当たりはずれ



1個は当たり。もう1個は外れ。
外れた時は……?


「わ〜、あんた今日すごい良い匂いするぅ」
 朝の教室。登校してきた隣の席の友人に、思わずそう言った。
「でしょ?」
 友人は少し顎をあげて自慢げな笑みで言う。彼女からは、コロンなどとはまた違う、ふんわりとした優しい良い匂いが全身からほのかに香る。
「駅の近くにさ、入浴剤とか石鹸とかのお店できたでしょ。そこのボディソープ使ってみたんだよ」
 友人の言うそのお店は1週間ほど前にオープンしている。
「え〜、あそこ行ったの?」
あたしも、行ってみたいな、とは思っていたのだけど、いつもお客のOLお姉さんたちがごった返しているし、値段も高そうなので、入りにくかったのだ。
「いいなぁ、あたしも行きたぁい」
「じゃあ一緒に行く?あのお店いろんな商品あるから、わたしももう一回行きたいと思ってたんだ」
 そんな訳で、今日の放課後、友人と一緒にそのお店に行く事になった。


 授業が終わってからすぐにそのお店に行ったけれど、お店の中は今日も込んでいた。
 なんでこの時間にOLさんがいるの?会社のお仕事って、5時半まであるんじゃないの?
 おミズっぽいお姉さんはお仕事前なのかな。
 でも、そんな大人な客の中に、あたし達みたいに学校の制服で来てる人もちらほらいて、少しほっとした。
 それにしても、お店の中はすごい匂い。
 ところ狭しとディスプレイされた石鹸や入浴剤のいろんな匂いが混じってるんだよね。
 友人と、このシャンプー良さそうだね、とか、この入浴剤いい匂いだね、とか、商品を見て話しながらお店の中をうろうろしていると、お店の一角に、一抱えくらいありそうな大きさの水槽を発見した。
 水槽の中にはピンク色の液体が満たされ、その水面にはこんもりとした泡。そして、フローラル系のいい匂い。
「うわ、何これぇ」
 私は水槽の泡に触れようと手を伸ばし、でもやっぱり触れるのを躊躇った。だって、なんだかよくわからないもの触るの勇気いるじゃない?
 すると、
「これはバブルバスですよぉ」
と、にこにこした女性店員があたしに話しかけてきた。
 店員は、躊躇いなく水槽の中に少し手を入れ、水面をばしゃばしゃと掻き混ぜた。
 水面は一層泡だち、フローラル系の香りがより強く立ち上った。
「匂いも良いしぃ、見た目も楽しいしぃ、お肌もすべすべになっちゃうんですよ」
と、店員は説明した。 
「へぇ〜、良いなぁ」
 あたしが興味を持ったので、店員は、
「この棚に並んでいるのが、全部バブルバスですよ」
と、左手側の壁にある数段の棚を示した。
 棚には、ずらりと商品が並ぶ。
 色つき粘土を丸めたみたいなのや、ボトルに入った液体とか、キューブ状のものとか。
「これを浴槽に入れてからお湯を入れるとぉ、こんな風に泡立ちます」
 なるほど〜。
 そして、棚に貼られた商品の値段を見てみると。
「高っ」
 思わず声に出してそう言ってしまう。しかし店員は笑顔を崩さないままだった。
 その笑顔の裏で、「この子貧乏〜」とかって思っているかも。
 でも、1個1000円近くするんだよ。
「これって、何回分ですか」
 私が、色つき粘土のようなバブルバスの元を指さして訊くと、店員は当然、といった顔で、
「1回分ですよ」
と答えた。
 1回1000円のお風呂って、温泉じゃないんだから。
「いいな、あたしも使ってみたいよ、コレ」
 あたしの隣に並んだ友人も、バブルバスの棚を眺める。
「それだったら、2個入りのがあるけど、2人で買って分けたらどうですかぁ?」
 店員は棚の上の方に手をのばし、透明の箱入りの商品を取る。
 箱の中には、ピンク色で球状のバブルバスの元が2個入っていた。
「でもコレね、ちょっとお遊びの商品なの」
 と、いたずらっぽい顔で、秘密を話す時みたいに目を輝かせ、店員が言った。
「2個あるうちの1個は当たり。こっちにはねぇ、すんごく美容に効く成分が入っていて、1回このお風呂に入ったら、1週間くらいはぷるっぷるのお肌になりますよ」
 そ、それは欲しい!
「当たりじゃないほうも、ちゃんと泡立つし、良い匂いもするんですよね?」
 友人が訊くと、
「もちろんですよぉ。ちなみに香りは、ダイエット効果のあるグレープフルーツの香りなんですよ」
と店員は答えた。
「ねぇねぇ、だったらさぁ、半分ずつお金出して、半分コしない?当たりじゃなくっても損しなさそうだしさ」
 友人が、甘えるような声であたしに言ってくる。
 うぅ〜ん……。
 2人でお金を出し合うとしたら、500円ずつか。まあ、いいかも?
「わかった。どっちが当たりでも、恨みっこなしでね」
 あたしがそう言うと、すかさず店員が
「ありがとうございまぁす」
と声を張り上げた。


 家に帰ると、あたしはさっそくママに頼み込んで、買ってきたバブルバスの元を使ってお風呂にお湯を張った。
 ママは、「残りのお湯がお洗濯に使えなくなるじゃない」とちょっと不満そうだったけれど。
 浴室内に充満する良い匂いと、もっこもこの泡で覆われた浴槽を見て、あたしは大満足だった。
 いつもは彼氏に電話する時間だったけれど、そんなのも放っておいて、あたしはバスタイムを楽しむ事にした。
   シャワーで軽く体を流し、浴槽に片足を突っ込む。
 ぷちぷちと、小さな泡が破裂する音がする。
 この泡の、ふかふかの感触が気持ち良い〜。
 肩まで湯船に浸かると、なんだか映画とかドラマの女優のような気分だよ。
 あたしは上機嫌で、お湯と一緒に泡をすくいとる。
 両手の上に乗った泡を、ふぅっと吹いて吹き飛ばしてみる。
 泡は軽やかに飛んでいき、手のひらの中には、少量のお湯が残る。
「あ〜、こんなのも入っていたんだ」
 手の中のお湯には、何の花かはわからないけど、ピンクの花弁が1枚浮いていた。
 こんなのが入っているんなら、もしかして、あたしが貰った方って、当たりだったのかも。
 まだ何か入っているんじゃないかなぁ、と、あたしはお湯の中を両手で探る。
 あ、指先に何か触れた。
 あたしは、指先に触れたものを掴まえるべく、さらにその付近を用心深く探った。
 するり。
 今度は手の甲に触れた。
 何だろう?
 花弁とはちょっと違う感覚のような。
 するりっ。
 その感触は、手首を撫でた。
 なんだか、そう。
 動物の毛皮の様な……?
 するするするっ。
 それは、あたしの左腕に巻き付いてきた。
「何っ?」
 あたしは左腕をお湯の中から引き上げる。
 そこには、所々に泡を纏った黒い、短い毛の生えた物体が。
 丸い体から、何本も細い節足が生えていて、それが、あたしの腕を抱えている。
 大きな、蜘蛛。
 頭の芯が凍り付く。
 あたしは叫んで大きく腕を振り、蜘蛛を振り払った。
 蜘蛛の本体は、浴室の壁にぶつかり、隅っこに落ちた。
 あたしの左腕には、本体からちぎれた蜘蛛の脚が2本、まだ絡みついていて、ヘドロのような体液を滲ませていた。

 1個は当たり、キレイになれるの。
 もう1個は外れ、外れは……ね……。


                                 END

戻る

inserted by FC2 system