屋根より高い鯉のぼり、なんて、マンションが建ち並ぶご時世、殆ど見かけなくなった。
しかし、5月の連休を利用して家族でやってきた父の田舎は、農村地帯であるためか、各家庭でそれは見事な鯉のぼりが飾ってある。
色鮮やかな吹き流し、大人2人分くらいの大きさはある真鯉。
普通見かける鯉のぼりは、2匹か3匹だが、ここいらのは5匹も6匹も連なっているし、色だって、黒、赤、水色の他に、オレンジ色だとか金色だとか、桃色だとか、様々だ。
私は女の子で一人っ子だったから、当然我が家には鯉のぼりなんてものはない。
もし男の子がいたにしろ、マンション住まいだから、こんな大きな鯉のぼりは掲げられなかっただろう。
父の実家にも、5匹の鯉のぼりが掲げてあった。
黒、赤、水色、桃色、黄色……。
父が子供の頃から、この鯉のぼりを飾っているそうだ。
父やその兄弟が成人して、就職して結婚して家庭を持った今も、祖母は毎年鯉のぼりを掲げるそうだ。
父の実家に着くなり、
「お姉ちゃん、遅い!遊ぼう遊ぼう!」
と、まだ小学生の従兄弟が家の中から飛び出てきて、私の腕を引っ張った。
従兄弟との遊びは、納屋の探索が主である。
両親に「ちょっと行ってくるね」と言い置いてから、私は従兄弟に手をとられるままに、納屋に向かう。
納屋の中は、独特の匂いがする。埃と一緒に古い空気がそのまま滞っている匂いだ。
天井の梁には、数十年前に使われていた農具が引っかけるようにして収納してあり、隅っこにある木の棚には、明治時代のお膳が積まれている。
「あれ?」
木の棚の隣に埃をかぶった古い箪笥があるが、その一番下の引き出しが、僅かに開いていた。この箪笥の引き出しが開いているのなんて、初めて見た。
何かを出し入れした後なんだろうか。
私は、引き出しの中を覗いてみる。
白い箱が見えた。
何だろう。
私は引き出しをさらに開け、箱の蓋を取る。
鱗が描かれた、布。
「鯉のぼりじゃない」
きっと、祖母が1匹出し忘れたんだ。最近、年齢のせいで忘れっぽくなったと言っていたから、きっと、1匹出し忘れた事に気付いていないだろう。
「お姉ちゃん、どうしたの」
従兄弟がとんとんと木の床を鳴らして寄ってくる。
「うん、鯉のぼり見つけたから、持っていこうかと思って」
私が箱から鯉のぼりを引っ張り出すと。
ぐん。
何かに引っかかったような抵抗を感じる。
古い箪笥だから、ささくれでも出来ていて、それに引っかかったのだろう。
私は鯉のぼりを引っ張る力を緩め、引っかかった場所を丁寧に確認してみた。
しかし、どこにも引っかかっていない。
「おっかしいなぁ」
不思議には思ったけれど、今度はどこにも引っかからないように、そうっと鯉のぼりを箱から出した。
広げてみると、その鯉のぼりは綺麗な折り皺がついていて、まるで、一度も箱から出された事がないみたいだった。
しかし、色が褪せて居ることから、新品では無いようだ。もしかしたら祖母は、仕舞う時にアイロンをかけていたのかもしれない。
「鯉のぼり?」
従兄弟が尋ねてきたので、私は
「うん、そう」
と、鯉のぼりの口側の端を持って、靡くように大きく振った。
ぐん。
また、引っ張られる。
私が口の方を掴み、尻尾側が引っ張られているので、鯉のぼりはぴぃんと張っている。
何に、引っかかっているの?
そろそろと鯉のぼりの尻尾に視線を移す。
小さな手が見えた。
両手でしっかりと、鯉のぼりの尻尾を握っている。
「それ、僕の」
着物を着た小さな男の子が、じっと私を見ていた。
私は鯉のぼりから手を離し、従兄弟を抱きかかえるようにして夢中で納屋から逃げ出た。もしかしたら、叫んでいたかもしれないけれど、そんな事気付かないくらい我を忘れていた。
後から父に聞いたのだが、この辺りでは、男の子の数だけ鯉のぼりを掲げるらしい。
祖母はその昔、末の男の子を亡くした後、どうしても、その子の為に買った鯉のぼりは飾らず、しかし捨てる事もできずに納屋にしまっていたという話だ。
あの着物の子が、きっと、無くなった父の弟なのだろう。
自分の鯉のぼりを取られてしまうと思って、慌てて出て来たのかもしれない。そう思うと、なんだか少し寂しい気持ちになった。
END