剣士と魔術師の帰郷・序章

 湖の浅瀬に、彼は立っていた。両手に剣を持ち、獲物が現れたらいつでも飛びかかれるように、、両膝を軽く屈折させ、両眼は鋭く周囲を窺っている。
 褐色の肌は、水しぶきと汗とで濡れ、短く刈り込まれた金髪に、陽の光がきらきらと反射する。
 突如、湖が水柱を吹き上げる。彼は身構える。
 水柱の中に、玉虫色に輝く鱗を持つ、竜が見える。
 狙いは、ヤツだ。
 彼は、ふくらはぎまで水に浸かっていたとは思えぬ程の跳躍をし、竜に飛びかかる。
「っつりゃぁあああ!」
 雄叫びをあげつつ、斬りかかるが、竜の爪にあっさりとはじき飛ばされる。
 宙で一回転し、着地した彼に、氷つぶてが無数に襲いかかってきた。
 彼はそれらを、剣ではね除けつつ、前進し、竜の堅い鱗の隙間に、剣を差し入れる。
 手応えがあった。
 ばきっ、という音とともに、輝く鱗が一枚、その本体から剥がされ、それと同時に、竜の姿が霧散する。
 彼は辺りを見回すが、剥がれた鱗が、ひらひらと宙を舞っているだけだ。
 気配は、まだある。どこかにいるはずだ。
 竜の姿を追い求めるあまり、彼は気づけなかった。
 舞い落ちながら、輝く鱗が徐々に姿を変えている事を。
 そしてそれが水面に落ちた時、そこにいたのは、群青色の長い髪、長身痩躯の男性。
「相手の形態が変わらないという真実はありませんよ、リュオネス」
 その男は、優雅にしかし疾風の如き早さで、自らの手に持つ剣を、彼ののど元に突きつけた。
 リュオネス、と呼ばれた彼は、息をついて、自分の剣を降ろす。
「俺はまだまだ、だな」
「私から鱗を剥がせるのは、人間ではあなただけです」
 その男は、現在、リュオネスの師である、オーシェルメル。そして、オーシェルメルの本体とは、先ほどの竜である。
「さて、そろそろメレンデのところから、昼食が届く頃ですよ。リュオネス、食事の前に、軽く温泉で汗を流して来てはどうですか」


 リュオネスは18歳。2番目の師であるオーシェルメルの元で剣の修行中である。最初の師は、普通の人間であった。しかし、その師は、老齢のため亡くなり、あてのない旅をしていた先、オーシェルメルに出会ったのである。
 さすがに、本体は竜なだけあって、住居は洞窟という、あまりよろしくない生活環境であったが、近くにはこのように温泉がわき出ているし、食事は、近所にすむ年齢不詳の世話好き魔術師、メレンデが作ってくれるしで、リュオネスにはなんの不満もなかった。
 それに、オーシェルメルと出会ってから、自分の剣の腕がどんどん上がってきているのが実感できるのだ。それで充分であった。


 温泉に浸かりながら、リュオネスは自分の腕を見る。10年前、故郷を出たときに比べ、随分と筋肉が付いたものだ。
『剣など、必要ないじゃない』
 家を出る時に言われた、母の言葉を思い出す。
『私たちは、鉱夫なんだよ。だいたい、剣の道をたとえ究めたところで、その後に、何がある』
 父もそう言った。だが、自分は、家を出た。
『何がある』さあな。でも、何かがあるはずなんだ。
 リュオネスはふう、と息をつき、鼻まで湯につかる。
 その時、少し離れたところから、声が聞こえた。
「さあ、いい子だから、この中に入るのよ、トゥーランドット」
 そして、その声に呼応する、馬の、ぶるるるる、という鳴き声。
 姿は、ちょうど岩陰に隠れて見えない。
 この声は、メレンデの弟子、キャルスラエルだ。
 明るい金色の長い髪に、深い青の瞳、透き通るような白い肌、砂糖菓子のような薄桃色の頬、一度見たら忘れられない可憐な器量の少女。
 リュオネスにしたって、彼女の姿を見れば、多少なりとも胸が高鳴る。
 ぱしゃん、と水面が音を立てた。彼女の愛馬、トゥーランドットが、温泉に入ったらしい。
「明日から、ちょっと長い旅にでなきゃいけないのよ。だから、今日はこうして、体を休めましょうね」
 長い旅?それは一体、どういう事だ。
「キャル、どっか、行っちゃうのか?」
 リュオネスは、思わず、立ち上がって岩陰から出、そう問うてしまった。
「きゃああ!」
 キャルスラエルが悲鳴をあげる。トゥーランドットは抗議するように唸る。
「わぁ、すまん!」
 リュオネスは、あわてて体を湯に沈めた。キャルスラエルは、こちらに背を向ける。
「そ、それより、『長い旅』って?」
「あ、あの、私、自分の家に帰る事になりましたの。まだ、魔術師としては、未熟なんですが、父が、倒れまして」
 お互い、驚いていたようで、会話がぎこちない。
「そんな、じゃあ、ここには、もう帰って来ないのかい?」
 リュオネスは再び立ち上がり、キャルスラエルに近づこうとしたが、歯をむき出したトゥーランドットに阻まれる。なので、すぐに我に返って、湯の中に戻った。
「そう……ですね。そうなると思います。メレンデ師匠や、オーシェルメル様、それに、リュオネス、あなたにも、会えなくなるのは、寂しいですけれど……」
「そ……っか。仕方ないよ、な。」
 リュオネスの声は、自然と、沈んだものになった。しかし、キャルスラエルは、それに、努めて明るく応えた。
「それでも、きっといつかは、また会えますわ。それより、今日の昼食は私が作ったんですのよ。今頃、メレンデ師匠がオーシェルメル様のところに届けていますわ。リュオネスも、早くお戻りになって」
 トゥーランドットは、、出てけ、出てけという風に、鼻面で水面をひっかき、リュオネスに湯をかける。リュオネスは、仕方なく湯から出て、住居である洞窟に戻ることにした。
「出発の前には、顔を見せに来てくれよ、な」
 と、こちらに背を向けたままのキャルスラエルに言い置いて。


 洞窟に戻ると、オーシェルメルとメレンデが、談話しつつ、かつてオーシェルメルがリュオネスに造らせた食卓で、茶を飲んでいた。
 ちなみに、二人が飲んでいる茶は、リュオネスの知らぬ外国産のもので、色合い、香り、味、どれをとっても、リュオネスには苦手なものであった。
「あら、お帰りなさい、リュオネス。お邪魔してるわよ」
 メレンデは、どう見ても、20代後半から30代前半の女性。しかし、キャルスラエルに聞いたところ、50年前に描かれた肖像画も、この姿ならしい。年齢は、とうに100だという事だが、詳しい事はわからない。
 オーシェルメルにしたって、年齢不詳なところはあるが、彼の場合は人間ではないので当たり前である。
「いつも申し訳ありません」
 リュオネスは、メレンデに、食事を持ってきてくれた礼を言う。
「いいのよ。私の楽しみの一つでもあるし。それに、今日はお願いもあったしね」
 メレンデが、オーシェルメルに何か頼み事があったのだろうか。
 リュオネスは、オーシェルメルを見る。が、師は、にっこりと笑い、リュオネスを指さす。
「私じゃなくで、君にあるそうです」
「え、俺に?一体、どのような事です?」
 心当たりがあるといえば、家の扉の立て付けが悪くなったから直してくれとか、庭用のベンチを造ってくれとか、その様な事しか、思いつかない。
 しかし、メレンデの口にした、頼み事とは。
「それがね、あたしのたった一人の、可愛い愛弟子が、家に帰らなきゃいけなくなってね。明日出発するのよ」
 キャルスラエルの事だ。リュオネスの心臓は、一瞬、弾んだ。
「それでね、一人で行かせるのは不安だから、できれば、リュオネスに随行してもらいたいのよ。オーシェルメルは良いって言ってくれたんだけど、あなたとしては、どう?」
「まあ、リュオネスが一緒に行く事によって、別の不安も出てきますけどね」
 普段なら、オーシェルメルに軽口を返すところだが、今は、そんな余裕はなかった。
 一緒に。キャルスラエルと。旅へ?ずっと、二人きりってことになる?
 いろいろな考えが頭の中をぐるぐる回る。しかし、何より。
「駄目です。俺はまだ、剣の修行が……」
「それは、今日で終わりという事にしましょう」
 リュオネスが言い終わらないうちに、オーシェルメルが言う。リュオネスは驚いて目を見張る。
「なぜです?!」
 オーシェルメルはこう答えた。
「実は、私は、そんなに長い間、人の姿をとり続ける事はできないんですよ。もう、3年もこの姿でしたからね。少し、本来の姿に戻って、休ませてください」
「でも、今までだって、たまに竜に戻ったりしていたじゃないですか」
「それは一時的なものでしたしね。それに、今度竜に戻ったら、しばらくは、人の姿をとれないんですよ。そうなれば、リュオネスと剣の稽古もままなりません。だったら、リュオネスは、久しぶりに、旅に出て、いろいろなものを見た方が、良いと思ったんです」
 「そうだったんですか……」
 もしかしたら、自分は今まで、オーシェルメルに、負担をかけていたのかもしれない。
 そう思うと、リュオネスの表情は自然と曇る。
「そんな顔をしないで下さい。この姿で、リュオネスと過ごす事を決めたのは私です。それに、私は長生きですからね。また、人の姿に戻って、ひょっこりあなたの前に現れますよ。ご心配なく」
 リュオネスは顔をあげた。心は決まった。
「わかりました。メレンデ様、俺がキャルスラエルをきちんと守りますから、ご安心下さい」


 翌朝。起床してすぐ、リュオネスはオーシェルメルに呼ばれる。
「リュオネス。私が師匠としてあなたにしてあげられる事は、おそらくもう無いでしょう。次に会うのは、ずっと先になります。それまで、元気でいて下さいね」
 そう、改めて言われると、別れの実感がひしひしと胸を襲う。
「師匠……」
「あなたに、渡す物があります。まずは、私の馬、ライトニングをあなたに預けます。ずっと世話をしていたのはあなたですから、今更扱いに困る事はないはずです」
 ライトニングは、金色の体毛と、一本の角を持つ馬だ。
「それと、これを渡しておきます」
 と、白い紙の包みを2つ、手渡す。
「これは……」
 リュオネスはしげしげとそれを見る。
「私が一晩かけて作成した護符ですよ。中を見てごらんなさい」
 そう言われ、リュオネスはまず、一つ目の包みを開ける。
 中に入っていた護符には、リュオネスには読めない文字が綴られていた。
「???」
「今は、読めないとは思いますが、必要な時に、読めるようになりますよ」
「はい、わかりました」
 そしてその護符を元のように包み直し、もう一つのほうを開ける。今度は、リュオネスにも読めるものだった。
「『間違いは おこさないよね 君と僕』。……。師匠……?」
「いや、一番大事なことかなーっと、思って」
 リュオネスは思わずその護符?を、くしゃ、と両手で丸める。
「あ、何をするんです。徹夜で考えた標語なのに」
「いりませんっっ」
 何を考えているんだこの人は、いや、人ではないが。
「まあ、とにかく」
 オーシェルメルは言った。
「気を付けて、行ってきなさい」
 洞窟の入り口には、燦然と朝日が差し込んでいる。
「はい」
 リュオネスは、護符を荷物袋の中にしまい(もちろん最初に開いた方だけである)、朝日の方へ、一歩踏み出した。

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