房から出てきたとき、見つかってしまうわよ。それでは、都合が悪いのではなくて?」
 と言うと、
「まあね」
 そうパーセッドが答えた。
 なので、キャルスラエルは、
「では、私の部屋に行きましょうか」
 と提案した。


 キャルスラエルは、部屋に入ると、窓際に置かれた籐の椅子に座る。ガラス製のテーブルを挟み、同じ椅子がもう1脚あるので、そちらに、精神体のパーセッドが腰掛ける。
 先ほどもそうだったが、精神体でも、座ったりするようだ。
「僕、この椅子、好きだったんだ」
 と、パーセッドは、籐の椅子を眺める。
「ねえ、パーセッド。よろしければ、あなたがこのような状況になった理由を教えて?」
 キャルスラエルがそう言うと、パーセッドは顔を上げ、語り始めた。
「もう、ふた月くらい、前になるかな。僕は、山の近くまで薬草を採りに行ったんだ」
「一人で?」
「うん。だって、その時はまだ、この村も、村の回りも、安全だったから。いや、違うな。安全だと思っちゃっていたんだ。実は、結構近くに、小鬼の集落があったんだ。運悪く、僕はそこに足を踏み入れてしまった」
「じゃあ、あなたは、もしかして……」
「お察しの通り」
 パーセッドは、わざとおどけたように言う。
「僕の体は、小鬼達においしく召し上がられてしまいました」
「そんな……そうだったの」
 キャルスラエルは眉をひそめる。
「あーあー、気の毒とか、思わないでね。もう、こうなっちゃったものは仕方がないんだから。でも、僕って、自分で思っていたより、この世に未練って、あったみたいでさ。気が付いたら、この姿だったんだ。そして僕が、一番最初にしたかった事って、なんだと思う?」
 問われて、キャルスラエルは考えた。もし、自分なら……。
「そうね、まず、家に帰ろうと、思うかしら」
「その通り!とりあえず、行く当てもないわけだしね。ところがさ、歩いても歩いても、僕の体は移動できなかったんだ」
「死地に縛されたのね。死者の魂に、よくある事だと聞きます」
 魔術を学ぶ者の一般常識として、キャルスラエルはそう認識していた。
 そして、その魂は、何か媒体を用いれば、その地から移動できるとも……。
「あ、そうだったのね。だから、あのブレスレットを」
「うん。途中で、お姉ちゃんたちが小鬼どもに襲われないとも限らないから、申し訳ないけど、何かあった時に、一番生き延びてくれそうな、あのおっさんに預けたんだ」
 そして今、パーセッドは我が家に帰って来られたのだが、すでに、別のパーセッドが、いたのである。それは、どういう事なのだろうか。キャルスラエルは、思った疑問を口にした。
「そう、誰か、いや、『何か』が、僕のフリをしている」
 そして、パーセッドは、悔しそうに顔をゆがめる。
「だから、僕は、母さんの前に姿を現せない。ここが、僕の帰る所なのに」
 キャルスラエルは、ゆっくり頷き、立ち上がった。
「あなたの気持ちは、わかります。ただ、私には、どうにかしてあげられるだけの力がないわ。そうですね、できる事といえば、あちらのパーセッドの正体を明らかにする事くらい」
 すると、パーセッドの表情がぱっと明るくなる。
「それだけでもいいよ!」
 キャルスラエルは、それを聞き、パーセッドに、すうっと、右手を差し伸べる。
「では、あなたの力も貸して下さいね。知りたい事を強く念じて、私の手に、あなたの手を重ねてください」
 パーセッドは、言われた通りにする。その手がキャルスラエルに触れると、そこから、ざわざわと冷気があがってくる様な感覚があった。
 精神体に直接触れるのは、初めてであったから、その感覚に、キャルスラエルは一瞬絶句する。指先が凍える。その冷気は、そこから、全身を駆けめぐろうとしている。
 飲まれる。いいや、飲まれてはいけない。冷気の渦の向こうは、生なき場所。
「お姉ちゃん?」
 パーセッドの怪訝そうな声に、キャルスラエルは、はっとする。
「いえ、ごめんなさい。何でもないわ」
 手に、感覚がなくなってくる。早くしなければ。キャルスラエルは、呪文を口にする。
「アピレンス・ザイン・デザラー」
 キャルスラエルとパーセッドの間に、白い靄が広がり始めた。
「オネイロス」
 靄に、影像が浮かぶ。初めは、ぼんやりとした翳り。その輪郭が次第にはっきりしてくる。
「こいつ……何?」
 パーセッドが問う。
 形はヒトと似ている。が、皮膚はいやに青く、両耳の上には、渦巻く角、真っ赤な頭髪は、それが意志を持つようにうごめき、口腔の中に覗く歯は、全て犬歯のように尖っている。衣類の下に見える上半身全体に、紋様が彫られていた。
「アレスの一種だわ」
「アレス?」
「数百年前に、ヒトからの突然変異で現れた種族です。厄災を好み、また、それを呼ぶ力を持っています。おそらく、この村に小鬼が現れるようになったのも、アレスの所為でしょう」
「どうして、そんなヤツが……」
 パーセッドは、憎々しげにアレスの影像を睨み、それから、ふっと、姿を消した。
「あ、パーセッド!」
 キャルスラエルは、彼の名を呼ぶが、もう、返事もなければ、姿も見えなかった。
「どこへ……?」
 冷え切り、感覚のなくなった右腕をさすりながら、キャルスラエルは室内を見渡す。
 すると、階下から、女性の悲鳴が聞こえてきた。宿のおかみだ。
「もしかして!」
 キャルスラエルは、取り急ぎ、杖だけを手に持ち、部屋を出る。
 パーセッドが、母親の前に現れたに違いない。
 おかみの悲鳴は続く。
「どうして、どうしてあんた……!!??」
 息子が二人、それも片方が精神体となって現れたのなら、錯乱もするだろう。
 キャルスラエルが一番危惧しているのは、正体が知れてしまったアレスが、何をするかがわからない事だ。
 頭の中で、守護用の呪文と、攻撃用の呪文を思い出しつつ、キャルスラエルは悲鳴の聞こえる厨房の扉をあける。
「パーセッド!」
   次へ
剣士と魔術師の帰郷・目次へ
  Novel Indexへ

inserted by FC2 system